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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:フランク永井について聞きたいです)
フランク永井の魅力と晩年の悲劇
このQ&Aのポイント
- フランク永井は低音の魅力で人気を博し、数々のヒット曲を生み出しました。
- 普段の声や人間性にはギャップがあり、ファンからの支持も高かったです。
- しかし、晩年は変な女に騙されて苦しむ姿があり、悲劇的な結末を迎えました。
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noname#230414
回答No.1
君恋し=二村定一の流行歌をジャズ風ににアレンジしてヒットしたが、その後ジャズで ヒットに恵まれずに「デック・ミネ」の勧めで吉田正に出会い歌謡曲に転向。 有楽町で逢いましょう。 そごう大阪本店が、東京に進出の際に出店候補に有楽町を検討したことから始まる。 有楽町そごうの宣伝部長豊原英豊氏が、「ラスベガスで逢いましょう」から 「有楽町で逢いましょう」と言うキャッチフレズで提案採用され有楽町そごの宣伝として 三浦浩一の吹き込みで、作詞されたが吉田正のごり押しで永井に決まる。 この件が、三浦浩一で発売されたら、永井の歌手生活は終わりといわれていた。 恵まれた歌手で、いい気になり馬鹿女にだまされて、人生の落後者。
お礼
ありがとうございます。 「有楽町で逢いましょう」が最初は三浦浩一が歌う予定だったのは知らなかったですね。あの歌でフランクが一躍売れっ子になったことを考えると、運がついてたのでしょう。 晩年については、自業自得と言ってしまえばそれまでですが、ファンとしては年取った彼の歌も聞いてみたかったので残念な気もしますね。