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32歳です。

32歳です。 もしかして人間って、正直に、真面目に、協調性を持って生きていくよりも 多少計算高くて、ズル賢くて、あざとい方が、ある意味要領良く成功をおさめたり 幸せになったりするものですか? 器用・不器用 の問題もあるとは思いますが… だとしたら人生を否定された気分ですし、もう手も足も出ません

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  • nekosuke16
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回答No.1

「人生を否定された気分ですし、もう手も足も出ません。」 本らならば、人間は正直に、真面目に、協調性を持って生きるべきだと思います。 ただ、時代がそれを否定する場合がある。 例えば、物の無い終戦後の混乱期などは、あざとさやズル賢さがなければ、生きること自体、困難な状況だった。 戦後、北海道の炭鉱で石炭の運搬台車からはみ出した部分を申告せずに、自分の懐に入れていた人を知っていますが、こうしたことは、時代背景の中で、当然に編み出された生きる知恵や工夫の類いだったと思います。 翻って、現代に目を向けたとき、時代は進み、目覚ましい発展を遂げた社会は、果たして、どうでしょうか? 実は、戦後の混乱期とは、全く性格は違いますが、とても生きづらい時代という意味では共通点も多い。 安定した職業に就く者達にとっては、これ迄にはない素晴らしい時代である反面、非正規や派遣、下請けなどの社会に翻弄される者達にとっては、今ほど生きづらい時代はない。 ならば、自らの人生を切り開く為にも、ある程度の図太さや自分勝手も必要になることも必要な場合がある。 何しろ、社会から捨てられた訳ですからね。 恵まれた環境にありながら、人間的にズル賢い、あざといというのであれば、これは、くだらない話ですが、生きる術として否応なしに周囲とは相容れない態度や行動を生み出すことは、ある意味、今の時代には必要なことかもしれませんよ。 要は、現代社会は、国や社会に守られた生きやすい者達と、見捨てられた生きづらい者達に分断された時代。 ズル賢さやあざとさがなければ、生きられないということでは、戦後と大して変わらない混乱期と言えなくもない時代だということだと思いますよ。

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