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大川小学校
私が大川小学校を訪ねた時は校庭の奥ににお地蔵様があり手を合わせた記憶があります。 しかし、周りの土地は池のようになっていました。 今はかさ上げ工事は進んで人は戻っていらっしゃるのでしょうか? 教えて戴けると幸いです。
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- eroero4649
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回答No.1
現地を訪ねたことはなく、報道で知るのみですが、教師側が適切な処置を行わなかったという悪いイメージもあり特に就学児童の戻りがあまりに悪いので廃校に至ったということですから、戻ってこない人は多かったのだと思います。 これは大川小学校の周囲に限った話ではないと思いますが、「街に人が戻る」というのは年寄りが戻ることではなくて子供を連れた家族が戻ることを指すと思います。ジジババが何人戻ってきたところで、その世代が死んじゃったら終わりですから短期的な話ですよね。 でも小学生にとっては、避難した場所に3年も住めばもう避難先に同化しますよね。おぼろげな幼少期の記憶がある場所より、今自分が住む地に愛着も持つでしょう。何より、今住む場所に友達がいます。わざわざまた友達が誰もいないところに戻りたいって子は少ないと思いますよ。「自宅が流された」という記憶もありますしね。 被災した町の復興を目指す人々には悪いですが、私は先がなくて新しい場所になじむ気力も体力も残されていないジジババ世代は別にして、津波で大きな被害を受けた地域にはもう人は戻らないほうがいいのではないかと思います。 そのような土地では、ほぼ百年に一度のペースで大津波がきてその度に村が全滅するような場所もあります。今の日本は人口減少社会です。無理にそのような危険な場所に住む理由もありません。
お礼
確かに仰って意味は理解出来ます。しかし、年寄りには生まれ育った代々の土地、そして、子供達にも生まれ育った土地であり実家。気仙沼・飯舘村で作業にあたった人間でも温度差はとても理解出来ます。 でも、町が復興して欲しいと願い作業してきた者にとっては寂しく感じます。 回答ありがとうございました。
補足
回答者が何処に住まわれてるか知りませんが、阪神淡路大震災を体験し、東日本大震災の跡を目の当たりにした私には意味は別っても理解は無理なので質問は締め切らず放置する事に致します。