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野良猫は不幸せでしょうか。
野良猫は不幸せですか? 桜ねこ活動をわたしは支持しています。 けれど、みなさんに聞いてほしいとこのスペースをお借りしました。正解はないは分かっております。意見をお聞かせください。 昨年引っ越してきたここには 首輪のないねこちゃんたちがたくさんいました。飼い猫だったら、、と思うと勝手出来ませんし、まずは様子を見ていました。そうしたらすぐにノラちゃんだとわかりました。 地域住民が片田舎の自宅敷地内や道路脇でごはんをあげて、猫たちは貰って、毛並みのいい中肉中背のねこちゃんたちは草ぼうぼうの共同駐車場で遊んでいます。マンション周りだけでもその数軽く十はいて……。 可愛いのはわかります。 わかりますけれど、毎日毎日定時にノラちゃんたちにご飯をあげるのはどうもわたしには享受でき難い行為でした。だって、無責任です。お家で飼えない(飼いたくない)から 外飼いなんて。そうして繁殖して生まれてくる子たちは厳しい環境下で無為に生きなければならないのに。 そうしてもんもんとしていたらあれよあれよという間にお腹の大きな子たちがたくさん。 ああこれはいけない! 梅雨が目の前なのに! これはいけない! そう思い保護しようと試みましたが、けれど警戒心は強く人にご飯をもらっているはずなのに、やはり初見ではダメですね。その春に生まれた子は知る限り九匹いました。いまはそのうち四匹しか見当たりません。 そのとき、子ねこちゃんたちは草の生える駐車場でぴょんぴょん飛び回って、親に甘えて。兄姉で追いかけっこして、授乳、排泄、お昼寝、グルーミング 、、 ……みていたら、 どうも、なぜだか、言葉にはうまく出来ませんが、不幸せには見えませんでした。今までのわたしの考えが覆されてしまうくらい、子猫も親猫も必死に生きていました。 あるとき、駐車場で一匹梅雨の晴れ間に亡骸をみました。よく知ってる子でした。 もっともっと小さいときから知ってた子で、たぶん、 この世に生を受けて三ヶ月の子でした。慌てて駆け寄って、触れたら硬くて、怖くなって、わたしは逃げてしまいました。 けれど他の兄姉たちは元気にすくすく育っています。 例えばここが自然界だったなら生きるも死ぬもそれは普通のことだったでしょう。けれどここは住宅街で、確実に人の手が彼らを育んでいて、そのなかで元気にすくすく育って、可愛く鳴いて、遊びまわって、甘えて寝転んで。人から美味しいものを貰い食べたり、クローバーの青々とした上に寝転んで、かさかさした草の穂に飛びつき遊んで、アスファルトの上に大の字で寝転がって、ライトに照らされオドついて、たまに喧嘩して怪我をして。、、 それは、本当に不幸せなことだったのでしょうか。それをこの子たちの幸不幸をわたしなんかが決めていいのでしょうか。 昨年の春、生まれた子のお腹が大きくなってきました。今のこの寒くなりゆく季節にです。 わたしへの警戒心のない子です。 うちにいる三匹の猫と、それから旦那さんは怒るかもしれませんがこの子をうちに招いて、うちで産んでもらって、そのあと桜ねこちゃんになってもらって、また前の暮らしに戻ってもらえたならと、わたしは強く思っています。 強く強く思っています。 なのに、それはわたしのエゴでしかないのかもしれない。少なくともここの地域で生きているねこちゃんは自然に負けてしまうことはあっても人から虐げられることはほぼ皆無です。 ここに生まれてくる子は不幸せでしょうか。 わたしがこの子たちやこの先生まれてくるだろう命に関わってもいいのでしょうか。みなさんはどうお考えになりますか。 初めての猫は三ヶ月の迷い猫でした。 二匹目は半年で譲渡会でご縁を頂きました。 三匹目は生後二週間で死にかけていました。 彼女たちの命と一緒に暮らしていこうと決めた時にも思えば、似たようなことを考えました。だって、この子は阿蘇のあの山で生きて死ぬことを思っていたかもそれない。この子は人に保護されることを望んでいなかったかもしれない。この子はもしかしたら母猫が戻ってきて、母猫の元で生を終えれたのかもしれない。それでもいま、元気にわたしと生きてくれています。 近隣住民の方は猫を確かに地域猫として可愛がっています。けれど、迷惑であるとき思っているご家庭も確実にいらっしゃることも十分承知しています。なので、住民の方の迷惑を───というご意見は苦しいほど理解しているつもりなのでご容赦願えたらと思います。
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- hekiyu2
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京都大学に霊長類研究所、という世界的な研究所があり そこではチンパンジーの研究をやっています。 そこの調査によると、チンパンジーには不幸、という 感覚は存在しない、とのことです。 だからどんな悲惨な境遇でも、ケロッとしています。 不幸という感覚は、将来を想うことが出来る人間だけの 特権だそうです。 こうした点から考えるに、猫ちゃんに、幸福、不幸という 感覚は存在しないと思われます。 不幸が無ければ、幸福もありません。
- toypoo
- ベストアンサー率20% (9/45)
幸せかどうかわ猫ちゃんに聞いてみないとわかりませんが、 猫ちゃんは、お話しできないので・・・・・。 田舎の車がほとんど通らない地域での野良ちゃんは、 車に、ひかれる危険は少ないので幸せなのかもしれませんが、 街では、人も多く住んでいますので、悪さをしたりも目につきます。 一番は、無意味に繁殖して増えていきますので・・・・。 保護して、避妊・去勢をして管理している地域もあるみたいです。 今は、マダニなどが大変にこわいので、保護してあげるのが 人間にとっていいのかな?って思います。 参考にならなくてスミマセン。 これからも、保護活動など、 誰もができることではないので、頑張ってください。 よろしくお願いします。
仮に飼い猫より寿命が短くなったとしても、生きていくことができれば不幸せではないと思います。 飼い猫や飼い犬は、人間と同じように虫歯や歯周病にもなったりするようです。 人間なら、それで歯を失っても、お金さえ出せれば入れ歯を使って、それなりに食事をできます。 猫には入れ歯はないでしょうから、長生きできたとしても幸せとは言い切れないと思います。
野良を家猫を比べたら、やはり家猫の方が幸せなんじゃないでしょうか。 餌と安眠できる環境を確保できますし、病気の面倒も診てもらえます。 ただ、去勢手術は自然界にはない事なので、その点においては野良の姿が本来あるべき形なのかもしれないです。 ただ、元々猫は愛玩動物として人間社会のすぐそばで暮らしてきた生き物なので、どうしても人間に依存するのは仕方ない事。 なので、人間に都合の良いといえば耳が痛いですが、野良であっても去勢は今の社会では仕方ないと思います。
- ponyo7
- ベストアンサー率18% (134/724)
私は猫を助けることがあればそれは縁だと思っています。 捨て猫だけで家猫として6匹育てました。最長22年生きました。 どぶにはまって鳴いていたもの、真冬の広い公園で鳴いていたもの、幹線道路の真ん中で鳴いていたもの、レストランの入り口で弱って横たわっていたもの、翌日保健所が回収に来ると言って段ボールの中で鳴いていたもの、カラスにつつかれていたもの、全て家に引き取りました。 決して裕福な家庭ではなかったですが、子供たちも小学低学年でしたが、私は子供たちはこの猫たちに育ててもらったと思っています。愛する心や優しさは猫を通じて子供たちに教えてもらいました。 逆にひどい場面も見ました。 弱った猫を病院に連れて行ったら「わ、ウジだ!」と言って連れて帰るように言った獣医や、店の前で車に轢かれて顔が半分潰れても、必死に起き上がろうとしている猫を見たペットショップの定員が知らん顔だったり。この時は猫がかわいそうで泣きそうでした。タクシーで病院に連れて行き点滴を打ってもらいましたが、翌日医師から脳がつぶれているので食事も排せつもできませんと言われ安楽死をお願いしました。 野生か家猫かどちらが幸せなのかは分かりませんが、夜、大の字になって一緒に布団で寝ている我が家の猫の寝顔を見ると是非お家で引き取ってあげてほしいと思います。
- tzd78886
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野良猫は不幸です。存在そのものが誰も喜ばないからです。野外では縄張り争いに明け暮れ、歳をとって勝てなくなればやがて病気やけがで死んでいきます。野良猫の寿命というのはせいぜい3年程度だそうです。これは子猫のうちに死んでしまうものを含んでいないので、それを考慮すればもっと短くなるでしょう。私は野良猫に限らず放し飼いにしている猫全てを許容しません。敷地内に糞をされ、地域によっては貴重な生物を捕獲して絶滅に瀕する状態になることもあるからです。アライグマやハクビシン同様、「特定外来生物」として駆除するべきです。その方が全ての人と野良猫自身にとって幸せです。