• 締切済み

最低の人生、覚悟をする方法

僕は最低の人生を生きてきました。人間のクズのさらに下です。37歳になっても自立できず、自宅にいます。 超重症のアトピー性皮膚炎で28歳まで半死半生の状態で生き、人として最低限のライフイベントを全て経験しないまま生きてきました。 奇跡的に方法を見出し、アトピーは大幅に軽快し、ハタからはアトピーと見られないまでになりましたが、地獄はさらに続きました。 ついに人間関係を築くことができる!と思って、自分の現状も省みずに趣味の友人を作ろうと社会に飛び込み、当然のごとく散々な失敗を繰り返しました。 頭のおかしい女性と恋愛もしましたが、当然ながらあっという間に関係は崩れ去り、気付けばストレスで過食に走り、極度の肥満に陥り、アル中になり、人生をさらに破壊しました。 人間として最低限度の自覚(支払いをちゃんとする、今後のために貯金する、定職を継続する)が徐々に失せ、気付けば高齢の両親に頼りきりの半引きこもりに。 恐ろしいのは、全く自覚がなかったことで、ただ単に「常識がない」なんてことでは表現できないほどの本物の異常者になってしまいました。 気付いたのはなんと36歳になったつい先ほど。ある日散歩している最中に、ふっと自分の人生が全て狂気に満ち満ちたものだということに気付き、どっと冷や汗が出て、同時に激しい自殺願望を抱きました。 重症の鬱病を患っていることは間違いありません。こんな年齢でも、自分の過去の異常さに気付いたことは僥倖でしょう。そして、両親が生きていることも。 でも、人生の折り返し地点と言える年齢で、ここまで世間に対して不義理を重ねては、もはやまっとうに生きなおすことなど望むべくもありません。 現在、医薬品の離脱症状で右目が失明寸前になり、激烈な鬱も重なって、再び半死半生の状態です。書き込みもパソコンを眼に近づけてギリギリ行っています。 もう、例え自殺しなくとも、死を覚悟する以外にないと思っています。そこで、どうか「死を覚悟したとき」の体験談を聞かせて下さい。どう考えても僕はもう長くありません。最長でもあと10年は生きられないでしょう。 母から泣いて止められたため、自殺は思いとどまりました。自分でも死ぬのが怖いです。現在泥酔した状態でこれを書いています。しらふではとても書けません。 どうか、人生の終わりを意識している自分に、知恵を授けてください。どうすれば、この人生を終わらせる覚悟を決められるのか・・・

みんなの回答

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6877/20339)
回答No.11

死ぬまでにしておきたい100のこと 死ぬまでに行っておきたい100の場所 一覧表を作って ひとつずつやっていけば10年なんてあっというまに来てしまいます。 10年生き延びたら まだまだやっておきたい100のこと

noname#238244
質問者

お礼

回答ありがとうございます。実は、僕が自分の過去が狂気に満ちた物であったことに気付いた最大の理由は、おっしゃっている「死ぬまでにやっておきたい100のこと」を書いてみようと思い立ったことなのです。偶然なので驚いています。 二十歳ぐらいの頃にも一度そのような物を書いてみようとしたことがあったのですが、余りにも現実性のない事柄ばかりで、バカらしくなって書くのも実現のために努力することもやめてしまいました。当時はアトピーがメチャクチャに酷く、365日24時間、痒みと痛みに苛まれ、一瞬も落ち着いて物を考えることができなかったのです。 それから16年経って、ふと同じ事を書いてみようとした瞬間、もう自分には人生が残り半分しか残っていないこと、アトピーから回復してからの9年間、下らないことにうつつを抜かして、やりたかったことに何一つ挑戦しないまま時間を浪費したことに気付いたのです。 同時に、大半の人々なら、9年も健康でマトモな時間があれば、次々とライフイベントなり、やりたかったことなりを次々とこなして、充実して生きるものなのだろうとも思いました。 10年間を無駄に過ごしたのは、質問の文面で書いたような狂気も理由としてありましたが、それ以上に、人間関係の構築に失敗し続けたことや、極貧から抜け出せなかったことで、常に絶望感がつきまとっていたというのが大きいのです。 やりたいことをどんどんやっていれば、確かに10年なんて時間はすぐに過ぎるでしょう。しかし、極貧で病気だらけの人間に一体何ができるのだろうと考えてしまいます。おまけに長い間外界と接触しないで過ごしてきたことと、今、目に新たな障害を負ったことで、今までできていたこともどんどんできなくなっています。 でも、こういうものを書くとき、実現可能性ばかり考えていたら、それこそ夢も希望もない自分の境遇に対する絶望ばかりが深まってしまいます。でも、生まれてきた以上、出来る限り自分の望むことを実現していきたいとは思います。 なんだかんだと書きましたが、とりあえず、何も考えずに100のやりたいこと、100の行きたい場所を書いてみようと思います。実現できるかどうかは後で考えますね。

noname#238244
質問者

補足

書き始めましたが、余りに実現可能性の低い目標ばかりで自殺願望が増すので、ちょっとストップしてます。しつこい自殺願望をどうにかしたいですね。現実には死ぬ気なんて毛頭ないのに。 でも、もう目も見えないし、無職で資格も学歴も何もなし、貯金もわずか、鬱のせいか、何をするのも億劫で、部屋は段々ゴミ屋敷状態に近くなってきています。部屋の掃除だけは日々気をつけていたのに、最近はそれもできず、埃やゴミにまみれています。 この状況で100個も遠すぎる夢を描くというのは傷口に塩をすり込むようなものです。まあ、こんなこと書いてもどうにもなんないんですけど。 現実逃避みたいなもんだと思って書き進めようかなと思います。

  • nakama08
  • ベストアンサー率48% (110/225)
回答No.10

やっぱりあなた様は、むかしのわたしのようです。〇〇でななければ〇〇でない。一巻の終わりだと。あなたのこころの奥底では、そんなことはないと言っているにも関わらずあなた様は、諦めている。伊達に、わたしは、双極性障害II型なんていう障害を持っているわけではありません。わたしの障害は、深層心理を他の人より多く感じる障害なのですから。あなた様は、こころの奥底では、諦めてなんていません。諦めているのは、あなた様自身なのです。それが身体に影響を与えている。ただ、それだけのことです。こころの矛盾を感じますと絶望感に満たされます。あなた様の痛みが痛いほどわかります。悲しみ、虚しさも、虚無感でいっぱいなのも。あなた様は、あなた様を信じられないでしょう?どう生きていけばいいのかわからないはずです。今は、もがき苦しむしか方法はありません。でも、いつか答えがでます。なぜなら、あなた様がこころの殻を引き裂いて本当の自分を救い出しにいく決心がいつしかできるようになるからです。こころの奥底にある本当の自分は、絶対です。今、できないことはどうしようもないことです。でも、絶望があなた様に勇気をくれます。時がいつしか解決してくれます。人生の達成感なんて10年あれば十分です。今をどうか生き抜いてください。

noname#238244
質問者

お礼

申し訳ありません、生き抜くために必要な筋書きに関しての考えは変わることは今のところありませんが、諦めているような書き方をしたことは確かに間違いだったように思います。0.001%でも可能性がある限り、生き抜く努力を捨ててはならないと思います。 できることから一つ一つやっていこうと思います。人間とは思えないほど肥大した下っ腹をまず引っ込めないことには、収入を得られる身体になりません。というか、マトモに着られる服もありません。 身長172cm、73kgと聞くと若干ポッチャリ程度に聞こえるかもしれませんが、腹回り94cmという異常体型です。この時点で既にいかに絶望に任せて自暴自棄になり、暴飲暴食を繰り返してきたかが分かります。 一番太っていた時期は86kgあったので、その時期に比べれば、肥満で直接的に死ぬ確率は減っていますが、今後猛然と運動しなければ、すぐに元に戻ってしまうと思います。 確かに、勝手に諦めて自暴自棄になることから卒業することが一番大きな課題だと思えました。努力が実を結ぶ頃合には、きっと多少は自信もついて、外に歩みだし、生きるために本当に正しい道のりが何なのか、自分の力で見出せると思います。 多分、あと三年、40歳になるまでくらいが勝負だと思います。社会内の存在としても、肉体的な衰えを考えてもです。一日も無駄にできませんね・・・

  • nakama08
  • ベストアンサー率48% (110/225)
回答No.9

再回答です。 わたしは、双極性障害者です。入院中、生活保護を受けている人、親の世話になっている人、週2~3のアルバイトをするんだといって胸を踊らせている人と様々でした。わたしは、人間は、楽をして生きていくことに関してなんら疑問を持ちません。みんなは、自分の生き方に自信を持ってあなた様のようにきちんとした思想を持っていたからです。もちろん、出世しないと生きている意味がないという精神障害者にしては珍しい人もいましたが。生存競争というのは、あくまで競争です。自分には、これしかできないのだからこれで良いという考え方とは、全く違います。自分のできることを受け入れて弱者と言われる中で自分の位置というものをしっかりと理解したうえで生きていこうとしているのですが、人を蹴り落としても勝ち組を手に入れろという親や周りの考え方に負けて自分の考え方はおかしいと決めつけてしまったため、どう生きるのが正しい生き方なのかがわからなくなり、毎日、矛盾と戦ってこころのエネルギーをすり減らした結果、精神障害者になった人が多かったです。まあ、健常者から見れば弱者なのですが、孔子(論語)の考え方からすれば強者になります。あなた様の言う幸せとはなんなのでしょう?みんなに生かされて生きているという人間の弱さを認めていないから肩に力が入ってうまく生きて行けなくなって生きづらくなっているのだと、わたしは感じます。人間は、弱いからこそ共存し合うのがわたし達の考え方なのです。依存しあっているだけだというのであれば、依存しないで一人で生きている人を探してみてください。誰だってみんなに助けられて生きていますよ。気づくのが遅すぎたなんて言っても仕方ないです。未だに、わたしは一人で生きているんだという人は、いくらでもいるのですから。その人達から比べればあなた様は、人間的に優れていると言えます。完璧を目指してもわたし達は、所詮人間という愚かなものでしかないことに気づいてください。わたし達は、神でもなんでもないのですから。

noname#238244
質問者

お礼

僕は精神障害者ではないと思います。鬱病を患っていますが、障碍者の枠の中に入ることはできません。自分が異常者だったことに気付いてしまった以上、また、今まで自分を偽って装ってきたように、正常な人々とはどういうものか、実際には知っていたと思います。 知っているからといって、今からそうなれるかと言ったら無理かもしれません。でも、もうアトピー患者としても、貧乏人としても、散々差別され続けて、たとえ生きるためでも、これ以上自分に被差別者としての要素を加えることは嫌なんです。 障碍者を差別しているわけではなく、自分が障碍者の枠に入ることによって、差別されるようになるのが嫌なのです。 いずれにしろ親に依存している状態はいつか終わります。確かに誰でも生かされている存在でしょう。でも、やがて必ずやってくる運命から目を背けてどうなるんでしょうか?余りにも非現実的なことを言っているように思えます。 もはや価値観を云々して自分が誇りを持てるだとかそうでないとか言っている場合ではありません。現実が目の前に迫っているんです。できようができまいが、やるしかないんです。自立の道を探すしかないんです。 それで神経をすり減らしてさらなる精神障害を抱えることになったとしても、それはしょうがないことです。挑まないでいるよりよっぽどマシでしょう。今、弱者である自分を認めて安心することは可能でしょうが、そんなことをしても地獄のような未来は、刻一刻と身に迫って来ます。 未来が地獄であることは変わらないでしょうが、それでも挑んで敗れ去ることの方がよっぽど人間らしいとは言えませんか? 競争に参加するのが正しい道だとは思いません。でも、競争であれなんであれ、生き抜くためには厳しい道を歩む以外の方法がない、ということを言っているだけです。 共存と言いますが、共に厳しい世界を生き抜く道ということでしょう。僕にとって、世の中が気楽なノンビリした物であったことはありません。自分を偽り続けたこの9年間ですら、世の中は常に厳しく非情なものでした。 そのことから目を背け続ければ、それこそ十年ももたずにあっという間に一巻の終わりです。それは当然のことだと思います。僕だって受け入れたくないことですが、事実です。幸せになるというのは、まず生き抜くということが大前提だと思います。

noname#238244
質問者

補足

若干書き方が悪く、矛盾した文章になってしまったような気がします。障害者の枠に入って差別されてしまうと、実際には完全に未来が閉ざされてしまうということが書きたかったのです。それこそ感情の問題ではありません。 今まで散々差別されまくって生きてきたので、差別対象になることで被る被害というのがどれほど危険なものかは知り尽くしています。 二重苦になったらシャレになりません。本当にあと数年ももたずに孤独死・餓死だってあり得ると思います。深刻な切羽詰った状況ですから、下の文章にあるような「嫌」だとかなんだとかという感情は、実際はどうでもいいです。 考えても考えても答えが出ません。どうやってももう一巻の終わりです。 考えるより動け、と今までの自分なら言えますが、実際のところ、医薬品の離脱症状が終わるまでの間、自宅に待機する以外方法がありません。右目だけでなく、左目の視力も相当衰えているので、正直言うとマトモに外出もできない状況です。 この症状が果たして離脱症状なのかどうかすらはっきりしません。医者も「異常がない」としか言わず、話になりません。頭痛、吐き気、めまい、バランス感覚の欠如、記憶力の低下もすさまじく、もはや廃人寸前です。 緊急事態なので、医者に見離されても精一杯道を探し、打つべき手を打ったので、あとは待つしかない状況です。ご回答に対しては、どうでもいい情報にはなりますが、一応、質問自体に対する補足として書かせていただきました。

  • hahaha8635
  • ベストアンサー率22% (800/3610)
回答No.8

不幸さ自慢ならだれにも負けないぞ 精神科医も真っ青な不幸さを持ってますよ とりあえず精神科に行けよ

noname#238244
質問者

お礼

精神科の薬のせいで目が見えなくなったので二度と行きたくないです。精神科の医薬品の離脱症状には個人差がありますが、僕の場合は人生を破壊しつくすほどの酷いものでした。 それから、過去の不幸がどうだとか言うことはもはやどうでもいいです。運命はほとんど決したのですから。ここに書いたのは、説明のためです。

  • masaki_a
  • ベストアンサー率23% (12/51)
回答No.7

こんにちは。 かけがいのない者が生きたくても生きられない人がいるのもまた事実で、取り残された者は絶望の中生きなければならないんです。その人は重度の糖尿病網膜症で目が見えづらいという人で、手術をしようという所まで話がいってました。実父が亡くなり通院日は延期して欲しいと言われ、「じゃあ早目にね」って言ったのが最期でした。繋がらない携帯電話、嫌な予感、全て分かっていながら家に行かなかった自分・・・。 一人で死んでたんです、親友。お姉さんに発見されるまで3日間、誰にも気付かれずに。私が家行った時は葬式で、警察署でお姉さんの連絡先聞いて行ったけど死に目は見れなくて、でも亡骸は拾えて、その後は何が何だか分からなくなりました。抑鬱状態が酷くなり当時通ってた作業所を一週間休む事になり、毎日毎日「私が代わりに死ねば良かったのに・・・」と荒んだ生活をしていました。それから毎年命日が近付くと精神状態が悪くなり、自分を責めます。 人はいつか死にます。それは自殺なのか病死なのか他殺なのか分かりません。寿命が来たその時に、生きた価値観が分かるのではないのでしょうか?

noname#238244
質問者

お礼

確かにその通りかもしれません。というか、そう思うからこそ僕はのうのうと今でも生きているのだと思います。実際にはもうほとんど人生は終わってしまったと思っているにも関わらず。 自分から命を絶つようなバカなことは考えません。しかし、放っておいてもこのままでは長くありません。というか、今からどのように努力してもほとんど手遅れと言ってもいいと思います。 だから、覚悟を決めないといけないと思っているのです。それは未来に期待とかなんだとかを持つというよりは、挑んでも上手く行かないだろう、そのことを覚悟するということです。 上手く行かなくてもやらないといけないことというのはあるでしょう。奇跡的に幸福への道を見出すことができれば言いですが、現状では全く望めません。それでも、おっしゃったとおり、死ぬ前に後悔しないために、ダメもとでやらないといけないことはあると思います。 そういう話でした。分かりにくかったかもしれません。 生きたくても生きられなかった人々のためにも、精一杯悪あがきして、敗れ去っていくしかありません。もう時間がないですから、覚悟を決めるしかありません。

  • nakama08
  • ベストアンサー率48% (110/225)
回答No.6

だんだんと文書が良くなってきましたね。アル中っていうのとアルコール依存症は、違います。あなた様は、アルコール依存症とおもいます。アルコール依存症は、人間的成長を望んでいる人がなりやすい病気です。アル中は、ただの飲み過ぎです。 アトピー性皮膚炎は、あなた様にとっては、残念な経験でしたね。ただし、ほかのアトピー性皮膚炎に苦しんでいるの方に少しでもアドバイスができるという経験となりました。 死を覚悟したときですか。自分には、何もない、生きている意味さえもない、存在価値もない、自分を信じることができない(考え方が異常だから)、という感じでした。人生を終わらせる覚悟を決められるかは、あなた様が今の狂った思考をどのように捨て去るには、どのようにすれば良いのかという風にわたしには聞こえます。要は、自分の狂ったプライドをどのように捨てれば良いかということです。常識というあなた様の言葉からは、常識などというものは、どこにもないのだという悟りの境地に近づいている証拠ですね。精神障害をある程度乗り越えた人にある人が常識などという言葉を吐いた瞬間にこの人は、本当のことをまだ、受け入れていないのだと知られてしまう材料になります。常識って誰の常識なのかと言う点です。日本人の常識ですか?世界の常識ですか?日本人の常識なら健常者の常識ですか?健常者の常識なら働いて金を稼いである程度裕福になるという常識ですか?結婚して子供を育てるという常識ですか?世の中には、自分を信じてその常識から外れても一生懸命に生きている人がいます。その人は、非常識ですか?常識は、現時点で世の中での受け入れやすいただの多数の苦し紛れの意見でしかなく、それに外れないように金魚のフンみたいに自分というものがない人が群がっているものでしかありません。人間の脳は、自分が変わろうとしている人に対しては、鬱をもって変われる手伝いをしてくれます。鬱を経験させないとガチガチの思考は崩れないからです。ガチガチの思考こそがプライドです。プライドは、思い込みです。自分は、他の人に勝たなくてはならないという考え方は、今、流行っている考え方です。勝ち組にならなければならないという愚かな考え方です。負け組の人なんかわたしの知ったことではないという考え方です。でも、鬱は、自分は世界一の負け組なんだという気持ちを教えてくれます。負け組の気持ちをとことん教えてくれます。では、負け組は、みんな生きている価値がないのかと言えばそんなことは、ありません。みんな一生懸命いきています。下手をすると勝ち組より輝いていきています。考え方次第なんですよね。自分が楽しいと思っていることに対して喜びを感じている人は、勝つことなどどうでもよいのです。勝つということにばかり意識を集中していては視野が狭まり自分がなにをやっているのかがわからなくなってしまうのです。例えば、今日は、プレゼンを成功させたい、そのためには、ライバルよりも良いプレゼンをしなくては…、上司や、お客様により良い評価をいただかなければ…、評価をいただいたなら昇進やご契約をもらってみんなから羨ましがらなくては…、尊敬してもらわなくては…、と自分の自己肯定の言葉をもらうためにだけに生きる結果となり自分は仕事人間となり残業をしまくり、休日出勤は、当たり前でなにが自分の幸せなのかが見えなくなり、失敗するとみんなからあんなに頑張ったのに能力のない人だとばれてしまうのが怖いくて命を絶つなんてことにもなりかねません。恐ろしい無意味なプライドですね。実力もないのに地位や名誉、必要以上にお金を欲しがるのが醜い欲望で、ごますりなどから得た地位や名誉などの優越感を得たら得たでその優越感とプライドを守るために周りの努力した評価を横取りして周りの人を自分の駒にしなくてはならない惨めなプライドなんかいらないという人もいます。人間的成長をする人というのは、他力本願では、いけないことに気づいているのですがいかがでしょうか?ありのままの自分を認めていくというのが一番であると言うのはいかがでしょうか?生きた証が他力本願であったのならあなた様自身は惨めな自分に納得できるでしょうか。あと、まっとうな人生ってなんですか?完璧でなくてもある程度自分の理想にかなった人生がまともなのですか?それなりでよいではないですか。生きている意味というものはないのですよ。人のために自分が役にたててこそ自分が活きてきます。自分のために生きていますと欲望に溺れて人の反感を買い、相手にされなくなり落ちていくだけです。そういう人を何人もみてきました。人間が本当になりたいなと感じるのは、自由奔放な釣りバカ日誌のハマちゃんみたいな人でないでしょうか。 人生は、長生きするよりも楽しく生きた方が勝ちなんて言葉もあります。心配や不安にかられて生きていき、死ぬ間際にあれ?って気がついても仕方がありませんよね。 まずは、アルコール依存症を直してください。アルコールは、感受性を高めすぎてしまうため、躁状態にちかいところまでこころのレベルを上げてしまいますので厄介です。上がりすぎた感受性は、酷い鬱の原因になっていまします。双極性障害の原理と同じです。

noname#238244
質問者

お礼

回答ありがとうございます。おっしゃっていること、よく理解できます。正直に申しますと、そのような考え方だけを頼りに、今まで生きてきたと言っても過言ではありません。 しかし、ではなぜ今になって再び常識的な生き方に固執しようとするのかと思われるでしょう。それは、僕の人生が本当に何もない空虚そのものだったからです。結局、このような異常な生まれつきでは、どんな考え方を支えにして生きようが、結果は同じだったようにも思いますが。 それに、確かに仕事で出世に躍起になるのは、どこか生きることの意味を履き違えている人という感じはしますが、それは結局自立してまともに生きている、という前提の上で、余裕がある人達が生き方を比較した場合の話しです。 実際には仕事で使える人間にならなければ、お金をもらう資格はありません。お金がもらえなければ生きていけないのです。単純に言って、それは生存競争です。出世する事に価値があるとかないとか言う以前に、みんな生きるために戦っているのです。 常識なんてものは実際には存在しないだとか、生き方は人それぞれだとかいうことを余りに過大に信じ込みすぎた結果、いつしか僕は人々が当たり前のようにやっていることの本来的な意味を忘れていったように思います。 簡単に言えば、自分の人生の選択の一つ一つが、自分の生死を分ける選択なのだという自覚が薄れていってしまったのです。それが最も僕の狂った部分だと思います。自分が歳を取るだとか、いつか死ぬということすら忘れていたように思います。 釣りバカ日誌のハマちゃんでも何でも、みんな自立して生きてます。それが大前提で、それがない人は生きる資格なんかありません。 でも、理屈はどうあれ、結論は同じだとも思います。もうどうせ引っ込みがつかないのです。取り返しがつかないのです。これからも、同じように生きていきます。ここまで狂ってしまっては、いまさら常識の世界に帰ることは無理でしょう。 その代わり、長く生きたり、幸せになったりすることを諦めないといけません。あと一日生きるために、そのように考えるしかないと思っています。

  • pipipi911
  • ベストアンサー率22% (1029/4602)
回答No.5

ご質問を拝見していて、 [目を奪ひ命を奪ふ「諾」と鷲   (虚子)] 『ヨブ記』(=「旧約聖書」) 《没法子》哲学 を思い出しました。 アナタ様の生き方に立ち入ることは 出来ませんが……上記の高濱虚子の俳句は、 亡くなられた緒方句狂さんに捧げられたもので、 句狂さんは炭鉱のダイナマイトで失明し、その懊悩の中で 死を決心したこともあった人なのですが、「俳句」で 蘇生し立派な作家になられた人です。 胃癌で亡くなられました。 《泥酔した状態で》このような破綻のない 質問文が書けるのは実に素晴らしいことでは ないでしょうか。 「口述筆記」でも宜しいので、アナタ様の これまでの人生体験を題材にして 「小説」「童話」「絵本」「エッセー」を 書いてみてくださいませんか。 ふろく: 「苦しみは人間を強くするか、それともうち砕くかである。その人が 自分のうちに持っている素質に応じで、どちらかになる。 (Carl Hilty)」 「もし、世界に喜びしかなかったら、勇敢になるとか、忍耐強くなるとか、 学ぶことは決してなかったでしょう。 (Helen Adams Keller 教育者・社会福祉事業家 / 重複障害者)」 ※(『ヨブ記』(=「旧約聖書」)や《没法子》は ともかくとして) 緒方句狂さんの俳句作品に触れてみませんか。 ふろく: 《 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った》 という太宰治さんの小説集『晩年』の中の「葉」を読んでみませんか。 ネット上の「青空文庫」で読めます。 太宰治さんが、自身が上梓する最初の小説集に『晩年』というタイトルを 付したというのは象徴的ですな。 彼の『人間失格』も読んでみませんか。 以上のようなことしか 書けないのが残念なのですが~~~~ All the Best.

noname#238244
質問者

お礼

回答ありがとうございます。なぜか言語能力だけは普通のため、確かに何か書こうと思えば書けないことはありません。 しかし、自分の過去を晒すということは恥を暴露するということで(僕にとって過去は恥以外の何物でもありません)、書いて出したらそのまま死ぬ覚悟を持つ必要があります。 自分のことを全て明かすというのは、何となく生きることを諦めるということに似ている感じがします。文学者がよく自殺するのは、そういう理由なのではないかと思うことも多いです。 でも、今の時点で既にある程度人生に見切りを付けているので、いい頃合かもしれませんね。

  • haro110
  • ベストアンサー率13% (285/2100)
回答No.4

現状を諦めるしかありません。またいつの日にか黄泉がえりがあるのなら その時にその時の意識の中で考えるしかない。 それは世の中幸せな人はいっぱい居るけど自分の現状はどうにも変えられないものがある。それはそれで仕方が無い。。。

noname#238244
質問者

お礼

回答ありがとうございます。確かに、そのように思います。他の方の回答に対しては、希望的なことを書きましたが、本音ではおっしゃっている通りに感じています。 二律背反的な感情を持っています。しかし、どっちに転んでもうろたえないように、精一杯心の準備はしておこうと思います。 自分のせいだけだったとは思いません。狂気は生まれ育ちから来る部分が非常に大きいのです。アトピー性皮膚炎の重症度は、他人には全く理解されないレベルの激烈さでした。ある意味では、この年齢まで生き延びただけで幸福と考えるべきでしょう。 今後は人と比べることはやめて、精一杯出来る限りのことをして、敗れ去って死んでいこうと思います。長く生きること、人並みの幸せを得ることなどはもう無理です。無理と思っていないと、逆に生きていけません。 母は「人として生れ落ちた以上は生き抜いて」と言いました。その言葉の通りにできる限り生き抜こう、そのような思いしかありません。それ以外は、何も望まないようにしようと思います。

回答No.3

こんばんは 恋愛が出来る仕事をしてきた。なら最低限のことはクリア出来る持続性が無いのでしょう 倦怠感と鬱と視力低下は糖尿病とか、男性特有の片頭痛的なものでしょう。 取りあえず休めるときは休んで休憩してください。千里の道も一歩からです。 社会に出る勇気がわいたら職安で就労訓練校に行けば良いです。私も思います。いくら良い大学を出たって道を外せば断崖絶壁でその壁が高いほど登り切れない。だから頭の良い人や世間体を気にする人ほど酷く落ち込むんでしょう。 文章に頭のおかしい女性と恋愛をしたと書いてますがこれはトリガーかなと、思いました。悪く言うからには何かをされたのでしょう。ただ、にたもの同士であったのは間違いないよね?母親にも自殺を泣いて止められたと。 ウチなんか死んでくれなんてへーきで言います。 今失業給付受けてるなら、フラッと旅行にでも行って本当はどうなりたいか、どうしたいか見つめ直しても良いでしょう。東尋坊なんかに行くと船頭が話しかけてきて人生語ってくれるらしいよ。思い詰めずに、酒も程々に。気分転換してみたらどうですかね。アトピー体質は、原因不明ですが不衛生やホコリ、ダニ、アレルギーなど、デリケートです。緩和はあっても完治はないでしょう。漢方など試してみては如何ですか?イチョウの葉とか。

noname#238244
質問者

お礼

回答ありがとうございます。恋愛なんて言っても形ばかりで、本当に一瞬のことです。でも、僕の人生にとってはそれでも最大級の思い出です。頭のおかしい、というのは明らかに相手が僕の現状に異常さを感じていなかった、という意味です。普通の人が僕と恋愛をする気になるなんてことはとても考えられませんから。 それに、仕事は父が設立した会社を無理やり存続させていただけで、実質的には引きこもりでした。もう何もかも狂っている人生だったのです。 アトピーはなんとかハタ目に分からないくらいまで治っていますが、そのために支払う代償は凄まじいものです。食物の8割を禁止というほどの極限の除去食、一瞬も手放せない大量の医薬品、これらを安定して手に入れるためにも実家を出られないという部分もあります。ほとんど諦めています。 でも、旅行には行ってみようかなと思います。ここまで追い詰められればもうどうにでもなれ、という気持ちで何でもやってみようと思います。 視力低下のせいで外出が困難とはいえ、部屋にずっと居るとやっぱりなおさら狂気に拍車がかかると思うので。一度環境を変えるなどして、考えを整理してみたいと思います。

noname#238244
質問者

補足

また、母親に関してですが、非常に思い込みの強い、ある種世間離れしたという部分では自分に遺伝した部分もあるのではないかと思う性格です。 それでも姉二人含めて三人育て上げた分だけ僕より100万倍マトモです。しかし、僕が異常な状態で生きていること、それを物も言わず支援し続けたことなどを一言も本人に漏らさないなど、信じられない要素は多くあります。 散々世話になっておいて言うのもなんですが・・・ そして、どういう訳かこれほどお荷物以外の何物でもない僕に消えてほしくないと言う。本当に分からない、ある種の異常性があると思います。 いずれにしても・・・当たり前ですが、先は見えています。グチャグチャ言ってもしょうがないので、遅すぎる自立を目指すしかありません・・・ 完全に頭が、おかしかったのでしょうがないです。恥をしのび、地獄に頭から突っ込むしかありません。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.2

もっと下の人生を歩んでいる人は山のようにいます。過ぎてしまった自分のことを嘆くより、これからの人生をどう生きるかを考えるほうが重要でしょう。世の中には残りの人生が宣告されている人だっていくらでもいるし、アニメ制作会社のスタッフみたいにやりたい仕事に就いていたって、いつ終焉を迎えるか分からないからです。 個人的な話ですが、私の母は今の私の歳に急死しました。2週間前まではそんなことは夢にも思っていませんでした。何しろ観劇の予約を入れていたくらいですから。その日は母の通夜になってしまいました。

noname#238244
質問者

お礼

回答ありがとうございます。確かに、僕よりも酷い人生を生きた人はいるでしょうね。世間知らずで、どうしても自分が一番最低、と思ってしまう癖がありました。 京都アニメーションのスタジオ放火事件には僕も思うところが大きいです。才能と努力を経ても、長く生きられなかった人々・・・世界の不条理に実が震える思いです。 生きたくて、生きる権利があっても、生きられない人がいる。そういうことに思いを馳せて、自分も軽率なことは言わず、行わず、絶望の中でも、精一杯誠実に生きていこうと思います。 正直に言えば、今後成し遂げられることなど何もないと思っています。それでも、1%の可能性に賭けて生きていこうと思います。