そんなことはありません。
「挨拶」は元々が悟りの深さを示す「禅」用語であって、
されたら返し、されなかったから(次回からは)挨拶しない
というような次元のことではないのですけどね。
私などは日々、俳句や短歌作りで、自然や
スチルライフ(=静物)等に挨拶を送り続けています。
ふろく:
全く知らない人に笑顔で挨拶されたら訝しく感じられて、
中には恐怖感を覚える人がいるかもしれませんし、
更なる違った視点もあります:
「現代人は挨拶を知らないという。いや、知らないのではなく、
本能的に挨拶の大変さを知っているのかも知れない。
挨拶にともなう責任の大切さを知っているのかも知れない。
挨拶をしないということは、連帯を恐れ避けているということでも
あるのだろう。 (三浦綾子『ナナカマドの街から』)」
茶道の「一期一会」の精神を身に着ければ、
アナタ様の人生観・価値観・美意識・人生哲学etc.が
変わってくる筈ですので、これからは、
日々、そのスタンスで過ごすようにしませんか。
「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。
(正岡子規『病牀六尺』21章)」
無視は、我慢、メンドクサイ、諦めなどと共に
怒りの表現の一種なので、そうした負の感情エネルギーとは
ご縁がない方が宜しいのではないでしょうか。
これからのアナタ様の人生航路が
豊饒&豊穣であることを
祈って、おります。
「The joy of living is the joy of giving. (『Lover Come Back』)」
「外界は自分の心の鏡である。 (Orison Swett Marden)」
Bon Voyage!