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自己分析社会について
頂上を目指して山を登っている苦しそうな人に・・・ 登っている意味はあるの? そもそもそんな体力あるの? この本を読むといいよ あなたが山登りに向いているか教えようか? などと、自己分析を促す行為は・・・私はバカっぽく感じます なぜ苦しそうにしている人に、自己分析・自己啓発を促したがる社会になっているのか? なぜ目指すべき頂上があるのに、足を止めて、自己分析したがる人が減らないのか? 考察で良いので、考えをお聞かせください
みんなの回答
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
- ベストアンサー率31% (3132/9928)
補足ありがとうございます。 申し訳ございませんが登山を甘く見ているのでは? 手を貸すくらいならば強制的に休ませるかレスキューを頼み下山させますね。 苦しそうな人に下手に手を貸すと自分も遭難や滑落してしまう可能性が高くなりとても危険です。 背中を見せるというのは後ろで遭難しても構わないという意味ですが、登山家は山で死ぬのは本望だと言う人もいますけど、誰かが遭難死してしまう程後味の悪いものはありません。 しかも最後に姿を見た人が自分でその時とても辛そうだったのに・・・だったら夜も眠れないかと。 そもそも自己分析させるというのは登山に向かない状態だと思ったからですよ。 自己分析させて休憩を取らせ、動けるうちに下山を開始させないと、とんでもないことになりかねないと思ったからでは? それでも「頂上目指す」なんて言われたら、しっかりとした受け答えでただ疲れているだけだったら「頑張れ」でしょうけど、状態がおかしいならば下山、場合によってはレスキューでしょう。 チーム登山でも仲間が調子が悪そうになったら下山させますよ。 手なんて貸せません。
- SPROCKETER
- ベストアンサー率26% (2125/7983)
当人が自分の病気に気が付かないで愚行を繰り返している場合がありますよね。これは個人に限らず、政府やマスコミでも同じですが。 たとえば、経済成長出来ないのに、何度も効果が無い経済政策を繰り返して失敗するとか、失敗するのがわかっていて、同じ失敗を繰り返すとか、効果がある政策を隠して出そうとしないとか、同じような失敗をした国が武力革命で政権を倒し、隠されていた情報を公開して改革をおこない、成功した事例に触れようとしないとか、いくらでも例があります。 同じ失敗を繰り返して変えようとしないのは、統合失調症の人に多いのですが、30年近く経済成長に失敗している日本は統合失調症国家でしょうね。方法論を選ぶ必要があると思います。 そういう意味では自己分析して病気かどうかを疑うのは間違いではないと思います。マスコミが放送している番組の多くは、統合失調症の患者の妄想を描いた内容が多いです。信じない方が良いですね。
お礼
お疲れ様です
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できれば、質問の例えにそって考察してくださると助かります
- agehage
- ベストアンサー率22% (2753/12076)
私の周りにはそんな人がいません なので受け取り方の問題なのかなと思いました 同じことを言われても「自己分析・啓発」ととらえる人もいるし、そう思わない人もいるのではないでしょうか? そして質問者さんはそう捉えるタイプであると。
お礼
回答ありがとです
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できれば、例えにそって考察してくださると助かります また、私の分析は聞いていません まさに分析を促す社会ですね
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
- ベストアンサー率31% (3132/9928)
ただのアドバイスだと思います。 装備がなっていない、ただ闇雲に登っているならば、「本当にそれで大丈夫?」ってなりますよ。 自己分析を勧める人にとって、相手はかなり危なっかしいと判断したのでは? 登っている最中でも分析して「このまま進めば死ぬ」と判断すれば足を止めたり山を下ることも必要です。 きちんと分析もしないで進むから遭難して死ぬのです。 頂上から下ってもうじき登山口という所で「登山する意味はあるの?」などの方がナンセンスだと思います。 次の登山のための自己分析ならばいいかもしれませんけど。
お礼
丁寧な回答ありがとうです
補足
はい 趣旨に沿っての回答、痛み入ります 私は手を貸すことの選択がないことが不思議です また、背中を見せることもアリかとも思います あるときは、書かれているように止めることも必要かと思います なのに、その場で自己分析を優先させて薦める人が気持ち悪いのです
お礼
お疲れ様です
補足
どうしても回答も分析のような感じになりますね 趣旨と例えを理解してもらえなく、残念です ・・・そういうことではないのです