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天皇誕生日 天皇の初期の実在
(1)明治天皇(11月3日)、昭和天皇(4月29日)の誕生日は名前を変えての祝日として残っているのに、 どうして上皇殿下の誕生日の12月23日は、平日になったのですか?? おかしいよう感じるのですが?? (2) 天皇陛下のうち、実在が明らかなのはいつくらいから? 池上彰の番組を見ていて思いました。 昔の天皇は神話で語られたりしていてますが、伝承上の存在ではなく 記録等により実在がある程度確実視されるのは一体いつくらいのなに天皇あたりからでしょうか?
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(1) 上皇陛下の誕生日が祝日にならなかったのは、上皇陛下のご意向であろうと思います。 「陛下の誕生日を祝日にしたいと思いますが」と上申したら、上皇陛下のこれまでの言動から考えて、お断りになるだろうと思います。 崩御されてから、今上陛下に伺えば、「国民の皆さんのお心しだいに」とか言おっしゃるんじゃないか、と思いますよ。その結果、祝日になるかもです。 (2) 手元の「天皇家125代」という本によりますと、神武天皇は127歳で崩御したようです。 で、2代が84歳ときて、以下67歳、77歳、114歳、137歳、128歳、116歳、111歳、119歳、139歳、143歳、107歳、不明、111歳と来て、第16代仁徳天皇(在位313年~399年)が143歳 100歳を超える人は現代でも珍しいですし、これだけ長命が続くことはありえんでしょう、当時としても現代でも。 17代以降数代、仁徳天皇の息子が即位するものの、行年は不明。 第20代安康天皇から56歳、62歳、41歳、という具合に、ありそうな年齢で崩御する天皇が増えます。100歳を超える人はいなくなります。 この人以降、死因に「病死」「殺害された」とか、エピソードが具体的になります。 なので、蔵職を設けて国の財政を整えたといわれる第17代履中天皇(宋書にいう『倭の五王』の最初の王 讃らしい)から実在なのではないか、と推測します。 継体天皇は、応仁天皇の5世の孫とされていますが、5世も離れたら他人です。継体天皇はそれまでの天皇家とは血統が違うのだ(継体=他人が天皇制という体制を引き継いだ)が、他人では困るので「5世の孫」と後付けで理由をくっつけたと考える人・本が多いように感じます。 少なくても、継体天皇は天皇制を引き継いだのだから最初の天皇ではない、というふうに考えられます。
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- fujic-1990
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> 当時は2年で1歳年を取る数え方だったので その数え方で100歳なら、実は200歳だったって事になりますね。 2年で1歳年をとり、つぎの2年でまた1歳、つぎの2年でまた1歳、合わせて6年で3歳ですから、4歳になるには8年生きないといけないし、100歳になるには200年生きないといけない理屈。あり得ない長寿命です。 おぎゃーと生まれた日で1歳、1度めの誕生日を迎える(満1年)と2歳になる、「数え年=享年」ということを勘違いされたんじゃないですか。1年と1歳は同義です。
- あずき なな(@azuki-7)
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下の人が 天皇が100歳を超えてどうのこうとって言ってるけど 当時は2年で1歳年を取る数え方だったので 100歳なら50歳だったって事になりますね なので決して神武天皇も長寿ってわけでも無かった様です
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
上皇陛下はまだ存命だからです 崩御すれば翌年から祝日になりますよ? 多分「平成の日」となります
- unnoun
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天皇誕生日と誕生日が私は、同じなので今日私は1才歳をとります。いつかが今年になりました。
- unnoun
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あ、あとみどりの日が残ったのは、戦争があったことを忘れてはいけないと言ったことで残ったみたいですね。
- unnoun
- ベストアンサー率16% (409/2496)
何かの記念日として残す意味が無いし膨大に祝日が増えるだけとして、残りませんでした。これは、お偉い方達のご都合で12/23はイラねとなったのです。天皇の血筋は、卑弥呼あたりからじゃないですか。昔は関西にいらっしゃられたみたいだしね。その辺歴史で調べるとおもしろいかも。
- Ohjo-Koita
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(1) 未だご存命の上皇陛下に対し、過去の偉業を讃えるのは大変失礼な事だと思いませんか? おかしいように感じられていますが、全くおかしくはありません。 ちなみに、元々11月3日は明治節と言って明治天皇の誕生時でした。新しい日本国憲法が昭和21年10月下旬に完成し発布日を決めるだけになっていました。当初は11月1日を予定していたものの、半年後の5月1日がメーデーと重なる為11月1日を回避、明治節(11月3日)に目をつけたもののGHQから拒否。ならば、5月3日に日本国憲法施行と言う名目で、その半年前(結局11月3日)に発布となったわけです。ですから、11月3日が文化の日となったのは、ある意味「たまたま」「強引」なのです。もっと言えば、「明治節だから」と言う名目にすると、軍国国家の再来というイメージに繋がるのでGHQは断固反対するでしょう。 4月29日については、ご承知の通り昭和天皇の誕生日を残したものです。 もう一つ付け加えれば、12月23日は上皇陛下がお隠れになったとしても、上皇陛下のご意向で祝日になることは無いでしょう。祝日に制定する前に、上皇陛下のご意向を尊重するのが一番重要だと思います。 (2) そこらへんはWikiを参照された方が良いかと思います。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87#%E5%8F%A4%E4%BB%A3
- oska2
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>どうして上皇殿下の誕生日の12月23日は、平日になったのですか?? 上皇が、希望しなかったからです。 昭和の日も、保守系政党のごり押しで決まったに過ぎません。 「昭和天皇誕生日」から「緑の日」へ名前が変更。 その後、「昭和の日」と名前が代わっています。 文化の日は、明治天皇の誕生日です。 まぁ、名前よりも「国民の休みが欲しい」と言うのが現実ですね。 多くの国民は、何故休日なのか?よりも「連休が欲しい」のです。 もちろん、朝日新聞・毎日新聞・立憲民主党・共産党・社民党・自治労など左派系組織は「戦争犯罪人を美化する」として反対しています。 >天皇陛下のうち、実在が明らかなのはいつくらいから? 天皇については、色んな学説が存在します。 神社庁関係・宮内庁関係では、神武天皇(当時は神武大王)が初代になっています。 伊勢神宮よりも古い神社の記録でも、神武大王となっていますね。 例えば、大和を支配していたナガスネヒコ(アイヌ人)を侵略したニギハヤヒ(スサノウの子供)が大和を支配します。その時に、ナガスネヒコは、王の位から退きます。 ※このナガスネヒコの子孫(ウサスマの命)が、物部家初代。 その後、九州から大和に逃れてきた王がニギハヤヒの娘と結婚し「神武大王」として大和に君臨します。 ※天武天皇が正統性を示す為に作った日本書紀とは、内容が異なります。^^; (伊勢)神宮の記録や文科省の見解では、「神武東征」ですが実際は「神武遷都」ですね。 じゃ、誰が初代天皇なの? 文科省公認教科書では、崇神天皇ですね。 纏向遺跡が、証拠らしいです。 が、纏向遺跡よりも古い遺跡が「カラ遺跡」なのです。 反文科省の学説では、この遺跡が神武大王時代との事ですね。 考古学的には「神武天皇稜」は存在しません。 今ある神武天皇稜は、幕末に「6畳ほどの土盛りを、大々的に改修した(新築した)墳墓」です。 江戸時代の絵図にも、6畳程の地に石が3本立っている程度でした。 一般的な教科書の回答では、崇神天皇が初代らしいですね。 古事記・日本書紀ともに、誰が初代天皇か?を記載していません。 明らかなのは、日本書紀編纂を命じた「天武天皇」が「大王から天皇への名称変更」を決めた事しか書かれていません。 ですから、天皇と称したのは「天武天皇が初代」です。 余談ですが・・・。 今の天皇は、継体天皇の子孫だとする説が有力です。 神武天皇(大王)は、9代目に滅亡。 崇神天皇(大王)も、何故か9代目に滅亡。 同じ9代目に滅亡しているので、神武天皇は存在しない架空の天皇と学説は見做します。 余談ですが・・・。 明治天皇も、実は偽者との説があります。 幕末に、長州藩が孝明天皇の子供を拉致して三条実美等と一緒に「都落ち」したのですね。 ※孝明天皇は、朝敵と宣言した7卿の都落ちを討伐する許可を出さなかった。 可哀そうに、子供は長州内で死亡。 明治維新後、伊藤博文が隊長を務めていた「相撲隊」の隊員を「偽物の天皇として即位」させたとの逸話です。 明治維新後には「あの天皇さんは、誰や?」と、京都では噂になった様です。^^; 虚弱体質だった孝明天皇の子供が、いきなり筋肉隆々の大人になったのですからね。 また、右利きだった孝明天皇の子供が「即位すると、左利きになっていた」現実があります。 当時としては、非常に不思議な事件でした。
- rikimatu
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(1)に関しては確か、明治天皇の時は明治維新が起きたからそして昭和天皇は植物学者としての実績があったから、そのまま残って大正天皇と上皇殿下は何も実績(こういう表現であっているのかは分かりませんが。)がなかったから祝日から平日になったというのを聞いたことがあります。 (2)に関しては6世紀前半に在位していた26代目の天皇はほぼほぼ確実みたいです。21代目に関しては考古学的には確実に居ただろうと言われていますが その21代目を除く25代目から前は実在の可能性は低いみたいです。恐らくモデルになった人はいるのでしょうが
大正天皇(8/31)も祝日ではありません
補足
では明治天皇の正体は誰ですか?