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棋士の村山聖氏が生前「女を抱きたい」と言った話

女性の方への質問です。 今「聖の青春」という映画が公開されていますが。 その主人公の棋士の村山聖氏が生前「女を抱きたい」と言った話。 勿論単に女を抱きたい訳ではなく、子供が出来なくなるからとガンになった時治療を拒否し、また手術をする時母親に「子ども作れなくてごめん」と言ったらしいですし。 そしてそういうことではなく、本当に心から愛し合って抱き合える女性に、という憧憬だったと思う。 余りにも剥き身そのものの氏ですが。 男にはモテた笑。 そしてそういう剥き身そのものの生である事が、心を打つ。 そこで質問。 後からではなく、その当時の氏と出会って、それで彼が望む様な関係として彼と向き合いたいという女性、いますか?。 彼の子供を産みたい、若しくは産めなくても側にいたい、ということも含めて。 氏そのものというよりも、結構これって男女の本質に関わる事に様に思えるのだよなあ・・・。

みんなの回答

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8905)
回答No.4

男女とか友達でもそうですが、まずは実際に会って何を思うかではないんでしょうかね? それから自分の置かれている立場とか、出会った時のタイミングで考え方は変わってくると思います。 映画の内容はよく知りませんが、経済的に自立できないと子供を産むなんてのも・・ 猪突猛進型の活発な女性ならあり得そうですね。

hatena11810
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ですから、氏を知った上で、もし氏とそういう様に出会っていたら、という質問です。 別に子供を産むことはマストではないですし(というか逆に難しい)。 その上で、ああいう剥き身の生そのものしか無い様な男に女性は惚れるのかという質問ですね。 そういう所が人間の心を打つので。 でもそれと男として惚れるのは別なのかな、という所からですね、質問は。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.3

おっさんからの回答で恐縮ですが、そういう男性に惚れぬく女性が1割、私には無理だわーよーやるわーと思う女性が9割ってところですね。 同じような破天荒なタイプの小池重明のほうが女にはモテるとは思いますね。実際結構モテていたし、女性編集者のエッセイに「ある種のタイプの女性をものすごく惹きつける魅力がある」と書いてありました。

hatena11810
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 結局、映画になる程のむき出しの生が心打つことは、男として惚れられることとは別だということですね笑。 一般的に女性を惹きつける男性的な魅力の方は、あまり無いと思うので笑。 女性の惚れる基準はそういう生そのものではないという事なのでしょうね。 男はそういう男に惚れたりするものですが。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.2

映画も、その棋士も私は知りませんが、 女性には一定割合で、いるんじゃないですか? そういう人が。 いわゆるdv男性と、共依存の女性というロールプレイングのような人生パターンとして。 一応、逃げても、何度でも好き好んで(イヤダイヤダといいつつ、イヤダイヤダも好きのウチとか、都々逸もあるし)戻る人もいる。 殺されそうになっても、この人には私・オンナが必要と信じ込めるパターンです。 双方がそれを自覚してないし、そういう男の人生を、女性に押し付ける?ことを 何も疑問視しないで、’聖性’として崇めるという思想もまた、あなたのようにあるわけだから。 視点を変えてみれば、イロイロと、おかしいことがただのロマンス?としてならわかります。 自由選択の後に女性(共依存)がそういう人生をチョイスすることはありでしょう。 ほんとうの意味で、自分の好きなようにできる人も、難しいから。 子供のため、夫のためも指針があるから人生するにレールがあることが便利だとも言える。 男性にも同様です。 子供がいればと、勝手に死にそうになってから考える、ご都合主義ですよね。 死にそうになると、男性は性にアグレッシブになるようです。 戦国時代の男たちもそうだし、もともと、死にそうになると、’子作り作業’をしたくなるというのが、動物的な本性です。

hatena11810
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 でも最低限、氏のことを知ってから答えて頂けると笑。 共依存とか動物的本能としての性とかではないと思いますよ、氏が求めたのは。

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.1

私は無理です。 その才能によほど惚れこんだ人なら別でしょうが。 >彼が望む様な関係として彼と向き合いたい そうありますので、勝負の世界に生きること、そして、その邪魔をせず、常に影となりサポートに勤めるってことですよね。 彼の残された時間を思い、死の不安に怯え苦しんだとしても、それをおくびにも出さず、逆に彼の不安や焦りや苦悩は受け止め、常に笑顔で最高の人生を歩んでもらおうとするということでしょう。 全てを彼優先にし、自分は二の次でないと、まず成立しない関係だろうと思います。 誰かのために全てを捧げる生き方って、相当の覚悟が必要ですよ。 デートは週に一度、忙しければ月に一度でも全く構わないし、デート中に嫌なことがあれば途中で帰ることもアリ。 そんな付き合い方でもいいなら話は違ってきますが。 余命宣告された方の見舞いに行った時の話ですが、会話の中に「自分が死んだら」という話が当たり前の雑談のように出てきます。 その度に、どう反応するのが正しいのか迷いました。(彼はブログで死にゆく不安を語っていましたから) そういう世界ですよ。彼の生きた世界は。 彼と向き合うということはそういうこと。 時には何も出来ない無力感にも襲われます。 向き合いたいと思えますかと問われて、簡単に「思えます」と答えられるほど、単純な話ではないですよ。

hatena11810
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 最初に答えが出てますね笑。 つまりああいう男に女性が惚れるのかということです。 本当の問いは。 何かをしてあげられるかどうかは、それに付随するものであって、それ自体は氏が求めるものではないと思います。 例え何らかの理由で全くそういう支えは出来なくても、心底彼に惚れてくれる女性なら関係ないと思います。 それと「才能」というのではなく、彼の剥き身の生そのものに惚れる女性がいるかということでは思います。 只氏の場合、生と将棋は不二のものとしてあった訳ですが。 そういう生そのものと別のものが不二としてある男に惚れられるかということでもあります。 何かして貰う、何かしてあげる、そういうレベルではそこには届かない。 でも男が男に惚れるのはそういうアホさです、多分笑。

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