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書の将来はどうなるのでしょうか?

今やパソコンで文字を打つ時代になっています。 筆を持って書く事の必要性はなくなっています。 そんな中で、書の将来はあるのでしょうか。 もしあるという御方は、その楽観できる理由をお教え下さい。 無いという御方は、その悲観する理由をお教え下さい。

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noname#252159
noname#252159
回答No.2

書の将来はあり、永久に価値は存続すると思います。 一に、人の心は石ころではありません。 上手か否かの区別は確かに存在します。しかし、大切なのは味だと思うのです。 人間としての一人ひとりの味であり、その人柄をうかがわせる味です。 二に、書を通して磨かれるのは自身の心であり、差し出す相手、書き出す壁面への勢いです。機械には、無駄が無いかもしれませんが、それが機械の欠点です。 三に、書もできる人は希少価値になりつつあるからです。30年前ぐらいまでは、ワープロができる人が希少価値を持っていたかもしれません。しかし、現在はワープロはできて当たり前、さらに書もできる。達筆であることが、その人の有用性を証明することになるからです。 四に、書は中国や日本などの東洋文化そのものだからです。成田空港などの売店で「禅」などが勢いよく描かれたTシャツがお土産として販売されていることは上記を実績を持って示していると認識します。 以上の理由から、私は楽観いたします。

ao_juku
質問者

お礼

ありがとうございます。 一.人柄をうかがわせる味は永久に存続する。 人それぞれ個性は違うので、それを大切にするというのは、 素晴らしい事だと思います。ただ、展覧会作品を観ていると、 「師にならえ」というそっくり作品、個性が無い作品が入賞する のも現実です。これがなくなれば、将来性が増すのに・・・と 思う時があります。 二.私は、機械の利便性は物凄いと思ってます。 今、手書きの有用性を述べている専門家も、機械に頼って自身の作品を 大量生産し、発表しています。 本当に手書きが大切だと述べるなら、書籍の文章などもできるだけ 手書きであるべきです。機械の欠点を述べつつ、結局は機械を認めて しまっています。 今や、専門家が述べている「機械の欠点」とは、自身にとって都合の良い 「商売文句」でしかないと思います。 三.書もできる人は希少価値。書の人口が減っているという事だと お見受けします。楽観はできないと思います。 四.Tシャツ「禅」のお土産をみて。 今までの壁面から、他商品へのプリントという流れは、 興味深く、将来性がありそうだと感じました。 無礼な言葉があったりしたと思います。失礼しました。 ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • may1995
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回答No.4

ピークよりは減るでしょうが、 一定数の書道家、というのは存在し続けると思いますし、 (無形文化としてユネスコなどに申請もしているようです) 海外の方がアートとして見る書道、というのは今でも人気があるみたいですね。 ヨーロッパ圏に住む複数の国の友人が言ってましたが、 書道教室などを行うと、結構生徒が来るらしいです。 盆栽なども、日本以外での人気が非常に高いように、 海外で人気がある場合、日本でえてして人気が再燃することもあるのかも。

ao_juku
質問者

お礼

ありがとうございます。 漢字文化圏以外の方々に、パフォーマンスをしていくのも、 書の将来性がありそうですね。 日本の寿司が、海外で別物になってしまうのと 同じような道をたどりそうな感じがしますが。 ありがとうございます。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1159/9192)
回答No.3

絵画と似た状況ではないでしょうか。水墨画というのが漢字文化圏で発生したのは偶然ではないと思います。コンピュータ時代になり、絵の具と筆を使わないでも絵が描けるのと似ているのでは。楽観か悲観かは分かりませんが、アルファベット使用文化にはない要素として存在し続けるのでは。

ao_juku
質問者

お礼

御礼を書きそびれていた事に、今、気づいてしまいました。 コメントありがとうございました。 書が存在し続ける事に同意いたします。 今回は、楽観・悲観する理由を知りたいと思っていました。

  • 177019
  • ベストアンサー率30% (1039/3444)
回答No.1

68歳男性です。私はやはり「将来性はある。楽観出来る」の方だと思います。貴方はお若い方だとは思いますが、結婚式に招待された時、受付でご自分の名前を書かなくてはなりません。この頃は筆ペンが置いてありますが、一応毛筆でとなっていますし、就職する際の履歴書も直筆ですからパソコンで打つというものではありません。社会に出ればすべての計算作業や、公式な文書もパソコンでとの時代になりつつあるものの、日本古来の毛筆は決してなくならないと思います。

ao_juku
質問者

お礼

ありがとうございます。 書の将来性は、「筆ペンでの名前」「履歴書でのペン字」にあると お見受けしました。 昔の人は、筆で名前だけでなく文章を書いていたのに、 今の人は、筆やペンで名前を書くのも、大変だったりします。 私自身は、現代の人々の書が退化している(下手になっている)時点で、 将来性がないと思ってしまうことがあります。 私ももっと、筆ペンを活用していきたいとおもいます。 ありがとうございます。