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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:うつで死にたい気分に毎日、夕方ごろなります)

うつで死にたい気分に毎日、夕方ごろなります

このQ&Aのポイント
  • 中学生の時にひどいいじめを経験し、うつ病になった人がいます。その後もいじめや職場での嫌がらせに悩み、現在もうつ状態が定期的に訪れています。現在は抗うつ薬や抗不安薬を試していますが、うつ病の治療には限界があり、他の治療方法を模索しています。その中で躁うつ病の薬であるラミクタールに興味を持っていますが、副作用やリスクがあるために医師からは処方されていません。しかし、個人の責任で試してみることを考えています。ラミクタールを試してみるべきかどうか、アドバイスをいただけますか?
  • 中学生の頃にひどいいじめを受け、そのトラウマが原因でうつ病になった人がいます。その後も職場でのいじめや嫌がらせに悩まされ、現在もうつ状態が続いています。抗うつ薬や抗不安薬を試していますが、効果が限定的であり、他の治療方法を模索しています。そこで、躁うつ病の薬であるラミクタールに興味を持っていますが、副作用やリスクがあるために医師からは処方されていません。しかし、個人の責任で試してみることを考えています。ラミクタールを試してみるべきかどうか、アドバイスをいただけますか?
  • 中学生の頃にひどいいじめを受け、うつ病になった人がいます。その後も職場でのいじめや嫌がらせに悩まされ、現在もうつ状態が続いています。抗うつ薬や抗不安薬を試していますが、限界を感じており、他の治療方法を模索しています。そこで、躁うつ病の薬であるラミクタールに興味を持っていますが、医師からは処方されていません。しかし、個人の責任で試してみることを考えています。ラミクタールを試してみるべきかどうか、アドバイスをいただけますか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • pipipi911
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回答No.6

お礼、拝見しました。 滅多に「お礼」は見ないのですが…著名な人や 自身が興味の有る人であるのなら ともかく、一般人の〈履歴〉や〈感情〉を喜んで 聞くこと人は稀有かも知れませんよ。 精神科医は病気を治す為の情報ならば耳を貸すでしょうが、 自身のクライアントであっても〈履歴〉や〈感情〉を 聞く時間がないのが実情でしょうな。 [1日に診察する人数は決まっているでしょうから、 診療時間で割り算すれば、1人の対応時間が算出されます] カウンセラーさんの仕事は、 クライアントが自身の洞察力で治せるように 環境を整えるところに有りますので、こちらも クライアントの〈履歴〉や〈感情〉を聞くことは 本意ではないでしょうしね。 〈履歴〉や〈感情〉を書く ブログ等を始めませんか。中には、 興味を持ってくださる人が顕現するかも しれませんよ。 他、アナタ様のこれまでの人生体験を題材にして 小説・童話・絵本・エッセーetc.を 書いてみませんか。 [自殺を考える人は、どちらかの親への アグレッション・ルサンチマン・ホスティリティetc.が 有るケースが少なくないのですが…アナタ様は 如何なんでしょうな] Ciao.

noname#246465
質問者

お礼

前向きなご提案に感謝します。 私に創作の才能があればいいのですが。 今日もうつ状態が夕方に襲ってきて、とてもきつかったです。その場合に飲む薬を処方されているので、今度から午後にその薬を飲もうと思っています。副作用(唾液が出なくなる)もつらいですが、うつ状態はもっとつらいです。 わたしも日記をつけることがあります。 物語を書いたことなどは一度もありません。ブログなどはいいかもしれません。いろいろ調べてみます。 ご教示いただき、本当にありがとうございます。

その他の回答 (5)

回答No.5

2016年に三恵社から「森田療法の誕生」という本が出ています。 この前図書館から借りて読んだばかりです。 返却したので手元にないのですが、 その本の巻末に森田療法を実践している場所が書かれていたように思う。 (詳しい場所までは書いてなかったかもしれない) 本体3000円と高い本だけど、図書館にあれば見てみては? その本で読んだ印象では、森田療法は現在は死に絶えかけているような感じです。おそらく大学でも歴史的に名前を習うだけで、実際の療法を教育されるというようなことはないのでしょう。後継者も育たないはずで、今実践している所に弟子入りでもしないといけないのではという読後感です。 私は非常に興味があり、良い治療法ではないかと45年ほど前から知っていますが、わが郷土の偉人なのに、県民にも認知度は極めて薄いようなのです。

noname#246465
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 20年以上前に医師に勧められて森田療法に関する書籍を2冊ほど読んだ記憶があります。当時は森田療法に期待を持っていましたが、今はそれほどでもありません。やはり薬が一番効くし冷静な精神状態になれるからです。ただ残念なことに、ここ数年抗不安薬が効かなくなってきています。そのため向精神薬も処方されています。その場合も記憶力の欠如などがあります。そのため、ここ20年ぐらいの記憶があいまいになっています。そういった理由が、私を、そううつ病の薬のラミクタールに関心を寄せるきっかけとなりました。 数日前の診察の時、再度、主治医にラミクタールの処方を検討してくださいと頼みました。でもやはり重篤な湿疹ができる可能性や、薬を飲み忘れた後に出てきやすい副作用を心配しておられ、処方は当分しないとの答えでした。 また薬を飲み忘れることは、結構あるので、その時に副作用が出やすいので、入院を検討しないといけないとも言われました。そのため、私の不安もあり、それ以上先生にお願いできませんでした。 重篤な湿疹が出た場合の怖さも、私にはまだあって、先生に黙って飲むことはできません。一応今までの薬や漢方薬で対処してみようという結論になりました。 森田療法に関する知見をありがとうございました。

回答No.4

 月並みな言葉をおかけする気はありませんが、2つだけ回答させてください。 ひとつは、お薬です。「抗うつ薬、抗不安薬、向精神薬など、いろいろ試しています」とありますが、主治医の処方ですよね。ラミクタールの使用を含め、ドクターとよく相談されることをお勧めします。絶対に、自分の判断でされないよう切にお願いします。 ふたつめは、あなたと似たような方が就労されているのを存じてます。病状を落ち着かせることが最優先ですが、就労相談もされていくと良いと思います。障害者就業・生活支援センター事業が各市町村でおおよそ行われていますので、市役所等に問い合わせてみてください。  各機関に、あなたをサポートする者が待機していることを忘れないでください。

noname#246465
質問者

お礼

ありがとうございます。主治医に相談した時は、あまりいい返事をもらえませんでした。やはり副作用の心配とその場合の命の危険を心配されています。私がうつ状態になったときは、言葉に表せない苦痛で、本当に自殺したい気分になります。ある程度うつ病について調べてきたので、うつがなくなればこの苦痛もなくなると自分に言い聞かせて、やり過ごしています。私のうつ状態は睡眠が少なくなると症状がひどくなる傾向があるので、就労に取られる時間を考えると若い時のように睡眠時間を減らしてまで仕事をしようという意気込みがありません。また睡眠時間の減少とストレスが私のうつ状態の原因の一つと考えられるので、あまり仕事への意欲がなくなりつつあります。職場での仲間外れなども予期して、不安というか恐怖感がぬぐえ切れません。ありがとうございました。

  • pipipi911
  • ベストアンサー率22% (1029/4602)
回答No.3

110歳まで、まだ50年以上有りますよ。 試して、救われる感じが有るのであれば、 自己責任で、試されても 宜しいのではないでしょうか。 [この質問を書いていて、 多少の救われ感がありましたかな]

noname#246465
質問者

お礼

誰かに聞いてもらいたい、自分の履歴と感情を聴いてもらいたいという気分になります。以前は実際何人かに話しましたが、医者以外の人は離れていきました。医師でも話を聞いて薬を調節してくれる医師と、「わかりました、次の予約は・・・」、と言って薬の調節をしてもらえない場合があり、軽く見られているのかなと思うこともありました。質問というより、考えを聴いてもらい(読んでもらい)、感想を知りたいという思いが強いのかもしれません。ありがとうございました。

回答No.2

創価学会がそんなに差別されているとは知りませんでしたが、 寮で学会員と知られるようなこと、布教活動でもしたのですか、その夫婦は。 悪意なく自己紹介して寮長の知るところとなったのかな。 その寮長の色眼鏡が過ぎるのか、新興宗教はすべてご法度なのか。 今の創価学会はおとなしいもので、他人に迷惑とはならないように思っていますけど。 しかし、なんですね。 あなたのように苦しんでいる人の支えになるのが創価学会の役目じゃないですか。 近くの学会員が助けになるはずでしょうに。 それが無いなら創価学会なんて無意味ですやいか。 (わたしの友人や親族にも創価学会の人がいて、多少は知っています)

noname#246465
質問者

お礼

おしゃるとおりです。創価学会を嫌う人はある程度の年代から上の人に多いと思います。 私の記憶にある、一番古い記憶は、幼稚園に入ってすぐのころ、座談会に行ったときに、5人くらいの子供たちと一緒に、小学生のお姉ちゃんぐらいの人に連れられて、隣の家の駄菓子屋へ行った時のことです。みんな親からおこづかいをもらってアイスクリームを買いに行ったとき、でてきたおばさんがすごく怖い目つきで、ぼくたち子供を床の上から見下ろし、睨みつけられました。しばらくして僕たちを引き連れて行ってくれたお姉ちゃんが、「もういこう。」といって、みんなで帰ったことがありました。 そのころから、幼稚園も怖くなり、幼稚園に行っても部屋の中で一人で積み木遊びをしていたのを今でも覚えています。 今でこそ、当時は夜遅くまで座談会や勤行をしていた創価学会を、隣の駄菓子屋のおばさんが怒っていたのだと推測できますが、幼稚園や小学生の子供には理解できなかったと思います。 創価学会員に悪気はなかったとしても、迷惑を感じていた人が多い時代でした。今でこそ常識的な人が多いですが、そうではない人も20年ぐらい前の会社勤めをしていたころは、少数ですがまだ周囲にいました。 回答いただきありがとうございました。

  • givemi
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回答No.1

こんばんは。 全文読みましたけど、そこまで考えてるんだったら試してみていいんじゃないですか? なんか"死"を簡単に考えてるみたいですけど、現実に死というものが目の前に見えた時にそういう考えができますかね? あまりにも考え方が悲観的すぎて慰めの言葉が、みつかりません。

noname#246465
質問者

お礼

実は私もあなたと同感です。今はうつ状態ではないので普通の状態です。しかし。環境や仕事、睡眠時間、食事内容、運動によって気分はずいぶん変わります。例えばいやな体験を思い出すだけでもだれでも気分が落ち込むのではないでしょうか。私の場合、あまりにも創価学会が関係したいじめの思い出がほかにもたくさんあります。創価学会が関係していないいじめにもあい、危害を加えられたこともあります。 特に空腹になったり、我慢したりすると後から気分の落ち込みがひどくなります。そのほか飲んだり塗ったりする薬でも気分が落ち込む、感情をコントロールできなくて、死にたい気分を通り越して、寝たきりになったりします。薬の副作用でうつ病になることを知っている医師が、あまりにも少なくて絶望します。 だから、いじめにあったつらい経験を思い出したくはないのです。でもその人の顔や場面を繰り返し思い出し、忘れ去ることはできません。だから厚生労働省が薬を規制していくのに怒りを感じます。たった一つの薬だけで正常な人間に戻るなどめったにないことです。だから日本は先進国の中で自殺率が一番高いのです。 それと会社がうつを生み出していることも忘れられない事実です。自ら激務で自殺する人がなんと多いことか。 小泉政権時代のセーフティーネットなどどこにあるのでしょうか。真面目に生きてきた人ほど、自殺します。この世を絶望するからではなく、過重労働が原因でうつ病になり、眠れなくなり死を選ぶのです。自殺は周りの人間たちがそうさせています。 死を簡単に考えていると書かれていますが、本心から死にたいという人はいないと思います。 私の世代では、バブルの時代で、男は高学歴、高収入、高身長が結婚の条件だとマスコミが何度もあおりました。マスコミはすべて無責任です。人が死んでも謝罪する人間が日本にいますか? 私が働いていたときは、通勤時間が5時間、研究は会社で行え、寮では論文を書け、と言われていました。 睡眠時間が実質4時間、それまでの睡眠時間は約8時間で標準でした。土曜日、日曜日は精神科クリニックに通院したり、部屋でずっと寝ていました。当時の経済状況では転職も難しく、転職活動をする時間もなく、別の仕事を探す気にもなれなくて、このままこういう生活がいつまで続くのかと考える毎日で、まじめに仕事をしすぎたと思っています。 さらに警察の盗聴を気づいたあとは、あからさまに、尾行や、横浜市立大学で、警備員と一緒に威嚇され、神経科に通院しているだけで、僕が切れて刑事に殴りかかるように、様々な威嚇をしてきました。精神的に病んでいる人間を挑発して、実績を上げたい警察官の上司がなんとか精神疾患者を犯罪者に仕立て上げたいのでしょう。 人の命を守る人間たちの警察が、自分の失敗を何とか挽回したいのが、ありありと見えます。 ちなみに私は150センチの身長で、西田敏行さんを小さくした体つきをしているので、横浜市ではまじめに仕事をしていても、不審者に見えるのでしょう。 創価学会にも話しても、相手が警察だとわかると逃げていく連中でした。実家の親も信じてくれず、食物が減っていくので、外出できないから、親に食料を送ってくれと懇願しても、私の精神状態が最悪になっていることを理解できず、何も送ってくれませんでした。 実家に帰った後、センターの紹介で精神科を受けましたが、私が「森田療法をしてください」と懇願しました。そしてわかったとその医師は言いました。 しかしその医師は個室に入院させ、当時販売されたばかりのリスパダールを飲ませ続け20錠位飲ませて、肥満体形にさせ、漫画の本を開いても文字が見えているのに、その言葉の意味が理解できない状態になりました。診察は研修医に任せ、その若い医師も、病室のドアを開けると同時に、わざと設定した携帯電話を鳴らし、呼び出されたふりをして、全く私との会話はありませんでした。ほんとは一か月で会社に復帰するよう、横浜の医師が書いてくれた書類も無視して、10月から、翌年の3月まで、入院させられました。弁護士に連絡できるとポスターが貼られていましたが、一台しかない電話は、いつでもほかの患者さんが使っていって、携帯電話は取り上げられていたので、弁護士との連絡は事実上できない環境でした。薬を大量に飲まされたあげく、話すこともできなくなり地獄でした。 その医師は数年後自分の誤診に気づき、慰謝料を取られると思ったのか、私が電話しても面会しない、と言い放ち、逆切れしました。 私がかまをかけて、弁護士と一緒なんですけど、というと、それなら面会すると言いました。おそらく示談で済ましたいと考えていたのでしょう。 でも、弁護士に頼むお金や、自分の対人恐怖症が重傷だったので、この医師との交渉は今でも、できませんでした。 とても悔しくて、国会議員秘書にも相談しましたが、警察関係の仕事は避けたいといい、その後、私とは連絡できないようにしていました。地元の公明党議員も私との接触をしないように対処していました。 自費で弁護士にも相談しましたが、警察相手だとどうにもならないと断られました。 人を救うのが仕事の警察も、弁護士も、明らかに僕が被害者だと認識しているようでしたが、相手にされませんでした。 もしも議員であった父が生きていたら、すごい剣幕で怒り、私を守ってくれていたと思います。 父は創価学会からの信用があつかったので、断っていましたが、仕方ないと市議会議員になったのですが、学会から利用されたと僕は見ています。 父はまじめな人だったので、肉体的にも金銭的にも、弱い立場の人間を助けていました。しかし、睡眠不足、栄養不足、運動不足、ストレスがたまっていき、医師から入院を勧められていましたが、入院せず、40代で脳出血で突然亡くなりました。その後、日蓮正宗の若い坊さんが、初七日のとき、悲しみの収まらない私の母を寺に呼びつけ、お布施が少ないと罵倒したそうです。 母は泣きながら土下座をして謝りました。かなりの期日が立った後、私にそのことを話しました。私が怒り狂ったのは当然です。でも母は大ごとにしたくないようで、私は何もできませんでした。 この後まもなく、池田先生や創価学会は、日蓮正宗から破門されました。こんなに金銭欲が強いのが坊さんとして寺に今も住んでいます。くやくしてたまりません。 死というものを簡単に考えているわけではありません。こんな国で、だましあいながら、もんじゅを受注して、燃料が増えていくと宣伝し、数兆円の税金泥棒のIHI、東芝連合にあきれて、日本に生きている理由が見つからない、ただ生きている意味がわからなくなっているだけです。 長時間ありがとうございました。