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一月万冊を友人、知人達にオススメすると、
一月万冊を友人、知人達にオススメすると、 一月万冊に対して、一月万冊はオウムだとか、 一月万冊は幼稚だとか、くだらない等の 内容も見ないで、脊髄反射で、 謎の罵詈雑言を言われるが、 これは皆が一月万冊に 対してやっかみ、嫉妬を抱いたり 自分のコンフォートゾーンから外れた、 一月万冊の言動にイライラするためだと思うが (いわゆる有名税) 皆さんは一月万冊についてどの様に思われるだろうか? 皆さんにとって、一月万冊とは? 友人関係、カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。
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「歩く便利な知恵袋」みたいな感じ。 私も速読はできませんが読むのは速い方だと言われます。 しかしごく一般的なスピードです。 速く読めるものもあれば時間がかかるものもあるので。 で、そうやって読んで得た知識がある程度蓄積されていると、 周囲の本を読まない人達から便利重宝にこき使われます。 「自分で調べて」と言っても「あなたに聞く方が正確で速い」とのたまう。 暇な時はいいけれど、そうしょっちゅうやられるとたまにはイラッとすることもありました。そういうことってないですか? 一月万冊の知識が積み上がっていくのなら、 それは大層見識も広く深く豊かなものなのだろうと思います。 日々脳力も鍛えられており、人間の記憶が古いものから押し出されていくというような当たり前のこともないのでしょう。 膨大な量の記憶がきちんと脳内で整理されいつでも適切に引き出せるような状態が保てるというのならそれはまさに歩く知恵袋に匹敵するような気がします。 私はもし仮に万冊の本が読めたとしても、万冊の本をきちんと脳内に収めるだけのキャパシティがないと思います。 一年前に読んだあの本のディティールを伝えたいのに記憶の奥底に沈んで出てこないという葛藤は起きないのでしょうか。 もう一度バラララと読めばいいじゃんと言う感じなのかな。 一月万冊、読めたとしても記憶がうまく整理できない私には利用価値がありません。 他人に教えるのに適当な知識はかえって混乱を招くし、 せっかくの知識を自分以外が有効に使えないというのも何だか勿体ない。 使える範囲は限定されるけれど、ほどほどうまく使えている今のペースでも満足です。 できればもうちょっと頭が賢くて経済的余力があれば一月万冊も夢ではないのだろうか。 うーん残念です。 売り上げ減少傾向にある書籍業界や作家さん達のパトロンとなって、業界全体をもり立てて差し上げて下さい。 一月万冊、期待しております。
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- E-1077
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速読をして沢山の本を読むこと。 これそのものについては異論はない。個人の自由だと思うし、個々人の能力に関わることだから何とも言えない。 私の個人的意見は 1)それほど読みたい本がない 2)速読は出来ないしやる気もないが、そこそこ早い方なのでそこは良いとするけれど。図書館などに行く暇もないからどうやって本を調達するかが問題。立ち読みはNGだとして除外するならば、それだけの本をどうやって確保するのかという現実的問題がある。これをどうすれば良いのかがわからない。 3)何の為に読書をするのか?という大原則をどこかに置いて来ているように思う。同じ本を繰り返して読んで、噛締めるように内容を味わうなど。読書には色々な楽しみ方やスタイルがあると思う。また題名と内容も同じ。 要するには「読めばいいってもんじゃない」ってことかな。 余談 >>友人関係、カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 って書いてあるのがどうしても意味が解らない。 普通に皆様の回答を!で良いのでは?と思った。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます😊
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