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パチンコの歴史
全自動のパチンコは昭和の何年頃から始まったものでしょうか。教えていただけませんか。
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遊技球の歴史。 大正時代に一銭硬貨をはじき景品を獲得するゲームからの由来。 子供のの遊戯。 1930年愛知県警察部から名古屋で自動遊戯の営業許可。 パチンコ遊戯一号となる。 1931年一銭銅貨を使用する「一銭パチンコ」が大人の人気になる。 1936年スチーボールを使用した単発機「スチーボール野球機」登場。 1942年パチンコが禁止されて、パチンコ店は閉店、台は処分。 1945年戦争が終わり軍事用の7/16インチのベアリングの玉が必要なくなり大量に 放出されてパチンコの遊戯玉に流用される。 1646年禁止されていたパチンコが復活。 1948年貸し玉1円「正村ゲージ」が登場。 1949年貸し玉2円。 1952年関西で「ボール製造工業組合」成立。 連発式によるブームで玉不足で闇玉が出回る。 闇玉防止に、玉に○・△・ABCなど刻印が始まる。 玉メーカーが乱立全国120の工場が乱立。 生玉の遊戯の時代が終わり、焼入れの遊戯玉になる。 1953年パチンココ玉鋼球製造の同業組合「五社会」成立。 1934年連発式パチンコ機の禁止。 1965年クロム鍍金処理の遊戯玉が誕生。 1969年連発式パチンコ機の復活(発射速度1分間に100発以内) 1972年貸し玉3円. 1973年電動式パチンコ機の認可。 1977年刻印・熱処理によってバラついていた玉を高精度ラッピング加工した ラップボールとなる。 1978年貸し玉4円。 1981年現在のデジパチの基本の「フィーバー」登場。 2004年風営法規制、新基準機登場、パチンコの種区分が廃止。 確変割合上限50%撤廃、1/500以上までの大当たり確立が融和。 1930年1/500以上まで融和された大当率確立が再び規制されて1/400以上。 私の頃はオール15・25で手打ち、台の上に玉乗せると玉の出が悪くなるので、 台の中にいる、ねちゃんに、玉減らせと言ったり、又入っていないのに出ないと 言って玉貰っていました。(詐欺ですよね) デートもしました、我が青春の思い出。
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- ts0472
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こんな感じ? https://matome.naver.jp/odai/2146434074198071801 http://everyday-refresh.hippy.jp/pachinko/pachinko_history.html 玉を手で入れなくて良くなった 上皿が付いたのはいつ頃だろ? 自動補給の頃かな? 台と台の間に玉貸し機が付いて 当初は左右で共用 その後台と同じだけ設置されて左側に定着 でも左端台は無かったような? http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/7f32b2714e902867f7229848c563e9b1 プリペイドカードが使われるようになって 台と玉貸し機が一体になった感じだったかな?
- takuranke
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電動ハンドルは1973年ごろ。 電動役物は1974年ごろ フィーバー(確か三共の商標)機は1980年 1980年12月に新潟のパチンコ店で120台以上導入して人気に火が付いた記憶が。 羽物は1981年。 以降よく知りません。
- kimamaoyaji
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昭和51年頃は全部手動だったような気がしますもしかすると全自動があったかもしれませんが、非常に少なかったと思います、すぐに増えてほとんど全自動になぅたので、テスト的に始まったのは数年前かもしれません。