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長門裕之と津川雅彦の関係
- 長門裕之と津川雅彦は昭和を代表する俳優であり、二人とも役者のご子息です。
- 若い頃、津川雅彦氏は風貌から二枚目路線で売り出されましたが、長門裕之氏はキャリアはあるものの若い頃は主役では使われず、伸び悩んでいました。
- しかし、長門裕之氏はその後社会派の演技が評価され、映画やドラマで様々な役を演じて地位を固めました。一方、津川雅彦氏は30代後半から伸び悩んでいたが、必殺シリーズの悪役や伊丹十三氏の映画で脱皮した形になりました。
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お二人が特に不仲だったことはないと思います。お互いにベテラン俳優として評価されるようになってから、むしろ仲がいいからこそ、ネタ的にからかいあっていたんだと思います。 長門さんは、若い頃は日活で活躍し、社会派映画の『にあんちゃん』で注目を集め「演技派」として認められるようになりました。今、石原裕次郎の出世作と言われる『太陽の季節』の主役は、長門裕之と、のちに長門の妻となる南田洋子です。 ちなみに、太陽の季節の主役の役名が津川竜哉で、長門の弟がデビューする時、「太陽の季節」の「津川」に本名の「雅彦」をつけて津川雅彦という芸名になりました。 確かに長門さんはずっと主役級の大スターというわけではありませんが、作品にも恵まれ、若い頃から切れ目なしに中堅スターとしての座は維持されておりました。 むしろ、津川雅彦の方が「つっころがしの二枚目」という扱いでした。男前だけど演技が下手、ということで日活から東映に流れて任侠映画の若い者役をしたり、いわゆる低迷時期があったと思います。主演の映画・ドラマも思いつきません。 津川雅彦が若い頃からスポットライトを浴び続けていたということはないと思います。 それが、デビ夫人との恋愛や色々な女優との色恋沙汰、朝岡雪路との結婚、娘さんの誘拐事件、事業の成功と失敗…など、波乱・陰影に富んだ人生が注目を集めるようになり、中年以降、演技派としての評価が高まりました。今は、右翼の論客みたいな扱いにもなってますね。 加藤家の血筋は、俳優・映画監督など日本芸能史に残る錚々たる顔ぶれが並ぶ一家ですから、一族の中で、その時々の小さな浮き沈みで妬んだり驕ったりしていたらきりがないって感じではないでしょうかね。 まして、兄弟ではもっと仲が良かったと思いますよ。過去に、「雅彦が…」・「兄貴が…」とお互いについて敬愛しながら語った記録もたくさんあると思います。