年齢を重ねるにつれて、「勝ち負け」に「こだわる・こだわらない」というより、そもそも「勝ち負けは判断できない」と思うことが多くなりました。
考えてみれば、「勝ち負け」を判定するためには「何かの物差し(価値基準)」が必要ですが、それは「同じ世界の中」でしか使えません。センター試験を受けた受験生なら「点数が多い方が勝ち」だし、大相撲の力士なら「番付が上位の方が勝ち」でしょうけれど、それはその世界の中だけのことです。
「違う世界に生きている人生全体の勝ち負け」を判断できる基準は何かと考えれば、「万人が納得できる共通の基準はない」としか言えないでしょう。せいぜい可能なのは「生涯で稼いだ金額」など数値化できる客観的な指標で比較するか、あるいは逆に「その人が勝ったと思えば勝ち、負けたと思えば負け」という主観的な判断で良しとするかですが、そのどちらも「何だかなー」です。
中学校の同窓会に出席してみると、それがよくわかります。学校を卒業してしばらくは「進学先」や「就職先」などがもっぱらの関心事で、他人との比較や「勝ち負け」の意識が多分にありました。
しかし勤め人が定年退職する年齢を過ぎると、こうした「勝ち負け」の出番は少なくなり、自分の健康のことや、子や孫のこと、親の介護のことなど「その人なりに幸せかどうか」が話題の中心になっています。他人と張り合っても自分の幸福には必ずしもつながらないということ、一言で言えば「人生は勝ち負けではない」ということを、卒業後の50年間で理解するようになったからです。