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「この国」という言い方
いつの頃からか、「わが国」「日本」と言わずに、 「この国は」という言い方をするようになりましたね。 人の国みたいなよそよそしさ、突き放した客観主義、 他人事感覚、等を感じるのは私だけでしょうか。 自分の配偶者を、「私の妻・夫」と言わずに、 「この人・女・男」と言うのと何か似た感じを受けます。 マイ・カントリーではなくて、リス・カントリーなんですね。 ちょっと違和感ありませんか?
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「この国」という表現にご指摘のような「人の国みたいなよそよそしさ、突き放した客観主義、他人事感覚、等を感じる」かどうかは、その文脈次第でしょう。 司馬遼太郎氏が昭和61年から亡くなるまで文藝春秋誌に連載していた「この国のかたち」という歴史のエッセイは「よそよそしさ」や「他人事感覚」を感じるものではなく、「客観的であろうと努めながら自分自身のこととして捉える」ような内容であったように記憶しています。 ただし日本のことを「この国」と呼ぶのは別に司馬氏が始めたことではなく、例えば昭和35年に作られた自衛隊の歌(自衛隊創隊10周年記念選定歌)は「この国は」という曲名です。歌詞の内容はもちろん「人の国のようなよそよそしさ」ではありません。 もっと古いところで、百年以上昔の啄木の詩を思い出す方もいるかもしれません。さらに古く大隈重信外務大臣の1897年の演説にも登場します。 書斎の午後 一九一一・六・一五・TOKYO われはこの国の女を好まず。 読みさしの舶来の本の 手ざはりあらき紙の上に、 あやまちて零したる葡萄酒の なかなかに浸みてゆかぬかなしみ。 われはこの国の女を好まず。(石川啄木「呼子と口笛」所収) それでこれより愈々この条約改正から起るところの日本の利益を収めんとすれば、一層力を尽してこの国を進めなくてはならぬのである。また疑いなくこの国は進むに相違ないのである。この進むところのものは外交と相待つのである。 (大隈重信「外交の方針」)
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- yaasan
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>いつの頃からか、「わが国」「日本」と言わずに、 >「この国は」という言い方をするようになりましたね。 意味不明です。「我が国」「日本」と言っていた人がわざわざ「この国」と言い換えているのでしょうか?「この国」と言っている人は初めからそうなのではないでしょうか? >人の国みたいなよそよそしさ、突き放した客観主義、 >他人事感覚、等を感じるのは私だけでしょうか。 「この国」ってわざわざ言ってる人はこの国に住んでいながら、この国の人じゃないからではないでしょうかね。日本人ヅラして生きている外国人もたくさんいますから。
お礼
> 意味不明です。「我が国」「日本」と言っていた人がわざわざ「この国」と言い換えているのでしょうか? 同じ人が、とは述べていません。同じ人は違う人かは知りませんし、問題にしていません。どうでもいいことです。世間一般の傾向を言っているのです。 >日本人ヅラして生きている外国人もたくさんいますから。 いいえ、NHKのアナウンサーさえも言っていました。 明らかに日本人の多くが言っています。日本人ヅラって、偽装みたいで、良い言い方ではないですね。差別的言辞です。
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
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最近違和感を感じなくなりました。 そう言えばこの前どこかで ある方が隣にいる女性を指して 「僕はこの人の夫なのです。」と言っていました。 そういう言い方も最近はありますね。
お礼
> 最近違和感を感じなくなりました。 それだけ普及したということでしょうね。 司馬遼太郎氏の真似が文化人に広まり、今は庶民も。 >「僕はこの人の夫なのです。」と言っていました。 うわ~、終わっていますね!
- longrailjpn2018
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他国でも, (This country.いう言い方), そうだと思います。
お礼
他国でもThis countryと言うことはあるんですかね。 特に戦勝国の米国でどうか、知りたいところです。
司馬遼太郎さんが言い始めた「この国」という言葉が、自国のことをできるだけ客観化して述べる時に使う言葉から、自国のことを他人事、自分と関わりないものとして述べる時に使う言葉に変異してきたようだ。 政治のもとでは、国民である必要も「我が国」である必要もなく「この国」で あろうと「あの国」であろうとどうでもよい。 ただ自分たちの生活が第一であればよいとなる。 従ってこの空気のなかでは、国家や家族のあり方を考える必要がなく、外国人に参政権を与えることも、夫婦が別姓になることも、それでいいではないか、ということになる。
お礼
客観的言辞から小市民的なミーイズムへ。貴重なご指摘です! 外国人参政権、夫婦別姓は、人権尊重の流れで、これとはまた違う気がしますが…。
- ミッタン(@michiyo19750208)
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>突き放した客観主義 これは凄く大事なことですよ この裏をいくのが北朝鮮ですから
お礼
かつての日本もそうでした。 天皇制のカルト国家、裏では特権階級の腐敗と国家私物化。 それへの警戒・自制がある気がします。
- 5mm2
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多少そんな感じはしますね。 ただ、「我が国」や「我が妻」は、少し大げさな感じもします。 「この国」も、使い方によっては、客観的で清々しい表現に感じることもあります。 まあ、妻を「この女」と言い出したら終わりでしょうね。
お礼
> 妻を「この女」と言い出したら終わりでしょうね。 ですね。
- tetsumyi
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違和感どころか、今の日本を指すのに最適な言い回しでしょう。 先が見えない、どこに向かっているのかさっぱりわからん。 政府も経済界もなす術がなく崖っぷち、お先真っ暗で数年後にはこの国はどうなっているのだろう?
お礼
天皇即位式も、各国から二番手じばかり送ってきましたしね。 まったく日本の国際的地位は低下の一途です。 ところで、先行き不透明なことと、我が国とは言わないことと、 どう繋がりますか? むしろ、意味があるとすれば、私は国家愛に対するシラケ、 ないしは警戒感・距離を置きたい気持ちを感じるのですが、 ちがいますかね?
補足
誤:各国から二番手じばかり送って 正:各国から二番手ばかり送って
言葉は最初の発明者にはそう表現しなければならない理由がありましたが2号以降の模倣者には考えなどはなくただイイナと思って真似ただけです。ナニナニな自分がいる。最初にこんな変わった表現を発明した人には、そうなってしまう自分をどうすることもできず客観的に眺めているという表現の意図がありましたが、2番目以降の模倣者はかっこいいなと思って真似ただけで考えはありません。司馬遼太郎が「この国のかたち」を出版して以降、この国のという言い回しも増えたが模倣に過ぎず意味はありません。もっとも互いに模倣せず発言者がいちいち言葉を発明していては通じるはずがありませんが。
お礼
なるほど、模倣ですね。 「~と向き合う」も、そうですね。 一気に広がりました。
お礼
故事来歴を詳しくありがとうございます! 司馬氏は言い出したのではなく、普及に影響があった人なのですね。 明治にもこういういい方があったのには驚きです。 確かに文脈次第ですが、最近は意味合いが変わってきたと感じるのです。 (あるいは何も考えずに多くの人が使っている)