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受験エレジー - 大学授業料の負担と過去の受験の思い出
- 大学の授業料は私立大学の場合、軽く年100万円を超えているようで、家計にはとんでもない負担です。
- 進学の恩恵に浴する大学のレベルが高くなる一方、今時の親御さんは大変ですね。
- 私の受験経験では、中学受験の方が大学受験よりも緊張しました。受験料の差額を誤魔化すために嘘をついた思い出もあります。
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大学受験で生まれて初めて東京にやってきた者とっては、小さなことでも結構驚きの連続でした。まず、受験会場の大学では、教室はもちろんグランドの片隅のトイレのような小さな建物まで暖房が入っていました。私は九州の出身ですが小・中・高の12年間冬の教室には暖房はありませんでした。(高校の教室にはストーブがありましたが、使用するのは夜間の定時制だけ)東京って豊かなんだと素朴に感動しました。 2次試験の初日、大学の裏門から退場する際、何人もの母親が迎えに来ていて、「◎◎ちゃーん」と我が子の名前を呼び、受験生の息子が「はーい」と答えていました。そのとき初めて「こんな奴らには負けたくない」と、真剣に思いました。 同じ高校から東京の大学を受験する生徒の多くは文京区本郷の旅館に一緒に宿泊していました。受験が終わって九州に帰る際、東京大学の本郷キャンパスを見て「大学らしいけれど何という大学だろう」と真顔で聞いた田舎者がいて皆びっくりしました。彼自身がその東京大学を受験していたからです。たまたま1次試験も2次試験も駒場キャンパスだったので、知らなかったのです。「これがお前が受けた東大たい」と盛り上がったことは言うまでもありません。 第2志望の大学は横浜にあり、当時「受験生向け宿泊施設」になっていた「氷川丸」に泊まりました。中華街の料理店の前に「(受験予定の)大学◎◎部様」という予約の看板が出ていて、横浜もいいなと感じました。 第1志望校の発表の際、直ぐに見に行く勇気がなく、最寄りの地下鉄丸の内線の駅の近くにあった小さなパチンコ店で手を動かして(電動ではなかった)気を落ち着かせ、多少玉が出たので、「これはいけるかも」と思って見に行ったら合格していました。今から47年前の3月のことです。 入学当時の国立大学の授業料は月額3000円で、半期分の1万8千円ずつ大学の窓口で支払っていました。留年して同級生となった2年先輩は月額1000円(半期で6000円)で羨ましく思いました。当時は入学時点の授業料が卒業するまで適用されていたからです。ある意味では「古き良き時代」でした。
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- EH1026TOYO
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--受験に関する思い出-- →小生にとって<受験>に関する思い出は悪しきものばかりだった・・(-̯-) 小生にとって糞先公野郎の所為で正しく鬼門となった「英語」と「理科」 救いは・・ <高校受験>では英語が得意な二人の女子(二人共結構可愛かった!)から色々と教えて貰った事・・! 我乍ら理科の参考書選びが適切(だった・・!?)と思った事・・! <大学受験>に関しては思い出すのも不愉快になるので敢て詳しくは書かない・・! ロクでもない糞高校を自分自身で選んでしまった事が自業自得で返す返すも恨めしく腹立たしい・・! 「出る単」は小生には難しすぎた・・! 不運にも糞先公野郎に当ってしまった受験教科だった「物理」と「化学」 当時の事を想うと今以て"恨み"が湧上ってくる・・! 奴らが既にくたばっている事が、小生にとって小さな"慰め"になっている・・! 小生の如き盆暗を母子家庭だったにも拘らず学校に上げてくれた母堂と授業料を援助してくれた叔母には感謝している・・! こんなところ・・!
お礼
EH1026TOYO さん、こんにちは。 お礼が遅くなりました、申し訳ありません。 ><高校受験>では英語が得意な二人の女子(二人共結構可愛かった!)から色々と教えて貰った事・・! 何よりじゃありませんか、後々考えてみると、受験になんて大した意義はありませんでした、それよりも 目くるめく出会いの方がよほど大切でしょう。 >「出る単」は小生には難しすぎた・・! 飽きたり・忘れたり・・、何しろ 5 ~ 6 ページから先に進んだ事がありませんでした、そんな状況で受験したんですものねぇ、我ながら恥ずかしいです。 >小生の如き盆暗を母子家庭だったにも拘らず学校に上げてくれた母堂と授業料を援助してくれた叔母には感謝している・・! うちも似たようなものです。 回答ありがとうございました。
- keaget09
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isokenさまこんにちはです。keaget09さんですよ~。 プロフ画変えました~。 ・・・ま、それはいっか。 さて、受験といえば、私は高校受験しか受けていないので、甥っ子のことです。 去年の1月。 センタ-試験でした。 『おうし座が1位じゃないから学校行かねぇ!』って言ってた彼が。 『俺の部屋に入んな!さわんな!息もすんな!』」ってめっちゃくちゃなことを言ってた彼が。 箱根駅伝常連校で、東京でも屈指の、あの大学を受験し。 現役一発合格をしました。 相手は箱根駅伝に毎年出ている、あの有名な大学。 『おうし座が1位じゃないから学校行かねぇ!』って言ってたんですよ? 暇さえあればポケモンでGO!をやってたんですよ? 絶対勉強とかしてないだろうし、あの大学に現役合格とか・・・・。 え!?マジ? 何で受かったんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~! 実はひそかに猛勉強してたとか? 『じゃあいつやるか?今でしょ!』のあの先生もびっくりなんじゃないでしょうか。 と、めちゃくちゃ失礼なことを言ってしまいましたが、ホントは私が一番喜んでいたのでした。
お礼
雨音さん、こんにちは。 >箱根駅伝常連校で、東京でも屈指の、あの大学を受験し。 >現役一発合格をしました。 >相手は箱根駅伝に毎年出ている、あの有名な大学。 ひょっとして スクールカラーがグリーンのあの大学 ? 、お洒落度 ・日本一と言われる あの大学ですか?、実は 私の母校です。 >実はひそかに猛勉強してたとか? 文系の教養課程が 青山キャンパスに戻ったと言いますから、若干 偏差値の上昇はあったでしょうが、そこまでの猛勉強は必要ありません、私は全く勉強しないで 受かりましたから。 回答ありがとうございます。
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
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今思えばあんなに緊張し神経をすり減らした事は無かったような 私ではない 娘の中学受験 娘が急に中学を受験したいと言い出したのは 6年生になってからでした。(もう遅しの頃) 慌てて新しい塾を探し、ピアノもバレェもやめさせ とにかく受験一本の体制にし 土日祝 夏休み冬休みはお弁当を2食持たせ 朝から晩までの猛勉強 特に冬休みはこれ以上出来ないくらいの勉強 平日も学校から帰ると塾に直行し 帰ってきてから又勉強 私は仕事をしながらも、もう受験しか頭にはなく いろいろ情報を仕入れるのに東奔西走。 「あの学校では、親御さんの試験がありますから お母さんしっかりなさって下さい。」 他家ではほとんどお父さんがお受けになるようですからと励まされ 「いえ。大丈夫です。試験は私も好きですから」と言っては見たものの こちらまで勉強があるとは はぁ~。筆記 面接 親娘共々の戦いでした。 受験番号は関係ないと言いながら、夜明け前から 番号を手にするため早く起きて寒い中を並んでみたり (私は朝が苦手) そして第一志望の合格発表を見た途端 急に熱が出て家に帰って計ったら40度近く ふらふらと倒れ、寝込んでしまい 一週間は起きられず トイレに行くことも困難でした。 今だったら「コロナでは」と大騒ぎでしょうね。 幸い受験した学校は全部合格し、娘は第一希望校に入学することが出来ました。 あんなに緊張したことはないです。 今でも「あの時は・・・」と言うと もう100篇以上聞いたよと言われます。 受験生を持つと 子供も大変ですけれど 親はもうへとへとですね。 それからお金の心配もありますし はぁ~~ もう2度とあの思いはしたくないと思ったのに 次は孫で又駆け回る有様でした。 いやはや受験は親も戦争ですよ
お礼
purimuro-zu さん、こんにちは。 >今思えばあんなに緊張し神経をすり減らした事は無かったような私ではない 娘の中学受験 「 渋谷の白鳥 」 ・・ 広尾 というか 麻布 と言うか、何れにしても 東京屈指の好立地、 且つ 制服自体に固定ファンがいる、 唯一の女子校ではなかったでしょうか。 あの制服の可愛らしさ 並びにお洒落な着こなし、もっと褒めちゃうと 女生徒の隙の無さ & 礼儀正しさは、恐らく 東京一 であったろうと思います。 近くにある 青学 中等部・高等部の女生徒のような、 「 砕けた感 」 が全くありませんでしたね、 厳しいと聞いていた 校則の影響なのでしょうが。 >「あの学校では、親御さんの試験がありますから > お母さんしっかりなさって下さい。」 ひぇ ~ ~ ~ 、親の試験まであるのですか、お受験で 御両親の面接と言うのは よく聞く話ですが・・。 >それからお金の心配もありますし >はぁ~~ 友人の孫が 青学幼稚園に通っていたのですが、任意の寄付金 ( 任意とは言え 精神的には ほぼ強制でしょう ) を含めた初年度納入金が 、ちょっとした大学の 約2倍 ~ 3倍 掛かったそうです。 ハナタレ小僧の どこをどうふるいに掛けるのか・・、一度聞いてみたい気がします。 回答ありがとうございました。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3892/25656)
isoken大センセお邪魔します 私は高校受験がピークでしたね 一応進学校に入学、そこで緊張の糸がプツンと切れてしまいました 短大受験は「今の頭で行ける所に行こう」です 神戸にも出たかったしね 国立文系コースに進んだのですが、全く勉強について行けず、です 高3の秋、推薦でたったと行き先を決めました センター試験も受けていません そんなこんなでズルズル人生が今も続いております
お礼
ミッタン、こんにちは。 お礼が遅くなりました、申し訳ありません。 >一応進学校に入学、そこで緊張の糸がプツンと切れてしまいました よくある事でしょう、何か特別な インセンティブ でもない限り、嫌いな分野での努力は続かないものです。 因みに 私も勉強は大嫌いでした、出来れば どこかそこそこの大学に 推薦 で潜り込みたかったのですが、高校も出席日数ぎりぎり・・学校のお情けで卒業したクチですから、 無理な相談でしたね。 >そんなこんなでズルズル人生が今も続いております 私だって似たようなものです、右に同じ。 回答ありがとうございました。
- kamejrou
- ベストアンサー率17% (191/1107)
こんにちはisokenさん リニューアルで 使い勝手が悪くなりましたね 質問を読みながらの 回答ができません 受験エレジー? もう今まで芋 何度かお話ししておりますし 繰り返しになりますが ご容赦ください 今の 親御さんは 大変でしょうね 地方から 東京の大学となれば 仕送りやら 授業料 ですものね 私の頃は 共通一次や 偏差値などない時代です 受験は 高校と 大学の 二つだけです 高校は 自分の口で言うのもなんですが まあまあの レベルの高校でした 私は地元の 札幌の 大学に 進むつもりは更々ありませんで 吉幾三の歌ではありませんが、オラ 東京さ行くだ!アハハハ 何しろかにしろ 東京へ行きたいわけですよ 父親も許してくれましたし 少し余談なのですが これは以前にも話したと思いますが 父は13人兄弟の 次男坊でして お定まりの 貧乏人の 子沢山です 祖父は 網元でしたが 昔ですから 裕福なはずもなく 田舎にしては 少し賢かったのでしょう 幼くして 養子に出されたそうです 養子先の方が 東京の 明治大学へ 行かせてくれたそうです 母の言葉によると 歓呼の声に送られて 出征兵士のようであった まあ今、 明治大学と言っても 驚くに当たりませんが 父は明治の 終わりの生まれの人でしたから 田舎町では そんなものだったのでしょう? その父の自慢の口癖が 俺は浅沼稲次郎と 肩を組んだ仲だ それと連隊長の 馬のくつわを取った 馬の轡は 分からないでもありませんが 浅沼稲次郎は 少し時間が違うアハハハ 話を戻しますが まあ自分の そういう境遇もあって 快く 許してくれたのでしょうね 東京へ 受験に出かける前に 度胸をつけるためにということで 何校か 受験しました 函館に 冬至T海 大 分 校がありまして わざわざ 函館にも出かけたりしました 受験料は 当時 どのくらいでしたでしょうね? もう50年以上 昔の話ですし 忘れておりますが さて東京へ 出かける日が きまして 本人は自信満々なわけですよ もう入学したつもりでいるアハハハ 学校の前に 襟章やら 角帽を売ってる店がありまして ついでだから買っておこう! 井の 中の蛙 大海を知らず、 と言いますが 結果は私の受験番号がどこにもない それから先はisokenさん ご存知の通りです この学校に 合格するためには この予備校でなければいけないと 屁理屈を言いまして 東京に居続けました 最後に あの頃の北海道は 公共事業への 予算が潤沢でしたから 公共事業の 会社を興していた 父としては まあ一人息子の 我儘を 許してくれたのでしょうね まだ話したいこともありますが 長くなりましたので ここいらにしましょう
お礼
kamejrou さん、こんにちは。 ところで 3 ~ 4 日前、例の 「 鵜 の 岬 」 から案内状が届きました。 部屋は 4F 風呂付の和室だそうですが、別にリビングが付いておりまして、結構広そうですね。 夕食は 4コースの中から、一番高いのと一番安いのをチョイスし、家内と分け合って頂こうと思います、あまり量が多いと食べきれませんから。 一方 観光の方は、ちらっと 潮来 も頭を翳めたのですが、そっちに回っちゃうと相当な遠回りになるようで、結局 常磐道経由で行く事になりそうです。 それと ゴルフをしたいと 家内が言うものですから、付き合わねばなりません、実は敵さんの誕生日なのです、何回目かは まあ 言わぬが花でしょう。 >今の 親御さんは 大変でしょうね >地方から 東京の大学となれば 仕送りやら 授業料 ですものね 今時の事は 皆目分かりませんが、40年前の私の時代 ですら、 仕送りの水準が 月10万円近かったと記憶しております。 授業料がそれ相応に安く、風呂無しアパートが当たり前の時代ですらそうでしたが、仮に 住宅ローンを抱え 2人の子供を大学にやらねばならない御両親の事を考えますと、少なくとも 費用対効果の高い 大学に行ってもらわねば・・なんて思っちゃいますねぇ。 >まあ今、 明治大学と言っても 驚くに当たりませんが 父は明治の 終わりの生まれの人でしたから >田舎町では そんなものだったのでしょう? 質実剛健 ・・ 昔の校風から脱皮して、 明治 はお洒落な大学に変貌を遂げつつあります、元々立地条件が良かった キャンパスもモダンになりましてね、昨今は ギャルに人気が高いそうですよ、我々の時代とは大違いでしょう。 >さて東京へ 出かける日が きまして >本人は自信満々なわけですよ >もう入学したつもりでいるアハハハ そりゃ 何し負う 「 都の西北 」 ですから、いつの世も 行きたい若者はごまんといる訳で、そうそう簡単に入れるところじゃない。 私の場合 全く逆でした、こっから先も自信が無いものだから、合格発表日を親にも告げず 1人でこっそり出掛けまして、コソ泥が覗くように 恐る恐る掲示板を見たのですが、何とまあ 番号があるじゃないですか。 本命の 上智 こそ落ちましたが、受験勉強はほぼゼロ・・、あれだけ遊んで どうにかなっちゃうとは 我ながら驚きでした、そこそこ勉強すれば 東大も不可能ではないんじゃないと、思い上がりましてね。 もっとも 人並みの努力が出来ないところが、私の私たる所以なのでしょうが。 >この学校に 合格するためには >この予備校でなければいけないと 屁理屈を言いまして 東京に居続けました 例の X X X 予備校 ですね、浪人必至だった私も パンフレットを取り寄せましたが、行かずにすんで良かったのか、それとも悪かったのか。 >あの頃の北海道は 公共事業への 予算が潤沢でしたから >公共事業の 会社を興していた 父としては >まあ一人息子の 我儘を 許してくれたのでしょうね 向学心が強い若者にとって 実家の経済力は、 今も昔も 決して 避けては通れない 永遠のテーマでしょう。 その一方で 、 学歴と組織に縋る 旧来型の迂遠な方法論は 廃れつつある気がします、昨今の才能ある若者は 組織に属さず、いきなり起業して 直截的に金を掴みに行きますものねぇ。 さて 年内の タイ ・・、正直 厳しいかも知れませんが、環境さえ整えば 飛行機で僅か数時間の行程ですから、いつだって行けます、今や 海外なんて 国内旅行と変わりはしません。 kamejrou さんに推薦したい ホテルだって腐るほどありますしね、お互い 長い目で見ましょうよ。 それと カンチャナブリ はまた別にして、 バンコク の本当の良さは、 チャオプラヤ川 の両岸に点在する 仏教寺院にあるのではないかと思うのです。 三島由紀夫 著 『 暁の寺 』 で有名な ワット・アルン を始め、 ワット・プラケオ ( エメラルド寺院 ) 、 ワット・ポー ( 涅槃寺 ) 他 名刹が目白押し・・、私は10回以上訪れておりますが、いまだに飽きません。 他方 サイアム という繁華街がありましてね、 バンコク の 銀座 と言って良いのでしょうが、そんな場所に 違和感なく托鉢僧が闊歩し、今時の女の子が 浄財を施す光景を何度か目にしました。 大乗仏教と小乗仏教の違いはあるのでしょうが、タイの方々の 良質さを感じずにはおれませんね。 回答ありがとうございます。
- lolipop-sapporo
- ベストアンサー率23% (760/3195)
高校受験の時は、まったく苦労した記憶がありません。塾にも行かずに、中学校の授業のみで受験前の模試を受けたら、地域の偏差値トップの高校(私の父の母校)にギリギリ行けるかどうかの判定だったので、安全策でその次の高校(母の母校)を受験することにしました。 で、試験本番ではなぜか高得点をたたき出し(笑)、周囲から「なぜ偏差値トップの高校に行かなかったのか」とツッコまれる羽目になりました。 そんな経緯で入った高校なので、高校時代は勉強も遊びも「中途半端」になり、予備校で勉強し直すこととなりました(笑)。その予備校には高校の友人たちも多数入学し、模擬試験の結果発表が張り出されると、どういう訳か高校の友人たちと私が各教科の上位に何人も名を連ねたのです。進学校でもない無名の高校(名前と一緒に出身高校名も記載されます)なので、「なんだあいつらは」とかいう声も聞こえてきましたが、実は総合得点では誰一人上位にいなかったので、仲間内では「一教科完全燃焼(笑)」と言ってネタにしてました。 大学受験では、当時の「共通一次」と「小論文」と「内申書」が受験科目で、面倒な二次試験のなかった公立大学を受けたら合格してしまいました(笑・補欠でしたけどね)。
お礼
lolipop さん、こんにちは。 >高校受験の時は、まったく苦労した記憶がありません。塾にも行かずに、中学校の授業のみで受験前の模試を受けたら、地域の偏差値トップの高校(私の父の母校)にギリギリ行けるかどうかの判定だったので、安全策でその次の高校(母の母校)を受験することにしました。 lolipop さんは 札幌 で高校時代を過ごされたのでしょうか? 実は 大学のクラスメイトに札幌出身が3人もおりまして、それなりに仲良くしていたのですが、北海道の事を 皆目知らなかった当時の私には、彼等に ほぼ訛りが無かった事が 新鮮な驚きでした。 >試験本番ではなぜか高得点をたたき出し(笑)、周囲から「なぜ偏差値トップの高校に行かなかったのか」とツッコまれる羽目になりました。 はなから鶏口を目指したと、都合よく解釈すれば良いんじゃないでしょうか。 「 弘法 筆を選ばず 」 ・・、名門校で鎬を削るのも 悪かありませんが、偏差値が低い地元の公立から、 東大 に行っちゃう人もカッコいいですから。 >大学受験では、当時の「共通一次」と「小論文」と「内申書」が受験科目で、面倒な二次試験のなかった公立大学を受けたら合格してしまいました(笑・補欠でしたけどね)。 確か 群馬の大学ではありませんでした?、薄っすらと記憶にあるのです。 回答ありがとうございました。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
いわゆる受験生のピーク世代の頃でした。とにかく受験生が多いので、偏差値もインフレ状態。今の大学の偏差値を見ると「はあ?ふざけんな。俺達の頃は今より5は高かったぞ」と思います。 そして管理教育の時代でもありました。まあ数が多いのだからいちいち面倒なんて見ていられないというのは大人になった今ならしょうがないと思います。けれど「ついてこれるやつだけ、ついてこい。落ちこぼれを拾ってやる余裕はない」という感じでした。それで不幸にも落ちこぼれにされてしまった人たちがどれだけいるのかなと思います。学校の授業もあからさまに「とにかく先に進まなきゃいけないから、質問するな。分からないことがあったら塾で聞け」って感じでした。まあその反省があのゆとり教育になったのですけれど・笑。 高校受験からして大変でしたね。落ちて落ちて、滑り止めの滑り止めでようやく1校だけ合格したなんて子はあまり珍しくありませんでした。そして私も勉強しない子の典型でした。逆に、みんなよく真面目に勉強していたんだなあと思います。確実に、10代で勉強した時間より、20代で勉強した時間の方が長い。 そんな中でスパルタ塾がありましてね。やらないとこっぴどく怒られるんですよ。殴りはしないけど、その寸前まで。私はたぶん、そこで一番怒られていたやつでした・笑。あまりに怒られ過ぎて「勉強やるより怒られたほうが楽」になるくらいでした。だけどあの塾で無理やり勉強させられたおかげで高校に合格したと思うので、恨み言は一切ないです。その塾はその後なくなりましたが、今でもその前を通るのはなんとなく嫌です・笑。 けれどいつもこっぴどく怒られた英語の講師は「俺はeroeroが大好きだ」といってました。いつも赤点寸前のテストしか持ってこなかったのにね。一度だけいい点をとったときはこちらが恥ずかしくなるほど喜んでくれました。その後どうなったのか存じませんが、その講師には「僕、20代で英語を使う仕事をしたんですよ」って伝えたかったですね。 「落ちこぼれは、勝手に落ちこぼれていろ。頑張っているやつは沢山いる」って時代に育った世代としては、今の至れり尽くせりの教育で落ちこぼれちゃう子を見ると「なんでそんなに手厚くしてもらってるのに落ちこぼれちゃうのー?」なんて思ってしまいます。
お礼
eroero さん こんにちは、お久し振りですね。 >いわゆる受験生のピーク世代の頃でした。とにかく受験生が多いので、偏差値もインフレ状態。今の大学の偏差値を見ると「はあ?ふざけんな。俺達の頃は今より5は高かったぞ」と思います。 恐らくとしか言えませんが、 eroero さんは 私より 若干後の世代ではないでしょうか。 共通一次試験の余波を受け、所謂 難関でない国立大学の多くが偏差値を落とした代わりに、 東京の私立が その実態以上に偏差値を上げた時期がありまして、そこいらの微妙な見直し・ アジャスト と無縁ではなかったように思います。 それと余談になりますが、情報化社会の弊害と言いますか、かつて存在した 情報のタイムラグが齎す悲喜劇は、 最早存在し得なくなりましたかねぇ、つまり 穴場的存在は有り得ないという事でしょう。 >学校の授業もあからさまに「とにかく先に進まなきゃいけないから、質問するな。分からないことがあったら塾で聞け」って感じでした。まあその反省があのゆとり教育になったのですけれど・笑。 現在の 30代半ば以降の10数年ですよねぇ、私とは 2回り以上違いますから、企業人としての直接的な関りは殆どないのですが、所謂 ゆとり世代に関しては、まあ 個人的に 色々と聞いております。 それが 良いか悪いかは別として、部下に持たなくて良かったなぁ ・・ とは。 >確実に、10代で勉強した時間より、20代で勉強した時間の方が長い。 eroero さんの御意見は、自身が持つ実感として 100 % 支持出来ます、高校はおろか、言っちゃ悪いが 大学の講義ですら 、実社会に直結するサムシングは皆無、勤め人としての1年は 大学4年間に匹敵しますから。 結局 総論は教えても 各論を教えない場所なんですよね、日本の大学とは・・、依って 学歴を除いた ほぼ全てをリセットせねばなりませんでした。 デイリーの業務は除き、新人時代 私が一体何をしていたかと言うと、接待の男芸者や 通夜・葬式要員・・、更には 電話を掛けまくって、 客先が出掛けるゴルフのスタート取りでしたねぇ。 それでも尚、 そこそこの大学に行かねばならない現実は変化しておりません、何せ今だって 大企業への エントリーシート を手に入れる為の道だって事には、変わりないようですから。 >そんな中でスパルタ塾がありましてね。やらないとこっぴどく怒られるんですよ。殴りはしないけど、その寸前まで。 戸塚ヨットスクール みたいなものですか? >「落ちこぼれは、勝手に落ちこぼれていろ。頑張っているやつは沢山いる」って時代に育った世代としては、今の至れり尽くせりの教育で落ちこぼれちゃう子を見ると「なんでそんなに手厚くしてもらってるのに落ちこぼれちゃうのー?」なんて思ってしまいます。 落ちこぼれに 理屈なんてありませんよ、目の前の現実が全てです。 回答ありがとうございました。
- f272
- ベストアンサー率46% (8469/18132)
大学無償化がすでに実施されていることを知らないのでしょうか? 全員が無償になるわけではありませんが,所得の低い世帯であれば大学等の授業料,入学金などの減免と奨学金の給付があります。住民税非課税世帯であれば国立大学にはタダ(授業料免除)で行くことができてお小遣い(奨学金)ももらえるという制度です。年収がもう少し多くて380万円程度あっても住民税非課税世帯の1/3が支援されるので大変お得です。私の時代よりも恵まれていますね。 > 受験に関する思い出 私が入学試験を受けたのは,高校受験のときと大学受験のときの2回です。どちらも1校のみの受験でした。高校受験のときは不合格でもその後に別の学校を受けることはできましたが,大学受験のときは合格発表のあとには受験できる大学は残っていませんので浪人覚悟です。と言いつつも受験して合格発表までの間に大学の近所に引っ越ししたのですけどね。 大学院にも行きましたが入学願書を出すだけで試験はなく書類審査のみでした。
お礼
f272 さん、こんにちは。 >大学無償化がすでに実施されていることを知らないのでしょうか? 全く存じませんで 失礼しました 回答ありがとうございました。
- 31192525
- ベストアンサー率19% (705/3542)
isokenさん、こんにちは。 わたくし共通一次元年です! 文系3科目しか勉強してませんでしたので、国立は見送り、地元の私立を受けました。なめきっていてロクに勉強しなかったら、日本史で「日本銀行令について述べよ」という設問に万歳、万歳、万々歳!! 英語も赤本に乗っていたレヴェルより何故かはるかに上で手に合わず。国語は満点だったようですが・・・玉砕しました。 結局隣県の3流私大に中途入学しましたが3カ月で首席中退しました(笑) 下宿先が旅館でしたので、温泉に入りに行ったようなものです。
お礼
31192525 さん、こんにちは。 >わたくし共通一次元年です! 31192525 さんも 共通一次元年でしたか、 同い年ですね。 あの年は、今に至る 東京の私立一極集中に歯止めが掛からなくなった、 メルクマール と言って良い年ではなかったでしょうか。 >国立は見送り、地元の私立を受けました。 従来 国立を受験していた 地方学生の多くが、 一発勝負を嫌って回避・・または 私立との併願を模索した為、あの年 東京のミッション系私立は、洒落にならない状態になっておりまして、競争率が普通に30数倍から40倍越え・・。 無論 大学側も歩留まりを見越して 水増しはしていたのでしょうが、それでも グロスの競争率が 軽く10倍を越えまして、私の同級生などは 死屍累々の惨状を呈しておりました。 >英語も赤本に乗っていたレヴェルより何故かはるかに上で手に合わず。国語は満点だったようですが・・・玉砕しました。 正攻法では どこにも入れないと思った私は、視点を変えて、マークシートの傾向と対策を徹底的に分析しました。 例えば 5者択一の中には、明らかに正解でない例文が最低1つ・時には2つ含まれておりますから、残りの 4つ或いは 3つの中から、どう正解を嗅ぎ分けるかという点に於いてです。 >下宿先が旅館でしたので、温泉に入りに行ったようなものです。 今になって思えば、正直 大学なんてどこに入ろうが大した問題じゃない、それよりも 毎日温泉に浸れる環境の方が羨ましいです。 回答ありがとうございました。
- 戦艦みかさ(@mikasa1905)
- ベストアンサー率14% (675/4694)
イソケンさんこんにちは。華のキャンパスライフを謳歌したイソケンさんも、受験はそれなりに苦労したんですね~。 娘が来年大学受験となります。県外の国公立志望ですが家からは通えないのでまさしく負担増です。寮に入れればいいんですが、アパート一人暮らしは怖いというので、どうせ私はリモートワークだし、一緒について行っちゃおうかななんて笑 さて私の受験エレジー。市内の商業高校を受験しました。正直私は商業に興味がなく本当は工業の方を学びたかったのですが、親友たちや密かに恋していたMちゃんも志望していたし、女子が数えるほどしか居ない工業高校より、7:3で女子が多い商業高校での青春ライフを夢見ていたのです。 で、実際受験となると、親友たちは頭悪すぎて、ランクを下げて農業高校を受験したり、滑り止めの高校で「単願にすれば合格枠」?になっちゃったり。Mちゃんも農業高校へ行ってしまって、気付けば独りぼっち、、、逆に私は志望校に対して頭良すぎてトップ入学。父親に送ってもらって合格発表を見に行ったら職員に声をかけられて応接間に通されて、入学式後の対面式でのスピーチを依頼されました。実は父親も同じ高校出身で、当時不良だった父が散々迷惑をかけた担任の先生がそのときちょうど校長になっていたので、息子が仕返しされてるんじゃないかと内心ドキドキして車で待ってたそうです笑 夢見た青春高校ライフ、、、たしかに女子が多く可愛い子もたくさん居ましたが、一年時は男女別クラスで一切交流を持てず。そして私は、本来いじられキャラなのにトップ入学という看板で変に一目置かれてしまい、キャラと周りからのイメージが一致せず浮いた存在に。友達はあまりできず、過酷な部活でヘトヘトで授業は興味ないし眠いしで、廊下ですれ違う可愛い子をチラ見するだけのカラッカラの高校生活でした。 辛すぎる部活をやめて二年になり、ある大失敗をしたことで「コイツもしかしてバカなんじゃね?」ということが判明したようで一気に友達ができ、女子との交流もある楽しい高校ライフがやっと始まったのでした。
お礼
mikasa さん、こんにちは。 >華のキャンパスライフを謳歌したイソケンさんも、受験はそれなりに苦労したんですね~。 あの頃の モチベーション は、入学後 ただただ女の子を行きまくる・・その一点だけでした、そこいらはほぼ 大願成就しましたが。 >娘が来年大学受験となります。県外の国公立志望ですが家からは通えないのでまさしく負担増です。寮に入れればいいんですが、アパート一人暮らしは怖いというので、どうせ私はリモートワークだし、一緒について行っちゃおうかななんて笑 mikasa さんのお嬢ちゃんの事だから、 東大 や お茶女 ・・ 或いはそれに準ずる大学なんでしょうね、きっと。 美形の女の子って ただいるだけで 周辺の空気が華やぎます、部屋が余ってますから うちに来て欲しいぐらいですよ、良かったら mikasa さんも 御一緒にどうぞ・・、勿論 下宿代は頂戴しますが。 もっとも以前、大学に合格して上京した家内方の姪を 2年間預かった事がありまして、あの時は気を遣ったなぁ。 >さて私の受験エレジー。市内の商業高校を受験しました。 >親友たちや密かに恋していたMちゃんも志望していたし、女子が数えるほどしか居ない工業高校より、7:3で女子が多い商業高校での青春ライフを夢見ていたのです。 ストイックな私は、その種の不純な動機に ついて行けません。 >逆に私は志望校に対して頭良すぎてトップ入学。父親に送ってもらって合格発表を見に行ったら職員に声をかけられて応接間に通されて、入学式後の対面式でのスピーチを依頼されました。 そういう事が実際あるんですねぇ、常にぎりぎりで滑り込んでいた私には 無縁の世界でしたが。 因みに 中学入試にトップで合格した秀才の女の子とは、高校在学中に 男女の関係に陥りました、しかも 彼女から誘惑されて・・、頭脳と下半身との明確な相関関係は さほど存在しないようです。 >夢見た青春高校ライフ、、、たしかに女子が多く可愛い子もたくさん居ましたが、一年時は男女別クラスで一切交流を持てず。 うちは逆で、高1の時だけ 男女同クラスでしたね、2年3年は 成績順の嫌なクラス分け・・の他に、明らかに 落ちこぼれに対する お仕置き ・ 島流し と思える 男クラスが1つ存在しましたが、私はそこの 不動のレギュラーでした。 >辛すぎる部活をやめて二年になり、ある大失敗をしたことで「コイツもしかしてバカなんじゃね?」ということが判明したようで一気に友達ができ、女子との交流もある楽しい高校ライフがやっと始まったのでした。 「 mikasa ~ ~ 、 お久し振り ! 」 ・・、例の A子ちゃん とお近付きになったのは その頃ですか? ところで 先週だかに放映していた 『 寅次郎 夕焼け小焼け 』 如何でした?、 太地喜和子 さん良かったでしょう?、彼女の魅力は きっとお子ちゃまには理解出来ないのだろうと思います、私だって いい歳こいてからですから・・、いい女だなぁと認識したのは。 回答ありがとうございました。
お礼
staratras さん、こんにちは。 お礼が遅くなりました、申し訳ありません。 >2次試験の初日、大学の裏門から退場する際、何人もの母親が迎えに来ていて、「◎◎ちゃーん」と我が子の名前を呼び、受験生の息子が「はーい」と答えていました。そのとき初めて「こんな奴らには負けたくない」と、真剣に思いました。 いや その時代にそれですか、だから 東京者は軟弱だと言われるんですよ、お恥ずかしい限りです。 >同じ高校から東京の大学を受験する生徒の多くは文京区本郷の旅館に一緒に宿泊していました。 直ぐ傍に 東大の赤門がある立地を考えますと、恐らく 丸ノ内線の 本郷三丁目 辺り・・、今は知りませんが 昔は古くて小さな旅館がたくさんあった場所です。 その先の坂を だらだら下って行くと 湯島天神・・、更に先を行くと JR 御徒町駅、途中を左に折れると 同じく JR 上野駅、何れにしても 今も情緒のある数少ない街の一つでしょう。 >たまたま1次試験も2次試験も駒場キャンパスだったので、知らなかったのです。「これがお前が受けた東大たい」と盛り上がったことは言うまでもありません。 何だかんだ言っても 天下の東大 ですものねぇ、大したものです。 >今から47年前の3月のことです。 チューリップ の 「 心の旅 」 が世に出た前後ではないでしょうか、当時私は 中1であったか それとも中2だったか・・。 音楽と受験の違いこそありますが、志を抱いて 同じ九州から上京するその心境には、相通ずるものがあったかも知れませんねぇ。 回答ありがとうございました。