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兼高かおる世界の旅 面白かったですか?
- 兼高かおるさんが亡くなられましたが、当時は普通の人は気軽に海外旅行できる時代ではなかったため、この番組は注目を集めました。
- しかし、番組は内容が浅く毒にも薬にもならないと感じる人も多かったです。
- 皆さんは非常に面白かったと感じている方もいるでしょうが、具体的にどの部分が面白かったのか気になります。
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>当時も今から考えても、毒にも薬にもならない内容の浅い番組だったように感じております いいえ、「毒」でした。いや、「猛毒」でした。 なぜなら、「兼高かおる世界の旅(兼高かおる世界飛び歩き)」というTV番組で、” 女性でも海外一人旅が簡単にできるんだ ” という錯覚を多くの国民に与えてしまったからです。その結果、何人かの犠牲者を出してしまうことになりました。私の友人(男)もこの番組に触発され、インドへ行ったきり行方知れずです。 このTV番組は一躍人気番組となり、これに便乗して、薄っぺらタレントを起用した「〇〇一人旅」なるTV番組が続々と登場しました。勿論、海外一人旅も増え、これに伴い犯罪や事故による犠牲者も急増しました。 一人旅をしている人間が、あのようなかたちでTV画面に登場できるわけがないのですが、当時は、これを理解できない人が多くいたのです。 1967年、私もインドを訪れました。これを機会に、世界を巡ることになるのですが、ある国の空港で出会った「〇〇一人旅」なるTV番組のクルーズは、物々しい機材と十数名のスタッフで構成されていました。これが「〇〇一人旅」の実態なのです。 、「兼高かおる世界の旅」が、決して一人旅ではなかったことを知らしめていてくれたら、いくらかの犠牲者は出さずに済んだことでしょう。これを怠った「兼高かおる世界の旅」は。「猛毒」なのです。
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- malaytrace
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皆さん書いておられるように、今の水準からすると各国の通り一遍の紹介というような内容で、番組の構成や企画として記憶に残っているものはあまりありません。 ただ、当時TVでほぼ紹介されることがなかったイエメン(南北分裂時代)が取り上げられたときだけは強烈に印象に残ってますね。「日干しレンガで建てられた8階建てのビル」現在は世界遺産のシバームです。行きたいと思っているうちに内戦になってしまい、とても行ける状況ではなくなりました。 それまでに日本人が関心を持たなかった、行くことも容易でなかった国々を紹介した、という点で貴重な番組であったとは思います。知っている国、馴染みのある国だけが世界じゃ無い(他番組なら視聴者が見てくれそうな国を選ぶはず)ということを教えてくれたと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
- nekosuke16
- ベストアンサー率24% (903/3668)
たしか日曜日の放送だったと思いますが、毎週見ていたと思います。 頬に太陽を浴び、髪をなびかせながら飛行機や船のタラップから降りてくる兼高かおるの姿を思い出しますね。 海外旅行など夢のまた夢という時代でしたが、そんな意味では知らない国の風景や人々の営みなど、内容の濃淡、意味の有無は別として面白かった印象があります。 ただ、あまりにも昔の話ですから、具体的な感想というよりも、それなりに意味のある良い番組という印象に止まっているということでしょうかね。
お礼
回答ありがとうございます。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34532)
まだ小学校に入る前の頃だったと思いますが、兼高かおる世界の旅でロンドンが紹介されていて、例のあの衛兵が近づいても表情一つ変えないのだという今だったら誰でも知っているようなことを紹介して、それを見て幼心に「へーっ、外国って面白ーい」と思った記憶があります。 その頃だったと思いますが、父親が仕事で渡米することがあり、父が「お父さん、アメリカに行ってくるぞ」とすごく興奮していたのを覚えています。もちろんアメリカからエアメールが届きました。まだ当時は心理的にアメリカは遠い遠い国でしたね。 それからしばらく経った頃でしたでしょうか、あの「アメリカ横断ウルトラクイズ」が始まったのは。アメリカを横断するなんて、なんだかとんでもない大旅行&大冒険で、興奮して欠かさず本放送を見ていました。 海外旅行が特別なものではなくなったのは、プラザ合意で円高になって以降のことだと思います。それでも「なるほどザワールド」とかあの当時の「世界ふしぎ発見」も特別な存在感だったと思います。今思うと、わざわざ海外ロケで日本人タレントの写真を見せて「どの人が一番好みの外見ですか?」とやるだけでクイズが成立していたんだからね。今だったら海外まで行かなくても成田空港にいてYouに聞けばすぐ済みますね。
お礼
回答ありがとうございます。
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6888/20371)
江戸時代は 旅行というと人生において 1回あるかないかという感じ。 この番組がはじまったころは 国内旅行ならなんとか行けるけど海外なんて夢のような時代でした。1ドル360円の固定相場で 持ち出し制限もあった。 誰もが簡単に海外に行ける状態ではなかったから 知らない街の映像を見るだけでも好奇心を満たしてくれる番組だったと思います。 芸能人のアメション という言葉ができたのもこの頃。 ドルの持ち出し制限があったので 行動範囲も狭く 豪華な旅行など望むべきことではなく 芸能人がアメリカにちょこっと行って帰ってくるところを報道されて それを見た人が「アメリカにションベンをしに行っただけかよ」と悪口をたたく・・・アメション
お礼
回答ありがとうございます。
- SPROCKETER
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今のように、スマートフォンやデジカメで一度に何千枚も写真が撮れる時代では無くて、海外旅行の映像が貴重だった時代ですが、演出が多くて現地の実態と乖離した海外旅行CM番組でしたね。海外旅行が増えないと会社の存続に関わる航空会社がスポンサーだった番組ですから、底の浅い観光番組になるのは当然だったのでしょうが、今から考えると、誤魔化すのに苦労しているシーンも多かったですね。 あの当時は航空機事故が多かった時期で、ボーイング727型機の墜落事故が話題になって、テレビドラマまで作られたほどの時代でした。海外旅行に気軽に行けるような時代では無かったですね。ボーイング747型機が登場するまでは、海外旅行は安全とは言えなかったように思います。 映画ニュースみたいな感じで、観光案内番組として見るのであれば、楽しい番組だったように思います。
お礼
回答ありがとうございます。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
当時は海外の映像が見られるというだけで画期的だったと思います。うちのオヤジは昭和44年に初めて海外出張しましたが、帰国後は撮影した大量のスライド写真を職場の人だけではなく、身内、近所の人に上映したものです。当時幼児だった私にも「日本とは違うな」という点だけでワクワクしたものです。それと同じ感覚で見ていました。
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、よく分かりました。