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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「30代」の生き方)

30代の生き方

このQ&Aのポイント
  • 30代の生き方について考える
  • 40代、50代を見据えたバランスの取り方
  • 生涯における一つの事に打ち込む姿勢

質問者が選んだベストアンサー

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  • Komiker
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回答No.3

 お礼を兼ねての補足説明、拝見しました。    私の考えかた行きかたですが、いざ書こうとして、これは容易なことではない、と気づきましたね。というのは、言ってみれば「 私 」を文にすることですから (^o^)。  で、あなたの希望されるものとは違ってくるかもしれないことを承知の上、私がこのサイトに登録し、メッセージを送らせてもらっている気持ちの元を少し書かせてもらうことにしました。  いわゆる世界観、人生観など唱えることもできますが、「 あまり観念的でなく、現実との接点のある回答をいただけたら 」とお思いのあなたには適当かも知れません。  私は現在61歳です。  こどもは3人。いずれも巣立たせました。この条件で私がするべきこと、したいことは、過去に多くの人から受けたものを社会にお返しすることではないかと考え、いまの私の条件でやれることをやっています。OKWebへの登録と回答も、その一手段です。  こういうことを思える元には、私の考えかた行きかたが他のかたのそれとはかなり異なるという事実があります。そして、他のかたが触れることのない角度からの観かた考えかたは、真剣に考え、悩んでいるかたにとって幾ばくかの参考になるのでは、という判断があるのです。  私が日常意識していることのひとつに、「 囚われない 」ということがあります。なにものにも囚われない考えかた行きかた。これが私が当面目指している生きかたなのです。  ここで言う「 なにものにも 」とは、有形無形全てのこと。  このようなことを書くと、「 仏教やインド思想を学んで 」おられるあなたにはピンと来るものがあるでしょうが、私はその方向から辿って来た者ではありません。  「 なにものにも囚われない考えかた行きかた 」の実践で最も意識を要するのは、「 自分の考えに囚われない 」という部分ですね。自己の外界は、往々にして、特に観ようとしなくとも観えますが、観ようとする意識無くして観えないのは自己の内部です。もっとも、「 心の達人 」なら意識無しでも観えるだろうとは思えますが。  ところで、「 囚われない 」とは「 囚われない 」という思いにも囚われないこと。ことがらの合間合間に、ふと立ち止まって自分の中を覗く程度でも、「 いつになったらそのような境地に成れるか 」など思わないのは、このプロセス自体を有為なものと感じているからでしょう。  少し長くなりました。  読み返してみると、書いていないこと、書けないことの多さに気付く文ですが、まぁ、このような手段では多くを書けないものですし、書いたものは私の考えかた行きかたの一片には違いないので、これくらいにしておきます。  あなたへの直接のメッセージとしては >人生における30代という時期の生き方について  このような場合、「 人間 」からでなく、先ずはそれ以前の立場、「 生きもの 」としての在りかたから検べ、考えてみる、というのはどうでしょうか。  「 人として 」とか、「 人間として 」とか、巷間よく使われることばですが、これは本来考えることが難しい前提ではないかと思えるのです。なぜなら、こんにちのヒトは、その特徴を確定したもののように表現できる種類の生きもの( 種 )ではないからです。  他の生物に比べ、極めて特異な発達をした種ヒトについて、「 人間、あるいは人 」としての立場を前提に考えを進めれば、生きもの一般の在りかた、普遍性からは、どんどん遊離していくと思えるのですが、どうでしょうか。 (^^)/。

lindenbaum
質問者

お礼

こんにちは。 過日はどうもありがとうございました。 正式なお礼が遅れておりまして、申し訳ありません。 あの後、アドバイスいただいた内容を自分なりに咀嚼し、 考えも大分まとってきまして、「さぁ、お返事を!」と 思っていた矢先、昨朝から手首に強い痛みを覚え、 実は今、右手が全く使えない状態です。 あまりの痛みに、今朝、整形外科に行きましたら、 腱鞘炎と診断されてしまいました。月末が仕事の締切で、 どうやらその無理がたたってしまったようなのです。 お忙しい中、このような有難いご回答をいただいたにも拘らず、 すぐにお返事をお届けできず、本当にすみません。 とても気になっております。 今、左手の人差し指でチョンチョンと打っています(泣)。 回復次第、すぐにご返信させていただきますので、 もう少しお時間いただけますでしょうか。 あと、補足欄とお礼欄を使い果たしてしまいましたので、 お手数をおかけして恐縮ですが、何か一言打ち込んでいただいて、 新規欄を作っていただけると助かります。 本当にすみません。 どうぞよろしくお願いいたします。

lindenbaum
質問者

補足

こんばんは。 只今、ご回答を読ませていただきました。 心のこもったご丁寧なご返事をいただきまして、 本当にどうもありがとうございます。 質問へのメッセージに加え、 日頃から気になっていること、 また今後学んでいきたいことなど 多くのことが触れられており、 大変有難く、感謝しております。 いただいたご返信はとても深い内容ですので、 もう少し時間をかけて整理し、 改めてお礼文を書かせていただいてもよろしいしょうか。 これは取り急ぎのご挨拶ということにさせて下さい。 (”補足”欄の使用もそのためです) どうぞよろしくお願いいたします。

その他の回答 (2)

  • Komiker
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回答No.2

 61歳、男性です。 あなたのご要望に添う形で、私の考えかた行きかたを書き始めたのですが、少し気になる点があり、それを先にお届けしようと思います。 >人生における30代という時期の生き方について考えています。  と書いておられるのですが、あなたのお考えになった内容は書かれていない。  あなたの性別が明かされていない( 女性のように思えますが )。  このふたつが書かれてあれば、私はこだわり無く考えを書くことができたのではないかと思えます。 「 真摯なご意見を 」と書いておられますね。  補足説明の要求を望まないともお書きになっています。  私には、あなたの文から伝わってくるものが気になります。どのような考えで生活しておられる人なのか気懸かり、と書けば書き過ぎでしょうか。(^^)/

lindenbaum
質問者

お礼

ご返事どうもありがとうございます。 あぁ、どなたからもご回答いただけないのかも……と思っておりましたので、 大変嬉しく存じます。 #1さんからのご指摘もあり、このように深いテーマをお尋ねする以上、 自らの考えにも少し触れるべきだったかと反省していたところです。 ただ、私自身のことを書いてしまうと、それをベースとした回答が寄せられそうで、 その懸念もあり控えさせていただいておりました。申し訳ありません! 私は30代前半の独身女性です。 仕事は自由業で、少しずつ自分自身に近づいてきている実感はあるものの、 まだ仕事とライフワーク方面が分離している状態で、今はその統合が第一の課題です。 結婚なども意識しない訳ではありませんが、 優先順位はやはりその次というのが正直なところです。 生き方に関しては、あくまで私個人の信条ですが、 誰しもそれぞれ持って生まれた使命があり、 それを全うするためのこの人生なのではないかと考えています。 学生時代から仏教やインド思想を学んでおりまして、 理論だけでなく実践を伴う生き方をしたいと望んでいます。 この姿勢そのものには迷いはないのですが、あまりに茫洋としているため(笑)、 もう少し人生に章立てをしてみようかと思いまして、 ぜひいろいろ参考にさせていただきたく、先輩方の人生観をお聞きした次第です。 当初「哲学カテゴリー」での投稿も考えましたが、あまり観念的でなく、 現実との接点のある回答をいただけたらと思い、こちらでお送りしました。 それでは、ご回答を楽しみにしております。 どうぞよろしくお願いいたします。

lindenbaum
質問者

補足

こんにちは。 先だっては勝手なお願いを申しまして、失礼いたしました。 もうこのページをご覧になってはいらっしゃらないかもしれませんが、 締め切る前にどうしても一言ご挨拶させていただきたく、 この欄にてお返事をお送りすることをお許し下さい。 先日もお伝えしましたように、いただいたアドバイスは私にとって、 親しみのあるテーマで、学びたい事柄が多く含まれており、 改めていろいろなことを考える良い機会となりました。 何より、私の倍ほどの年数を生きてこられ、次世代も すでに巣立たせたというKomikerさんのお言葉に 強い説得力を感じました。 「生きる」とはどういうことか──。 それは決して精神論だけでは語れず、この現実世界において 毎瞬毎瞬をどう過ごしていくかの積み重ねであり、 同時に、ヒトという一つの特殊な種の視点からでなく、 より大きな、”生命”を持つものの営みとして捉えてゆくことで その本質が見えてくる。 そういう観点で再び「人生」というものを見つめてみると、 これまでの見え方と全く違うことに驚かされます。 私の質問でいえば「30代」というのは、あくまでヒトが便宜上、 区分している生命の一季節に過ぎないのであって、 それに囚われるとかえってモノが見えなくなる……ということを 教えていただいたように思います。 Komikerさんのおっしゃる、何ものにも「囚われない」ということ、 そういう心持ちで生きることが、結果的に豊かな人生になるのだろうと思いました。 でもここでそれを意識しすぎたらダメなんですよね(う~ん、難しいデス……^^;)。 Komikerさんは「その方面から辿った者ではない」とのことですが、 私の知る限り、禅の世界にも近いものを感じました。 とはいえ、これも瑣末なこと。呼び名などどうでもいいことです!(^o^) 今、Komikerさんからのアドバイスを得て、 <観ようとせずとも観える自己の外界と、意識無くして観えない自己の内部>について、 <生き物一般の在りかた、普遍性>などからアプローチすることで、 「生きる」ことがどういうことかのヒントが得られそうな気がしています。 そして、それこそが、私のこの問いの答えに至る道のように思えます。 テーマからは少し逸れますが、今回あれこれ思いを巡らす中で、 「生命の流れ」ということについていろいろ考えました。 生命というのは、自分が作ったものでもなければ、 親が作ったものでもなく、 究極のところ、「与えられたもの」であること。 そして、その連綿とした流れは、個々人の意思を越えて、 存在し続けていくという事実。 実は、これまで私は結婚やその周辺について考えることはありましたが、 正直なところ、あまり子供が欲しいとは思ったことがありませんでした。 でも、今回のこのテーマをきっかけに、自分の受け継いだ生命の重み、 またその生命を繋いでいく“自然さ”をも考え併せ、 自らの子どもを生み、育て、社会に還元していくのは 素晴らしいことだと思うようになりました。 貴重なご回答を本当にどうもありがとうございました! 心よりお礼申し上げます。<(_ _)>

  • mld_sakura
  • ベストアンサー率20% (264/1282)
回答No.1

「なお、今回は私事の相談ではありませんので、補足質問等はご遠慮いただけると幸いです。」 とありますが、公的な質問ということですか? どちらにせよ、私的な質問でなければ利用規約違反ですが。

lindenbaum
質問者

お礼

誤解を招く書き方だったようで失礼しました。私の個人的な境遇に関する相談事ではないので、あまり質問の趣旨をご詮索下さいませんよう……という意味で、質問自体はもちろん私的なものです。でも、ご指摘ありがとうございました。