一応、宗教関係者です。「悪魔」に関して「宗教史的な視点」から回答させていただきます。ただ、キリスト教以外は詳しいわけではありませんので、ご承知おきくださいませ。
キリスト教の聖典『聖書』の記述には、数々の「悪霊払い」の記述がみられます。また、カトリック教会には「エクソシスト」という悪魔祓いを専門にする下級聖職者も比較的最近まで存在していました。プロテスタント教会でも少数ながら「悪霊追い出し」をする力がある人物がいたということが報告されています。
特に古代ユダヤ社会においては、精神疾患のみならず、様々な病気が「悪魔」ないしは「悪霊」の働きであると考えられ(例えば癲癇による発作は「月」が原因だと考えられていた)、医学的な治療よりも、宗教の対象になっていた歴史があります。イエス・キリストもそのような宗教的治癒者の一人でした。
しかし、精神疾患などの原因による「異常な行動」が、すべて悪魔の仕業と考えられていたわけではありません。「幻覚」「幻聴」は、時として神からのメッセージと捉えられ、そのようなメッセージを受け取ることができる人物は、しばしば「預言者」として尊ばれました。また、古代から宗教的な「恍惚状態」も報告されています。しかし、このような状態は、他の宗教から見ると、あたかも悪魔に取りつかれた状態だと受け止められてきたようです。
仏教についてはあまり詳しく知りませんが、日本では「狐憑き」という一種の錯乱状態があります。しかし、これも「悪い霊の仕業」と捉えた人と、「(守護霊などの)よい霊の働き」と捉えた人に分かれているそうで、必ずしもすべてが否定的に受け止められたわけではないようです。
いずれにせよ、「悪魔に憑りつかれた」とみなされてきた人たちは、様々な偏見や差別に曝されてきたことは想像に難くありません。しかし、医学や心理学が発達した今日、その原因も徐々に明らかになってきており、悪魔には気の毒ですが、悪魔の働く余地は少なくなってきたのかもしれませんね。
ここからはキリスト教的な価値観になりますが、悪魔は非常に賢く巧妙です。古代では差別する側の人を対象としてきましたが、現代ではひょっとすると、そうした差別をする側の人たちにこそ、悪魔は働きかけているのかもしれません。ですから現代で悪魔に憑りつかれた人たちは、「錯乱する」などの見るからに「異常な」行動はとらずに、「普通」を演じつつ心に付け込んで、他人に害悪をなしているのではないかとも思います。
まあ「正解」のない問いですので、「正解」を答えようがありませんけれども、宗教的な立場ではこのようにも考えられているという一例を、ご紹介させていただきました。
お礼
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