エホバの証人または聖書の神を愛だと信じてる人に質問
私は論理的に考えて、全知全能の神様が作った世界が、今こんな体たらくになっている時点で、愛の神とは思えないんですが…。
それはサタンが招いた結果?人間がサタンの誘惑に負けた結果?
そういうサタンや人間を生んだのも神様なわけですがその点についてはどうお考えなのでしょうか?
結果ばかり見ないで今まで神がどんなことをしてくださったか、どんな方法で愛を示してくださったか考えるべきといわれますか?
私は神が最初に世界を作ったとき、み使いを作ったとき、人間を作ったとき、神は現在のような結果も予知できたはずだと思います。だって全知全能ですから。私だったら愛しているなら作りません。私が全知全能の神様だったら復活しない人間、み使いが出てきてしまうなんて悲しすぎるので、それしか一番いい方法が無いならいっそ世界は作りません。まぁできない時点で全能じゃないですけど…。そう考えると今の結果を容認しながら世界を創造した神が、どんなに愛を示してくれたとしても手のひらの上で転がされているような気しかしません。これが不完全な存在(例えば人間)ならね、良いんですよ。至らないながらも善処したんだと言われれば素直に感謝できるかもしれません。しかし、神は全知全能です。その割には不器用というか、なんと言うか…本当に全能なのか?と疑問符を打ってしまいます。もしこれで全能というのならとても愛の神とは思えません。
第一、なんで完全な状態でこの上ない幸せな世界に住んでいたならサタンとかエバは神様に反抗してしまったんでしょうね?自分のほうが上手く世界を統治できると思ってしまったのは、神様に何か至らないところや疑問に思うところがあったからでは?サタンや人間だけが攻められるのも腑に落ちません。まぁ神様の世界なんで好き勝手したら良いんですけど、それなら自分のことを全能だとか至高の存在だとか公正で愛の神だとか言うなと思ってしまいます。
確かに、優しい面も神様にはあると思います。自分のわが子を生贄に差し出したことなんて最大の愛の表れだとよく言われていますね。そんな愛の証明さえも、もともと世界を作った動機に愛なんてあったのかと思ってしまう私にとっては???です。所詮何でもできる完全無欠で公正な間違いを何一つ犯していない神様にとっては創造するときに容認した一つの予想できたプロセスであって、茶番なんじゃないのと思ってしまいます。
ちょくちょくノアの洪水とか、カナンの人たちを侵略したりしますけど、まさに信じるものは救われるといった感じで、「信じる人には」優しい神様ですね。最後に大掃除して信じている人のみは復活もさせてあげるそうですし。でもそれって自分に賛同しない人は死ねってことじゃないですか?それって愛なんでしょうか?
などなどの事がありまして、私には神が愛だと信じる人の気がしれません。どうかこんな私にも少しは理解できるように説明してくださいませんか?
色々失礼なこと言ったかもしれませんが、神が愛だと信じている人はどういった理屈で信じているのか純粋に知りたいだけなんです。ごめんなさい。
よろしかったら神が愛だ。と論理的に説明できるほど確信を持っておられる方、お答えいただけると幸いです。
お礼
どうも。情報ありがとうございます。 奥崎先生がご存命であったということでうれしいかぎりです。