いつかはこういうご質問が出てくるとは思ってました。
尊敬と言うより、なんとも不思議に生きて「人」として人生されている
道徳的な人たちだなぁ・・・・という感慨です。=コレを尊敬と言えるなら、
3%ぐらいの尊敬はあることになる。
不敬だと言われるかもしれないが、近所の八幡さまに初詣する感じでのお賽銭?としてぐらいなら、お供え(=負担)してもいいかなとは思うが、八幡様として屋根・柱を維持するのと同じような、「社」の維持費としての意味合いからです←気分的な私感
国民規模で集めるなら、結構な金額にはなるだろうから、皇室費としてチャラになるんだろうか? でも、もう、無理なんじゃないでしょうか?
ローマ法王のような宗教団体の中心軸のような存在としてなら、「あり」ですけど。 あちらは、血統主義じゃないけど。
宗教的観点から昔の生き神様的?な存在をどうしても欲しがる
島国統治の必要性が政治的にあるのかなぁ・・・と。
一般庶民は思うところです。
万世一系と言われて2000年からの家系と、いうが、
今生きて日本にいる人は、みなが2000年前からの先祖を持ちます。
そうでなければ、今ここに生存してない。
江戸時代の江戸の人は、もとから江戸に住んでいるわけでもなく、人口100万という当時としては最大の都市人口を誇る都市として人が集まる。
そして、彼らは、江戸っ子3代というように、3代続かなくちゃ江戸っ子じゃないという感性。
京都は1000年ですか?
そこに根付くという意味合いからして、3代。
大名は鉢植え大名というように、お国替えするなら、ポンと、将軍様に動かされるので領民とは、もともと文化的には隔絶している。
で、江戸の庶民は、将軍様の上に「天皇様」がおられることはほとんど知りません。
幕末になって、「ソウイウことなの?」という次第。
y遺伝子がどうとかは、後付です。
はっきり、この女から生まれなくては「正嫡」ではないとは、
証明できるように将軍家も大奥ができたが、当時は賢きところは
出入り自由ですから、最終的には、このy遺伝子の子孫ということより、
連れ合いがそうであるということでの継承でしかない。
徳川様を見ればわかるように、血統と言っても、100年ぐらいしか直系系からは続かない。 あれだけ女侍らせてもです。
戦後に潰された宮家は、確か700年前ぐらいの枝分かれだったような?
だとしたら、今生きている庶民だって2000年前からの営々とした血の繋がりとしての今です。
なので、「血統主義的」意味合いとしては肌感覚としても第一の基準、理由とするのは、そこなの?だとさえ言える。
いまや、皇室も生身の人間だと「国民」は、知ってはいるので、いつまで、お気の毒な状態を続けていいものなのかはわかりそうな気がしますが。
妙に、しっかり、隔絶した血統主義を守るなら、
いつかは、科学時代ですから、するなら純粋培養、繁殖?されるにもなるし、ヨーロッパの王家の肖像画にもあるようなことにもつながる。
家系として今後も宗教的な意味合いを求めるなら、国家神道なので、
個人の宗教の自由としてお稲荷さんがいいという人には、そりゃないだろうと思う。
八百万の神様の一員ということでもどうしても、そこだけ肩入れするのはどうなんでしょう?は、庶民感覚です。
制度上のありえない、【身分】格差としても、皇室だけ生身の人が隔絶されるのは、神様だからでしょうけど、「日本人」として人でもないわけで。
お礼
とりあえず維持費の金かかりすぎなんですよね。