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女性に対しての固定観念

日本で、″女は優しく、控えめで、つつましやかで、おしとやかに″とされていたのは、西暦何年くらいまでですか?

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  • Osric
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回答No.2

50代後半の男性です。女は優しく~ってというイメージは、要は良いお嫁さんという事ですよね。私の経験では、1980年代後半位から、企業で女性の総合職を取り出した頃から、女性の仕事に対する考えが変わったと感じています。私と同じ年代の女性は、学校を卒業したら、まずは結婚という感じでしたが、上記の年代くらいからは、まずは仕事で、その上で結婚という感じです。専業主婦率も大きく変わったと思います。でも仕事バリバリの女性でも、仕事を離れると、おしとやかな人って結構いますよ。

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回答No.3

四つの概念があります。 ひとつは貴族の話。 平安期、貴族は女性を奥に隠しました。家にいるのは女性であり、妻どい婚だったので、男性を家に導くために、女性を奥に隠したんですね。 それに対して、平安期に出てきた武士は、男が戦う間、領地を守る役割が課せられました。そこに奥ゆかしさは不要です。 間に、庶民の話。 日本の多くの地方では、乱婚の習慣がありました。農地や耕作権を継ぐ家の概念は、血統とは切り離されたものでした。 武家の家系図もですが、家督を継ぐ家系と、血統は異なるもので、血統は重視されません。 家督から外れた男女は、奉公などで都市部に出て文化の担い手になります。(当たり障りのない書き方をすると、ですが) つぎに明治維新。 明治維新で政権を取った、江戸幕府を倒した地方大名の下級武士たちは、支配階層にあった文化を持ち合わせていませんでした。平安期の貴族にも、武士にも入れず、農民のような生活文化を持っていました。 これは、関ヶ原で負け、大大名だったのが数分の一、十数分の一に領地が縮小したり、移封時に取り残された武士が禄を召し上げられ半農化して続いたからです。 彼らは自分の支配階層の武士ではなく、貴族のマネを始めました。 ご質問の女性の条件が近代に確立したのはこのためです。 ですが、戦争への道を進み、学徒動員まで状況が及ぶと、女性の美徳はそれどころではないことになります。生き残りをかけるには、女性の資質より持ってる資産や生活力が優先されます。 最後に。 敗戦で貴族華族は解体され多くの若い女性は慰安婦として狩り出されます。 その後、高度経済成長が始まり、庶民の生活が向上し始めます。もともとは乱婚と家督の文化を持っていた庶民は、経済的に余裕ができると華族の文化をマネしていきます。 その過程で再びご質問のものが女性の美徳として返り咲きます。 ウーマンリブがはやり、その後くるバブル期が、女子大とくに女子短大の全盛だったのは覚えておくといいです。クリスマスになる前に結婚して子をなすための大学です。 この時期に目指された女性進出は、あくまでも、結婚して子をなす前提の進出です。 バブルがはじけ、夫婦を維持するのに女性の収入を当てにする時代がきて、やがては実力主義になり力ある女性は男性の多くよりも高収入を得るのが当たり前になります。女性の美徳も薄れていきました。 武士の台頭期や戦中と同様になったんですね。 気配はバブル崩壊後あたりからですが、社会が当たり前と理解するようになったのは、ここ数年だと思いますよ。だからまだ理解できていない政治家が失言をするわけです。

  • dkv_sz
  • ベストアンサー率19% (38/194)
回答No.1

1960年代にはすでに、女性像は変化していた(現実に即したものとなった)。 そのように思います。 昔の映画や、ドラマ、果ては、音楽なんか聴いてもそう思います。 日本で言うなら、太平洋戦争が終わった頃からわずかな期間ではないでしょうか? 昭和の中盤くらいからは明らかに女性が台頭して参りました。