国鉄時代に作った新幹線(東海道・山陽・上越・東北のうちの盛岡まで)とJR以降に作った新幹線(北陸・東北のうちの盛岡以遠・北海道・九州)で考え方が違います。
そもそも、新幹線というのは最初から高速で走る別路線として計画されたわけではなく、東海道線の輸送量が大幅に増え、全区間にわたって線路を増やす必要が生じました。しかし、当然のこととして全区間にわたって現行路線の横に線路を増やすことはできません。
そこで、主要駅のみ経由するような別路線を作ることで線路を増やすことを考えました。その計画の中でどうせ別に線路を増やすなら、今の新幹線のように高速の特急のみを走る別路線にした方がいいという考え方になり、東海道新幹線として実現しました。
東海道線の場合、輸送量が逼迫したためにその中の特急部分を新幹線として別に線路を敷き、新幹線に移行させたわけです。新幹線い移行させても近距離・中距離の客が多いので、新幹線と並行した在来線を廃止するという考えはそもそも発生しませんでした。
東海道新幹線の成功を受けて、次に輸送量が逼迫した山陽線も新幹線を作ります。この時も、輸送需要が多すぎるので、特急を新幹線として独立させただけですので、普通列車専用の在来線を廃止する考えはありませんでした。しかし、山陽新幹線ですら、山陽本線在来線の特急列車減少分を考えると、莫大な費用をかけて山陽新幹線を作っても厳密には赤字になったのではないかと言われています。
次に輸送量が逼迫していたのが東北線ですが、東北線はすべての区間において輸送需要が逼迫しているわけでもなく、新幹線作れば在来線の経営状況が相当悪化することはわかっていたようです。それでも、新幹線建設による全体の需要増加等も考慮して、在来線は国鉄として残すことになりました。上越線も同様です。
で、そのころには国鉄の赤字も深刻化し、新幹線と言えども建設計画が凍結されました。また、今後計画されている新幹線は、東北新幹線と同様、輸送量が逼迫しているわけでもなく、在来線の経営悪化がさらに大きくなることも予想されていました。
JR後、再び新幹線を作ってほしいという声が大きくなっていました。しかし、JRは国鉄以上に赤字経営が許されません。また、政治家などから赤字の原因となるものを押し付けることも許されません。(それが国鉄の赤字の原因の1つでした)
そこで、政治家は新たな方法を考えました。まず、建設費の負担方法を工夫し、新幹線だけで見ればJRは赤字にならないようにしました。その上で、経営悪化が必至の在来線をJRとしては廃止する権利も認めました。(つまり、地元負担の第3セクターなどとして存続させるか、廃止してバスなどにすることを認めた。)しかも、在来線をどうするか地元と協議し、その決定をJRがしない限り新幹線の建設は始めないこととしたのです。
この新方式により長野までの新幹線からは、JRとしての廃止が行われました。ちなみに、JR以降に開業した新幹線のうち、在来線部分がJRとして存続したのは、篠ノ井-長野、博多-熊本、川内-鹿児島中央(旧、西鹿児島)のみです。鉄道として存続できず、完全に廃止された区間は少なく、横川-軽井沢のみです。
お礼
詳しく、ありがとうございました。 最初の三行に尽きますね。 他の回答者様も、これをお読みになって、昔の考えを更新されると良いかと思います。ベストアンサーにさせていただきます。