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ぶつかり合った強烈な個性
- 千利休という高名な茶人と豊臣秀吉の関係について、個性のぶつかり合いを通じて世俗の力学が現れていた。
- 利休と秀吉の愛憎の関係が、利休の死に繋がった理由の一つとされている。
- 利休と秀吉の個性の激突は歴史においても見られるものであり、項羽と劉邦、曹操と劉備、ヒトラーとスターリン、ケネディとフルシチョフなどの例が挙げられる。
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おはようございます ぶつかり合った強烈な個性 チャップリンVSヒトラー 舞台で(映画)笑いと笑顔で世界平和を願った チャールズ・チャップリン https://www.youtube.com/watch?v=0bOLrMGKkfk オラも笑顔でOKを変えたるだんべぇー ちっせぇー 演台で(演説)世界を変えようとした? アドルフ・ヒトラー https://www.youtube.com/watch?v=T2jhno1BL3w ドイツの為ドイツ復興?、までは、えがったんだけどなぁ 独裁、恐怖、武力で世界進出は、けしからんいかんですな
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- 雷 むぐちょ(@raimugurin)
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こんばんは ぶつかり合った強烈な個性 2 宮崎駿VS高畑勲 宮崎監督作品 極限まで描き込まれた作風 高畑監督作品 極限まで描き込まない作風 で、ありながら どちらの作品も長ぁーい年月を掛けて創られています。 連休は誰かさんと間逆でぇやりてーことが山ほどあるだんべ、 1日、3日は、ふるぅーいダチ公とプチ、オートバイツーリング、 2日バイクカスタム整備、エアGUNガスGUN、模型に日曜大工に・・ イラストにDVD映画鑑賞に鉄道模型にぃー。。んーなんだぁ 残り4日・5日・・2日じゃ足りなぁーいっす。
お礼
raimugurin さん、おはようございます。 >宮崎駿VS高畑勲 >宮崎監督作品 >極限まで描き込まれた作風 >高畑監督作品 >極限まで描き込まない作風 今を時めく宮崎駿さんに関しては勿論知っておりましたが、高畑監督 = Who? ・・いう事で早速ググりましたら、なるほどと・・。 比較的初期の作品に 『 狼少年ケン 』 『 アルプスの少女ハイジ 』 『 母をたずねて三千里 』 等など、私なんか彼のアニメで育ったようなものです。 >連休は誰かさんと間逆でぇやりてーことが山ほどあるだんべ、 >1日、3日は、ふるぅーいダチ公とプチ、オートバイツーリング、 >2日バイクカスタム整備、エアGUNガスGUN、模型に日曜大工に・・ >イラストにDVD映画鑑賞に鉄道模型にぃー。。んーなんだぁ >残り4日・5日・・2日じゃ足りなぁーいっす。 いやいや、多才にして多趣味ですね~。 現在都内はプチ台風のような大風が吹き荒れておりますが、家でグータラしているだけの私は気楽なものです。 回答ありがとうございました。
- kamejrou
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こんにちはisoken さん まだ開いておりましたのでお邪魔しましたが もう退屈で 世間はゴールデンウイークと楽しそうですが 私など毎日をゴールデンウイークのような生活をしておりますしねえ 〉何が悲しくてたかだか寿司に 私はおかしくて笑いましたが 私もそう思いますね 日本食と言うものが世界に認められる、これは私は日本人として嬉しい ただ、あまり値打ちを付けるのも少し違うかな?そう思いますけどね 数寄屋橋次郎の「次郎は寿司の夢をみる」 これはまあ、ドキュメンタリーでアメリカの制作でしたか? なるほど職人の仕事とはこうしたものか?と面白く観ましたが 最近眺めてますと、本来小腹がすいた少しつまんで帰ろうか? それが目が飛び出るような価格で、それでも予約がとれないと言う まあ、貧乏人の僻みでしょうけど 私は「美家古」さんのようなお店が嬉しくもあり懐かしくもある 石原慎太郎さんの「天才」が売れているようです 図書館に予約をお願いしましたらね500人待ちですと そんなの待ってたら私の寿命が尽きる💧 今日は仕方ありませんので近くの書店に出掛けましょうかと 質問の回答らしきものをしませんと叱られますし 角栄さんの「日本列島改造計画」、当時私も読みました 荒唐無稽と思わなくもありませんでしたが 今、殆ど現実化しております 先見の明があったと言うしかありません ただ、何事にしても功罪と言うものはつきもので 地価の高騰、あるいは狂乱物価と言うものを招いてしまった 私は仕方のない事であったかな?と思いますけど 批判するのは簡単なのです ただ、この国の未来のビジョンを描くことは簡単な事でもないのでしょう 私が田中角栄と言う政治家を評価するのはそこなのです ここで、質問のぶつかりあった強烈な個性になるのですが これは人間どうしの関係に限らない 日本とアメリカと言う関係にも言えるのかも知れません 角栄と言う政治家は日本の国益と言うことを一番考えた人かも知れない 私はそう思うのですが
お礼
kamejrou さん、こんばんは。 隣の芝生は青く見えるものです、こと旅行・レジャーに関して kamejrou さんには羨ましいほどのフリー・ハンドがある、私なんぞは休暇と予算との兼ね合いで、思うようになりませんから・・。 さて本日 ( ・・というかもう昨日ですが ) 仲間内で、常磐道方面へゴルフに行って参り、これが芝生ばかり耕しまして洒落にならない大叩き。 胴に座った場でスイチで子方に全て札を明けられ、パンクしたようなものです、当然総付けとなり散々に毟り取られました。 その後地元へ帰りついて宴会となりましたが、これが GW 中唯一の予定・・、あとは DVD でも借りて来て暇潰しをしようと思っております、はい。 >日本食と言うものが世界に認められる、これは私は日本人として嬉しい ただ、あまり値打ちを付けるのも少し違うかな?そう思いますけどね 全く同感でして、和食が 「 食 」 の世界の最高峰の一つに認められるのはそりゃ嬉しい、ただ周囲が余りに持ち上げるのもどうかと・・。 職人としての矜持はそれとして、昨今見られる 「 さあ、食べてみろ ! 」 ・・と言わんばかりの気負い、そして客側の過度にありがたがる風潮・・、私にとっては興醒めでしかありません。 その点 「 美家古 」 の内田親方は、何の気負いもなくただ黙々と握っておられる、個人的な称賛は内に秘め客はただそれを頂くのみ・・、それが食の世界に於いて本来ある姿なのではないでしょうか。 >石原慎太郎さんの「天才」が売れているようです >図書館に予約をお願いしましたらね500人待ちですと そんなの待ってたら私の寿命が尽きる💧 浪花節とクラッシック・・、恐らく世間の印象としては対極にある政治家が田中角栄と石原慎太郎・・このお二人でしょう、そんな慎太郎さんが独自の視点から角栄さんを描かれた・・、その点こそがこの本の人気の源泉であり味噌ですね。 勉学のみでは決して到達出来ない反射神経の良さ・・それも並じゃない、田中角栄のそんな部分を 「 天才 」 と称したのではないかと・・、今まで慎太郎さんがオブラートに包み隠していた羨望の蓋を開けたのでしょう、きっと・・。 政治の第一線から離れた事そして過去への感慨・感傷、或いはそれも動機の一つかも知れない、今尚当時者であれば各方面への影響・反響を考慮せねばならず、曝け出すに自ずと限界がありますから。 >地価の高騰、あるいは狂乱物価と言うものを招いてしまった >私は仕方のない事であったかな?と思いますけど >批判するのは簡単なのです >ただ、この国の未来のビジョンを描くことは簡単な事でもないのでしょう >私が田中角栄と言う政治家を評価するのはそこなのです 特に我が国の野党に於いて顕著ですが、対案を持たない批判というものは全く意味を為さない、私としてはそう考えるところです。 その視点から申し上げれば、確かにインフレを助長したであろう、 「 日本列島改造計画 」 ・・というものも、例えば先の民主党政権に於いて為された、更にデフレを促進しかねない「 事業仕分け 」 という名の、座して死を待つ類の消極策よりは遥かに前向きなものであった、そう肯定的に捉えるべきでしょう。 当時不要とすら思えた各種交通インフラの整備に依り、日本は確実に狭くなりました、その点が先進諸国のトップ・ランナーとして、収益率換算の経済合理性の面で恩恵を齎せたのはほぼ間違いありませんから・・。 故に金脈問題の発覚でほぼ全否定されましたが、良いものは良いと認めるべきであったのでしょう、それが昨今見直されて来た、そういう事であろうと思います。 >角栄と言う政治家は日本の国益と言うことを一番考えた人かも知れない >私はそう思うのですが 頭越しの日中国交回復、そして中東に於ける独自のエネルギー戦略、並びに原油輸入先のチャンネル開拓の模索が、アメリカの逆鱗に触れた・・とまあ巷間そんな論調で語られますが、正直なところは分からない。 ただ分かっているのは、彼の金権体質のみがデフォルメされて叩かれ、その功績は聊かも顧みられる事がなかったという点でありまして、 kamejrou さんが言われる通り、メディアの尻馬に乗り批判するのは簡単な事です、そんなものは誰でも出来るが、功罪の 「 功 」 の部分も認めて差し上げねば不公平でしょう。 回答ありがとうございました。
- mt_mh
- ベストアンサー率24% (281/1149)
ご質問から、2人のジャズミュージシャンを連想しました。 マイルス・デイヴィス (トランペット奏者。1926年 – 1991年) セロニアス・モンク (ピアノ奏者。1917年 – 1982年) この2人については他の方からご回答があるかなと思っていたのですが、まだ出ていませんので代わりに(?)回答させていただきます。 インターネットで、ジャズという音楽が誕生してから現代までの「トップ・ジャズミュージシャン 10人」といった記事を探せば、必ず上の2人が入っています。 例えば、The Guardian のサイト http://www.theguardian.com/music/2015/nov/16/miles-davis-voted-greatest-jazz-artist-of-all-time その2人が一緒に演奏したのは2回だけのようです。 1回目:1954年12月24日。ニュージャージー州のスタジオ 2回目:1955年7月17日。ニューポート・ジャズ・フェスティバル その 1回目の演奏のときにハプニング(?)がありました。 デイヴィスがモンクに次のように言ったとか。 (デイヴィスが)ソロを演奏しているときは、(モンクは)ピアノの演奏を休んでおいてくれ Davis had asked Monk to "lay off" (stop playing) while he was soloing デイヴィスが音楽性の違いを感じたのが理由のようです。 その二人が翌年のニューポート・ジャズ・フェスティバルで協演しました。その事情は知りませんがご参考に YouTubeのリンクを貼っておきます。 Miles Davis Sextet - Now's The Time (Newport Jazz Festival 1955) https://www.youtube.com/watch?v=ezIarG14a1k ところで話が替わりますが、他の方のご回答にジョン・レノンとポール・マッカートニーが出てきましたが、私なりに例えて言えば、 ジョン・レノンと セロニアス・モンク → 「異次元の天才」 ポール・マッカートニーと マイルス・デイヴィス → 「偉大な天才」 ―だと思います。 そして、個人的には、ジョン・レノンと セロニアス・モンクの音楽のほうが好きです。聞いていて、神経が刺激されるのが快感です。
お礼
mt_mh さん、こんばんは。 >マイルス・デイヴィス (トランペット奏者。1926年 – 1991年) >セロニアス・モンク (ピアノ奏者。1917年 – 1982年) そっち方面の素養がない私程度の、付け焼刃の知識ではとても御満足頂けるのは難しい・・という大前提で、以下お礼させて頂きますが、Wiki を覗きますと、一口にジャズと言っても途方も無いジャンルがある。 正直申し上げて、その線引きも明確には分かりませんが、さても年は取りたくないもので、どうしても過去を振り返ってしまいます。 大学時代の話ですから、70年代後半~80年代の初頭に掛けての事・・、ジャズというよりもむしろそこから派生したフュージョンというジャンルの、一大ブームが巻き起こりました。 懐かしいその名前を挙げれば、例えば アール・クルー / スパイロ・ジャイラ / アル・ジャロウ / ラリー・カールトン / リー・リトナー 等々、私にとっての マイルス・デイヴィス はその先駆者的イメージが強いですね。 女の子を口説く為のお洒落な小道具 / バック・ミュージック・・的取っ掛かりから、ジャズ・フュージョンに入り込んだ若者も恐らく少なくなかったでしょう。 当時サーファー全盛で、ブラック・コンテンポラリーばかり流していた六本木のディスコでさえ、シャカタクが大人気という時代がありましたから・・。 その一方で、セロニアス・モンクという名前は知りませんでした、依って両者の比較自体私には無理がある、もっとも私がその程度の知識である事は、先に説明済みですが・・。 >ジョン・レノンと セロニアス・モンク → 「異次元の天才」 >ポール・マッカートニーと マイルス・デイヴィス → 「偉大な天才」 こと芸術・音楽の世界に限らず世に見られる興味深い現象ですが、異次元であり前衛的なものへの理解にはタイム・ラグがある、大衆に受け入れられるのはむしろ身近な優位性であり才能・・、音楽の世界に於いては、レコード・セールスという具体性となって表れる・・、そういう事かも知れません。 アカデミックな御回答、ありがとうございました。
- kamejrou
- ベストアンサー率17% (191/1107)
こんばんはisoken さん 私事ですが一段落しましたのでお話したいと思いますが お礼で疲れておられるだろうし雑談にしましょう 秀吉と利休の事に随分割いておられるので その話しをしてみましょう 利休の死の真相については後付けの理由に過ぎない これは仰るとうりで 後世の我々は推測するしかないのです 諸説ある、仰るとうりでして諸説あるのです 今 東光さんは「お吟様」の中で秀吉のお吟様への横恋慕 これが秀吉と利休の軋轢の原因といいますし 或いは大徳寺山門が原因とも言う ただ諸説あるにしてもそのいずれもが推測でしかない 愛寵が何故憎しみに変わるのか? これは違うかも知れませんが私はこう考えるのです❗ 秀吉と利休には己の持つ二つの天下がある 秀吉の天下人の威勢を持ってしても 利休の世界には抗しきれない 「茶の湯」と言うのは精神の世界ですから 自分の思うがままにならぬ世界に苛立ちがあったのではなかろうか? もう一つは、isoken さん以前質問しておられた この成り上がりと言う自分の出自と言うことのコンプレックス 利休は当時、おそらく一級の知識人であり教養人です 利休のような人間から見れば無教養の成り上がりと思えたに違いない 秀吉は人間を見る目は達人でしょう 以心伝心、分からない筈がないと思うのです なら、それから先は理由はどうにでも付けられる 「レッドオクトーバを追え」の事を言っておられたので少し 同じトムクランシー原作でハリソンフオード 「パトリオットゲーム」 「今そこにある危機」 もし未見でしたらおそらくisoken さんには面白い ジャックライアンですね 私はあの人の原作は知らないのですが 「日米開戦」はisoken さんも面白く読むかも知れない 少しnoblesse obligeの話しもしようかと思いましたが長くなりますし ただ言えばアメリカ、イギリスだけのものでもない その精神は日本は古いのですがね Chacha さんは面白いことを言われる 三木武吉に限らず昔は骨太な政治家が多かったように思います 大野併睦でしたか? 演説中の壇上で野次がとぶ 「妾を何人も抱えるとは何事だ❗」 「捨てるわけにもいかんじゃないか」 日本人と言うのはそう言うことを本来笑って許せる国民性なのですがね またボヤキになりますのでここいらで
お礼
kamejrou さん、こんにちは。 今朝ほど marc さんに続き、貴兄へのお礼を認めておりましたら、 うっかり昨夜家内と散歩の約束をしてしまったようで、「 まだか、まだか 」 ・・とやくざ並の追い込みを喰らいまして、今しがた帰宅したところです。 まあ暑い、何度あるのか分かりませんが初夏並みの暑さ、堪らず散歩の途中で小さなビストロに立ち寄りまして、ランチを頼むそばからビールとワインを頼んだのですが、その後ワインの購入に付き合い安物を4本、それでは終わらずスーパーにまで付き合わされ、これだからカミさんとは出掛けたくない、疲れ果てました。 さて浅草の件、結構な雨が降っておりましたから案じておりましたが、翌日にされたと聞いて、ほっとしていたところです。 ところで『 弁天山 美家古寿司 』 は、典型的な鰻の寝床スタイルのお店ですね、表回りも飾り気がなく、とても江戸前寿司を代表する名店とは思えない、その点は『 すきやばし 次郎 』も同じでしょうか。 ただ 『 すきやばし 次郎 』 は、身銭を切って行く店じゃありませんね、私も接待以外で訪れた事はない、そもそもバブル期のゴルフ場と同じで予約が取れません。 『 銀座 久兵衛 』 だってそう・・、昔は予約が無くてもぶらっと立ち寄れましたが今は無理。 元々寿司屋のコンセプトは、ぶらっと立ち寄りちょっとつまんでさっさと帰るというものなのでしょが、昨今の銀座・新橋界隈の高級寿司店は、予約無しでは入れないところが殆ど、『 次郎 』 さんに至っては何ヵ月先だとか・・、何が悲しくて高々寿司を食べるのに何ヵ月も待たねばならないのか、大いに懐疑的です。 さて本題、 >今 東光さんは「お吟様」の中で秀吉のお吟様への横恋慕 >これが秀吉と利休の軋轢の原因といいますし >或いは大徳寺山門が原因とも言う >ただ諸説あるにしてもそのいずれもが推測でしかない それはもう色々と取り沙汰されておりますが、その全てが 「 帯に短し 襷に長し 」 ・・そんな気がします。 >秀吉と利休には己の持つ二つの天下がある >秀吉の天下人の威勢を持ってしても >利休の世界には抗しきれない >「茶の湯」と言うのは精神の世界ですから >自分の思うがままにならぬ世界に苛立ちがあったのではなかろうか? 実は私もその辺りに落ち着くんじゃないかと思います、付け加えますと、それまで精神世界にいると思い込んでいた利休居士という人物が、ふと気が付けば自分と同じ土俵にいるじゃないか・・、秀吉はそう思ったのかも知れない。 するとそれまで気にならなかった、或いは目を瞑っていたその全てが許せなくなったのではなかろうかと・・。 尚御多分に漏れず石田三成陰謀説も登場します、まあその種の事件には必ず悪者に仕立てられるお人。 そもそも秀吉は、側近の意見を鵜呑みにするような人物じゃない、仰る通りで人を見るに掛けては史上稀に見る天才ですし、三成も利口ですから他人の論評は極力控えていたはずです。 >「レッドオクトーバを追え」の事を言っておられたので少し >同じトムクランシー原作でハリソンフオード >「パトリオットゲーム」 >「今そこにある危機」 まあ ショーン・コネリー というお人は、お歳を召されても本当にカッコいい、御推薦の作品は何れ是非観たいものです。 >Chacha さんは面白いことを言われる >三木武吉に限らず昔は骨太な政治家が多かったように思います あの時代は見事に煮ても焼いても食えない狸オヤジばかり、だたそういった政治家の名前が若い世代から出て来る事を、私としては好もしく思うのです。 政治とは良くも悪くも現実とのせめぎ合いでして、決して綺麗事のみでは動かない事を、我々国民ももっと認めるべきでしょう、「 清濁併せ呑む 」 器量がなければならない事を・・。 理想は理想・・それで結構、但し時には国民に説明出来ない金が必要な場合もある、その全てを白日の下に晒されては何も出来ません。 現にアメリカでCIAの予算が大幅に削減され、加えてぎりぎりの線まで情報の開示を義務付けられた事がありました、例の ジミー・カーター 大統領の時代。 その悪影響は直ぐに現われました、予算不足と議会の余りの締め付けに依り、CIAはイラン革命を察知出来ずパーレビ王政が転覆されて、大産油国にしてペルシャ湾に睨みを利かす交通の要衝イランが潜在敵国と化し、今に至ります。 >演説中の壇上で野次がとぶ >「妾を何人も抱えるとは何事だ❗」 >「捨てるわけにもいかんじゃないか」 >日本人と言うのはそう言うことを本来笑って許せる国民性なのですがね 日本人とはもっと諧謔を理解する国民性だったはずなんですがねぇ、どうしちゃったんでしょうか。 回答ありがとうございました。
- からあげ ミームン(@marc2bolanti)
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御質問、伺うつもりが無沙汰しました、他所を駆けずってまして。では ⭐️先日他界された世紀の天才Johan Cruijff.クライフvs皇帝Kaiserベッケンバウアー。訃報に際し直ぐにカイザーFranzがツイートした言葉「親友だったんだよ…」泣けてしまった http://www.marca.com/futbol/barcelona/2016/03/25/56f43cac268e3ea9718b456d.html スペイン語画像ですが、これ以上ないライバルだど!と言ってます(^^)多分。戦術とプレーでクライフ程現代サッカーを革新した男は居ない。その流動性Tacticsがフランス哲学通してノマド戦術に流れ、米軍も研究したのですから。何百年に一人のバトルfieldの哲人だと想う。二人とも女の子の様な優顔なので驚いた、天使的な程に戦士性が強いのか⁈~供にピッチ上は物凄い覇気でした。 http://nerdvanaforgeeks.blogspot.jp/2010/05/johan-cruyff-apology.html 二人一緒に。~カイサルはW杯優勝、バイエルンで欧州三連覇、なのにバロンドールは3年連続次点で「これ以上何演ったらいいんだ⁉︎」と。~日本で最初にLive中継された”74年Wカップ決勝: 西独vs和蘭陀。深夜に観たなぁ震えました、青春ですわ。 ★桑田 : 清原。未だに何故巨人は桑田を選んだか理解出来ない。彼は頭良く私は評価しますが、他球団でもメジャーでも成功出来たでしょう。 清原は新人から巨人なら白に手出さないで済んだかも。今の読売球団の倫理観見ると其れも無理だったですか。ドラフトでの清原の涙が忘れられない浪花節の輩。桑田は泣かない奴。 ⭐️ジャガー&リチャーズ。輝くGlimmer Twins.と言われるコンビ。ギターBandなので曲の骨格は主にキース作曲ですがFrontはミック。80年代に殺し合う寸前に為り ●UnderCover ofthe night. http://youtu.be/DVJkfXeTs9Q 抗争利用したMTV。キースは実際Gunぶっ放してたし、ハイプではなくマジ険悪。 でも奴等はその自分らを笑う事が出来るユーモアが有った、黒人のアメリカンなBlackユーモア哉,それが須く両雄が続ける秘訣なんですね。~その点はレノン&マッカートニーにもYAZAWA&大倉にも欠けたか残念無念でした。 ~Stonesは仕事以外は口も聞かず10年過ぎ、ロンウッドの仲立ちで和解、直後のステージが初来日東京ドーム、並ぶ姿に皆感動した、 ★Midnight Rambler. http://youtu.be/SVUNld04U9k 6分過ぎ。笑ってら ~と思ったら、何処のStageでも演ってやがった(^^),そういう意味かよ⁉︎ 自己演出と客観視、hip&CooLとはそう云う事でしょうね~。
お礼
marc さん、おはようございます。 お久し振りでした。 >⭐️先日他界された世紀の天才Johan Cruijff.クライフvs皇帝Kaiserベッケンバウアー。訃報に際し直ぐにカイザーFranzがツイートした言葉「親友だったんだよ…」泣けてしまった すみません、私はサッカーが全く分からないんです、子供程度の知識しかない、クライフという名前すら知りませんでした。 往年の名選手で知ってるのは、精々ペレとベッケンバウアーぐらい、早速 クライフ という名前をググりましたら、結構なページが割かれておりまして、大したプレーヤーだったんだろうという事は理解しましたが・・。 >★桑田 : 清原。未だに何故巨人は桑田を選んだか理解出来ない。彼は頭良く私は評価しますが、他球団でもメジャーでも成功出来たでしょう。 こっちなら、幾らでも語れます。 週末ともなると旧多摩川グランドに度々出掛けていた時期がありましてね、その日のお目当ては、当時豪球投手として売り出し中の槇原でした。 さすがに凄い球を投げるな~・・そう感心していたそばから、小柄な若者がピッチング練習を開始した、そう ! それが高校を出て入団したばかりの桑田真澄。 勿論名前は知っておりました、清原と並び高校球界のスーパー・スターでしたから、但し所詮高校生レベル・・そう高を括って眺めていた私は度肝を抜かれたんです。 キャッチャーミットに爆音を轟かせて収まる鉈のような槇原のボールに対し、彼の方は軽くホップするように見える終速が落ちない伸びのあるボール、少なくとも私の目には桑田の方が上に見えました、いやはや凄いと・・。 その後の活躍は御存じの通り、 marc さんが仰るように他球団は無論の事メジャーでもそもそこやれたと思います。 その一方で私なりに考えれば、巨人が桑田を指名したのはしょうがないと思う、無論道義的な視点を排除しての話ですが。 将来的に3割30本を打てる打者と、向こう10年2桁勝てる見込みが強い投手との比較・・、どっちが欲しいかと聞かれればそりゃ後者でしょう。 >清原は新人から巨人なら白に手出さないで済んだかも。今の読売球団の倫理観見ると其れも無理だったですか。ドラフトでの清原の涙が忘れられない浪花節の輩。桑田は泣かない奴。 巨人のドラフト戦略には明確な特徴が窺えます、それは長いスパンで選手を育てようという展望が全く無い点・・、つまり捨て駒がない。 それもそのはず、球団は安価なパブリシティとする他企業と、ジャイアンツの成績が読売新聞の購買部数・日本テレビの視聴率という、企業の本丸に直結していた読売グループに於ける位置付けが、そもそも全く異なりますから・・。 清原は或る意味その企業エゴの犠牲となった、心に深い傷を与えひょっとしたらその後彼の在り方に何等かの悪影響を齎せたかも知れませんが、そんな例は枚挙に暇が無いのも事実でしょう。 但し個人的にどちらが好ましいかと聞かれれば、そりゃ清原です。 >⭐️ジャガー&リチャーズ。輝くGlimmer Twins.と言われるコンビ。ギターBandなので曲の骨格は主にキース作曲ですがFrontはミック。 中学時代乏しい小遣いにも関わらず、LPを買い漁りました。 何せ月1枚しか買えませんでしたからとことん吟味しましたが、その結論として出た答えは、ビートルズよりもストーンズというもの。 5~6枚はあったでしょう、今も実家の倉庫に眠っているはず、ミック派とキース派というものもあった、今は全く聴きませんが・・。 回答ありがとうございました。
- 投稿削除メガネ(@chacha0035)
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isoken先生、こんばんは。 私が思い浮かんだのは「吉田茂vs.鳩山一郎(三木武吉)」です。 マッカーサーと対等に渡り合ったワンマン宰相と、 悲劇の友愛・鳩山&ガンに侵された寝業師・三木との戦いは 三者三様いずれも個性が強すぎてまるでドラマのようですw で、毎度の事で恐縮ですが関係ない話を・・・w 私、三木武吉が大好きなんですよww 選挙の演説で対立候補から「三木は4人の妾を持っている!政治家の資格が無い!」って言われた時に 「4人じゃ無い!正確には5人だ!!」って返したとか(笑) 今の政治家にもこれぐらい懐が深い人間がいて欲しいっすが、世間が許さないかなぁ?w
お礼
chacha 師匠、こんにちは。 >私が思い浮かんだのは「吉田茂vs.鳩山一郎(三木武吉)」です。 師匠は御覧になったでしょうか、私は昨年『 小説 吉田学校 』 というDVDを初めて観たんです。 吉田茂に森繁久彌さん、鳩山一郎に芦田伸介さんを配した豪華キャストでしてね、中々見応えがある作品でした。 その他広川弘禅そして松野鶴平・・、総務会で一度は決まりかけた山崎猛首班を引っ繰り返した一年生議員、田中の角さんは西郷輝彦さんが演じておりまして、あの時代まあ役者には事欠きません。 中でも三木武吉を演じた若山富三郎さんの、老いの一徹とでもいう迫真の演技、良かったな~。 表看板は吉田 VS 鳩山ですが、実情は吉田茂と三木武吉の激突ですね、ところで終戦直後のあの時代我が国にとって不幸中の幸いであったのは、要所要所で適任者が総理の椅子に座った事であると勝手に思っております。 朝鮮動乱の勃発に依り、マッカーサーより再軍備を迫られた吉田茂は、軍事負担が日本経済の先行きにとって不利益とみるや、これをやんわりと拒否する腹芸を見せた、本心では憲法改正に否定的ではなかったそうですが・・。 マッカーサーに対し、「 我が国には、ありがたくも貴国から頂戴した平和憲法がありますから」・・とやったらしいですね、その点は彼の明確な功績でしょう。 お蔭で朝鮮戦争そしてベトナム戦争にもコミットせずに済み、経済復興に没頭する事が出来ました。 他方韓国はアメリカの経済支援・最恵国待遇を受ける為に、ベトナムで随分と血を流しておりますね、その差は随分と大きいと言わざるを得ないでしょう。 その後の鳩山一郎と岸信介・・、共に2年程度の短命政権ではありましたが、前者は日ソ国交回復を成し遂げて、アメリカ一辺倒の外交姿勢を若干軌道修正した、後者は日米安全保障条約を締結し、完全にアメリカの軍事力の傘に入るという功績を残して、池田勇人が所得倍増計画に至る素地を作りました。 >選挙の演説で対立候補から「三木は4人の妾を持っている!政治家の資格が無い!」って言われた時に >「4人じゃ無い!正確には5人だ!!」って返したとか(笑) >今の政治家にもこれぐらい懐が深い人間がいて欲しいっすが、世間が許さないかなぁ?w 吉田茂には、大磯の別荘に住まわせた元新橋芸者の小りんちゃんというお妾さんがいました、大磯に通う為に道路を舗装したとさえ言われている、岸信介はお妾さんの葬儀委員長を自ら務め美談にすらなった、ついでに申し上げれば、うちの爺さんなんてお妾さんと別邸で暮らしてました。 そんな程度の事で非難するケツの穴の小さい人間は当時いなかったんでしょう、今の日本人にはもっと大らかさが欲しいですねぇ。 回答ありがとうございました。
- eroero4649
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今やスポーツ界も草食世代が中心ですから、強烈な個性を持った選手そのものが珍しいですし、ましてやその個性が激突するなんてことは起こらないですね。そもそも他人との衝突を上手に回避するのが今の若い子たちです。プロ野球でもデッドボールを喰らった選手が詰め寄って、ピッチャーも「文句あんのかこの野郎」とマウンドを降りてくるなんて場面はもう見かけませんね。 スポーツで個性がぶつかったと最後に感じたのは、あの辰吉丈一郎と薬師寺保栄との一戦でしょうかねえ。「ああ、どっち応援していいのか分からん」と思いながらテレビを見てた記憶があります。それ以降は応援が真っ二つに分かれるってちょっと記憶にないですね。 そんな中で「個性がぶつかり合っていた」と感じるのはやっぱり90年前後くらいのブーム真っただ中のF1でしたかねえ。 私の中ではセナの「宿敵(決して「とも」ではない)」というとプロストというイメージですね。マンセルは腕っぷしは強いけどアホでしたからね。でも「天才セナ、策士プロスト、猪武者マンセル」というキャラクターがちゃんと分かれていました。 https://youtu.be/agYMnYiTTRU こうやって見ると、プロストって腕でちょいちょい調整しながらも車の挙動はスムースで滑るように車を動かしますから、やっぱり「プロフェッサー」って感じですね。 脇役にも「壊し屋チェザリス」とかセナプロが1週目の第一コーナー(!)で絡んでしまったあの鈴鹿で超絶なごっつあんゴールで表彰台に登ったロベルト・モレノおじさんとか印象に残る人がいました。日本の国民的アイドルゴクミを嫁にしたジャン・アレジ、日本人に大人気のケン・ティレルおじさんなんかもいましたね。6位を走る中嶋さんにドキドキしながら「あーっ!止まっている!中嶋止まっているーっ!」と聞いて「えええーっ」とガックリして。もうね、あのときの「今日の中嶋さんはちゃんと完走するか」のドキドキ感は完走が当たり前の今のF1ファンには分かるめえよ。ちなみに私は「アンチ亜久里の中嶋ファン」でした・笑。もちろん今は亜久里さんも応援していますよ。レイトンハウス、フットワーク、ヤマハエンジン。日本企業にカネがあったなあ・笑。 オーバーテイクの興奮をまたF1は取り戻してほしいです。あと、F1の広告はタバコに限ると思います。私はタバコは吸わないけど。
お礼
eroero さん、こんにちは。 >今やスポーツ界も草食世代が中心ですから、強烈な個性を持った選手そのものが珍しいですし、ましてやその個性が激突するなんてことは起こらないですね。そもそも他人との衝突を上手に回避するのが今の若い子たちです。 全く仰る通りでしてね、仲良しこよしもたいがいにせえよ・・と、それで飯を食ってるプロとアマチュアの意識の差という垣根が殆ど見当たらず、緊張感に欠ける事夥しい。 その一方で、超肉食獣だった私としては、ただひたすら棚ボタを待つ昨今の草食系の若者が羨ましくなくもない、やりたい・寝たい・こましたい・・そういう煩悩・雑念がなければ、男としての気苦労も半分程度は軽減されたんじゃなかろうかと・・、その点は eroero さんも心当たりがあるのではないでしょうか。 車が要らない?・・それも考えられない、若者 = 女 そして車でしょう、普通。 ガソリン代と車のローンの他に、金も無いのに高額なコンポを取り付け、財布の中には常に小銭しか入ってない馬鹿な野郎達が大勢おりました。 >プロ野球でもデッドボールを喰らった選手が詰め寄って、ピッチャーも「文句あんのかこの野郎」とマウンドを降りてくるなんて場面はもう見かけませんね。 ベッキー・・もとい バッキー が、ワンちゃんにぶつけた末の球史に残る巨人阪神伝説の大乱闘、方やここってリング ? そう思わせたウォーレン・クロマティの見事な左ストレート、もうあんなものはどこにもない。 >スポーツで個性がぶつかったと最後に感じたのは、あの辰吉丈一郎と薬師寺保栄との一戦でしょうかねえ。 プロ・スポーツ、特にボクシング界の様変わりは顕著です。 貧乏人が腕一本で地位と名誉をその手に掴む為の方法論、言わばハングリー・スポーツだったはずが、我が国の経済成長の度合いに比例して、つまらないものになってきた、私も興味を失いました。 そんな中にあって、互いに意地がぶつかり合った 辰吉丈一郎 VS 薬師寺保栄 の一戦は例外中の例外、御指摘の通り日本人同士のタイトル・マッチとしては、最高の試合かも知れませんねぇ。 ただ私は、1970年代の後半から、 『 黄金の中量級 』 と呼ばれたアメリカのボクシングに釘付けだった、世界中のどんなスポーツよりも好きでした。 「 マーベラス 」 マービン・ハグラー 、「 スーパー・エクスプレス 」 シュガー・レイ・レナード 、 「 ヒットマン 」 トーマス・ハーンズ、そして「 石の拳 」 ロベルト・デュラン ( 彼だけはパナマ人ですが・・ )。 80年代のボクシング・シーンは、この4人の為だけにあった・・そう断言しても恐らく過言ではないでしょう、彼等スーパー・スター達が絡む試合がある時はデートのお誘いも断った、彼等の試合を見ちゃうと、他はもうボクシングじゃない・・当時の私は正直そう思ってましてね、全く身も蓋もないのですが・・。 特にミドル級王者 マービン・ハグラー のタイトルに トーマス・ハーンズ が挑んだタイトル・マッチ、あの壮絶な試合の事は一生忘れないと思います。 >そんな中で「個性がぶつかり合っていた」と感じるのはやっぱり90年前後くらいのブーム真っただ中のF1でしたかねえ。 80年代後半の セナ & プロスト と マクラーレン そして ホンダ ・・、恐らく当時最強の布陣であったろうと思います。 思えばホンダもそして我が日本も元気な時代でした、金も活気もあった。 その後先に御回答があった92年のモナコGPの辺りから、後のスーパー・スター・シューマッハも出て来る、FIシーンも様変わりして来ておりますね。 >オーバーテイクの興奮をまたF1は取り戻してほしいです。あと、F1の広告はタバコに限ると思います。私はタバコは吸わないけど。 モナコ・グランプリに於けるオーバーテイクが、よく話題になりました、例のセナ VS マンセル を念頭に置いての事でしたが・・。 回答ありがとうございます。
- ミッタン(@michiyo19750208)
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isoken大センセ、GWはタコがお過ごし、いや、イカがお過ごしでしょうか? 私はCOMPLEXの布袋寅泰さんと吉川晃司さん 表向きは活動休止ですが、事実は解散です この2人ですから個性が激しすぎて、意見が衝突してしまったのです ちなみにこの歌、聴いたことあると思います https://www.youtube.com/watch?v=tUCLfoRxS7M ガルウィング、懐かしいですねぇ~(笑)
お礼
みったん、おはようございます。 >isoken大センセ、GWはタコがお過ごし、いや、イカがお過ごしでしょうか? あそこにタコが出来るほどやりまくり、イカ臭い匂いに包まれてみたいもんですが、実は暇を持て余してます。 みったんはお仕事?、それともデート?、何れにしても致し過ぎは体に毒ですから、ほどほどになさって下さいね。 >私はCOMPLEXの布袋寅泰さんと吉川晃司さん ユニット組んでたんですか、それは知らなかった。 >この2人ですから個性が激しすぎて、意見が衝突してしまったのです ・・でしょうねぇ、でも吉川晃司はいい役者になりました、むしろ若い頃よりカッコいい。 一方の布袋寅泰さんは、今もあっち方面で御活躍なんでしょうか。 >ちなみにこの歌、聴いたことあると思います 聴いた事ありますよ、思えば30代になったばかりの頃でした、南の楽園から日本に連れ戻された途端にバブルが弾けちゃった、・・そんな時期。 >ガルウィング、懐かしいですねぇ~(笑) あれはカウンタックだからいいんでしょう、他の車じゃちょっと・・。 回答ありがとうございました。
- sqqrcxvx
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isokenさんこんにちは。 GWに出かけたくてたまらないというのは余程若い時の話で・・という訳で家にいたらisokenさんを見付けました。 >その種の個性の激突は歴史を見渡せば色々とある、項羽と劉邦・曹操と劉備 、近いところでは ヒトラー と スターリン そして ケネディ と フルシチョフ、 >さてぶつかり合った強烈な個性・・、思うところをお教え下さい。 ケネディとフルシチョフ・・ ケネディがあのケネディ海軍中尉だった頃のお話に関し忘れられないほろ苦い思いがあります。 自分の若い頃、元「天霧」乗組員だった方の手記を読みました。 ケネディにとって運命のあの夜の出来事の顛末です。手記において、天霧はPT109に対し体当たり攻撃をかけたとしてあります。 現場にいた人が現に云うのだからそうであろうと当然信じていました。別の或る著作(筆者は誰だったかは憶えていません)においても「体当たり」という表現がありました。 ところがです、数年前にそれは誤りだったと気付きました。長年間違った情報を信じていたことになります。 手記の書き手は下士官かそれ以下の階級の方ではなかったのかな、と今となっては思います。天霧の艦橋・操舵室にいた指揮官たちの認識は「衝突」でした。 なぜ指揮官ではなく指揮官達なのか、理由があります。駆逐艦の役割は何か、それは時代と共に変遷するのでしょう。少なくとも第2次大戦下においては空母や輸送船団を敵潜水艦から守る、つまり潜水艦を駆逐する。 数隻纏まれば少なくとも1隻で敵潜水艦を追うよりは追い詰め易いだろうと、大抵は駆逐戦隊なる4~6隻のグループを構成しています。ケネディ中尉にとっての不運は、天霧には艦長の上官に当たる戦隊長が乗っていた事です。 漆黒の闇というのはもはや今日の日本には殆んどありません。何かしらの灯りは有るものです。ところが当時の南太平洋のあの海域は正に漆黒。しかもその夜は分厚い曇り空、星明りも望めません。 天霧にレーダーは搭載していない。米軍は日本を買い被り、レーダーは有るやも?と疑ってましたが生憎未だに研究中。 アメリカ軍は既にそれを持っていましたが、末端の魚雷艇PT109には積んでいない。両艦艇は手探りの状態で接近してしまいました。 互いにほゞ同時に敵に気付きビックリ。天霧上層部は直ちに回避を決めます。魚雷艇は言わば小さな火薬庫です。体当たりしたらどうなるのか?人間は誰しも生存本能があります。火薬庫に突っ込むバカはおりません。 艦長は「取り舵一杯(又は面舵でしたか、覚えていなくて失礼します)」と指示。ところが操舵手を挟んで立っている戦隊長はほゞ同時に「面舵一杯(又は取り舵一杯」と叫ぶ。 困ったのは操舵手です。どうすればいいんだ? 艦長と戦隊長・・両者は仲が悪かったのか?そうかも知れませんがそういう場合じゃないでしょう。共に海軍エリートとして自分の判断こそ正しいと踏んだのでしょうね。そしてそれが正反対だった。 ケネディ中尉側からすれば本当に迷惑千万な話で・・ 天霧は左右によろよろしながら向かってくる。判断不能に陥っている事をケネディは知らない。何考えてるんだ、どっちかにしろ、と言ったところでしょうか。相手の意図が不明なので逃げる算段がつかない。 そしてPT109のやや後方に衝突。衝撃でケネディたちは海に投げ出される。或いは自分から飛び込んだ乗員もいたでしょう、その数13名と意外に多い。 艇の前部に衝突したら大爆発だったでしょう。天霧は反転し現場を去りつつあるが、最後部の機関砲が浮かんでいる米兵達へ向けて一連射。この残酷シーンも忘れる事はできません。しかし最近考え方を変えました。 そもそも軍は巨大な官僚機構です。極論すれば全てはお役所仕事です。戦闘教則のような規則尽くしで動いている。戦闘能力を失った敵に対しても油断するな、思わぬ反撃があるかも知れない、必ずとどめを刺せ、という事ではないでしょうか。明記してあればそうするより外はない。 この場合は浮かんでいる米兵は明らかに戦闘能力を失っている。しかし厳然と軍令が存在する。最後部の機銃手としては、撃たなければ処罰の対象に為るやも知れません。規則通り一連射加えましたよ文句あるんですか、という事かも知れません。 ケネディたちは取り敢えず明け方まで立ち泳ぎをしていた。夜明けとともに島影が遥か見えたのでそちらへ向けて泳ぎ出した。 ケネディがハーバード時代に水泳部だったので島まで数時間泳げたんだという話も誤りで、実際には魚雷艇から分離した浮遊物に皆がつかまって押す様な形をとったようです。 部下たちが日本兵のいない無人島へたどり着く事を勧めたのに対し、ケネディは断固村があり日本兵もいる(かもしれない)島への漂着を決断します。水があるから人が住んでいます、無人島には水が無いかもしれません。 ケネディは九死に一生を得た。一度は死んだはずの人間です。この経験がキューバ危機におけるあの強気に活きて来ます。核戦争も辞さないあの態度の背景に、あの漆黒の夜における帝国海軍との死闘があったのか、なかったのか・・ そしてケネディの長女は今日本にいます。不思議な巡り会わせを感じます。 キューバ危機における一方のフルシチョフこそノーベル平和賞に値する人です。ケネディが40代で、対するフルシチョフも若ければ戦争になっていたでしょう。 フルシチョフは既に10歳の頃から牧場で働かされていた苦労人で小卒でもなく満足に小学校へ通っていたかも不詳。そこから党のトップへ登り詰め。 ケネディとフルシチョフ、この取り合わせの妙は正に絶妙と(笑)言うべきでしょう。
お礼
sq さん、おはようございます。 前回の質問では、大変失礼致しました。 ところで1日だけ入れてあるゴルフを除き、右に同じで私も連休中全くやる事が無い、しょうがないからDVDでも借りて来て観ようかと・・。 その筆頭候補が 『 海街 diary 』、そう! あの広瀬すずちゃんが出演してる映画。 さて sq さんそして私の予想を大きく裏切り、マエケンが上々のスタートを切ったようです。 昨日こそマリーンズ相手に7回途中自責点4で敗戦投手になったようですが、それでも6回までは僅か1失点、何度か過去のダイジェストを観た限りでは、球が高めに浮き危なっかしい気がしたのですが・・。 逆にあの契約内容が奮起を促す材料となったのかも知れない、 sq さんも御承知の通り、インセンティブの割合が大きくて結果を出さねば金になりませんから。 200イニングを投げ、2ケタ勝利尚且つ防御率が2点代であれば、300万ドルだか400万ドルだかであったベース年棒がほぼ倍に跳ね上がる・・恐らくそんな契約内容、しかも細かい付帯条件もクリアするとなれば、最大で1000万ドル程度見込めるとの事です。 以下本題、 >ケネディがあのケネディ海軍中尉だった頃のお話に関し忘れられないほろ苦い思いがあります。 ほ~~、第2次大戦中 ケネディは海軍にいたんですか、そう言えば彼が海に放り出された話は、何かで読んだ記憶があるような無いような・・。 早速今調べましたら、ケネディが任された PT―109 は全長約 24.4 m そして全幅 6.4 m、殆ど艀(はしけ)程度の船ですね、私はタグ・ボートに乗った事がありますが、東京湾内に於いてすら揺れが凄くて乗るなりトイレに駆け込んだ、それが外洋となれば想像を絶する乗り心地の悪さだった事でしょう。 ところで映画 「 ゴッド・ファーザー 」 に於いて、親兄弟の反対を押し切ってマイケルが軍隊に志願しました、それと同様に後にエスタブリッシュメント階層を形成するに至る、アイビー・リーグを始めとするあの頃のアメリカの若きエリート達は、こぞって軍隊に志願・・ Noblesse Oblige というものを良く心得ております。 また 「 追憶 」 に於いて ロバート・レッドフォードがやり投げやレガッタに勤しむシーンがある、つまりスポーツに対する意識も同じでありまして、その辺りが我が国のひ弱いお坊ちゃま達との最大の相違でしょうか。 もっともその後反戦運動という揺り戻しは来ましたが・・。 >困ったのは操舵手です。どうすればいいんだ? >艦長と戦隊長・・両者は仲が悪かったのか?そうかも知れませんがそういう場合じゃないでしょう。共に海軍エリートとして自分の判断こそ正しいと踏んだのでしょうね。そしてそれが正反対だった。 我々が属する民間企業に於いても、時折見られる命令系統・指揮系統の二元化・・あれは本当に困る、それぞれの上司に阿らねばならないとしたら余計にそうです。 私も若い頃に何度かそんな場面に遭遇しましたが、本来の指揮系統から外れた命令やアドバイスは全て無視、ただしがない宮仕えの身ですから、別系統にも一応仁義は切った・・というよりもむしろ猛烈に抗議して・・、ひょっとしたら余計に角が立っていたのかも知れません。 話が横道に逸れますが、共産主義国家に於いて政治将校というものがある、映画 「 レッド・オクトーバーを追え ! 」 で亡命を企てた艦長 ショーン・コネリー が秘かに殺害した人物、あの人がそうですね。 その他例えば北朝鮮に於ける人民軍ですが、あの軍隊は政治将校の命令なくして一発の弾も撃てない仕組みになっているそうです、如何に司令官が命令を出そうと下は無視せねばなりません。 職場は無論の事、軍隊に於いてすら全てに労働党の意志が優先する・・、軍のクーデターを恐れた金日成がそういうシステムを作り上げましたが、恐らくあれでは戦争にならないでしょう。 >ケネディは九死に一生を得た。一度は死んだはずの人間です。この経験がキューバ危機におけるあの強気に活きて来ます。核戦争も辞さないあの態度の背景に、あの漆黒の夜における帝国海軍との死闘があったのか、なかったのか・・ 軍国主義の復活こそ真っ平御免ですが、国家としての体面を保ち国民の自尊心を傷付けない程度の外交方針は持つべきでしょう。 キューバ危機は、核戦争という現実の恐怖と、国家的自尊心とのせめぎ合いでした、それを凌いだケネディは称賛されてしかるべき、またそれを支持したアメリカ国民もそう。 翻って我が国を見るに、例えばいざ戦争になった場合の意識調査の結果・・、てんでお話にならない、アメリカの若きエリートを見習うべきです。 我が国としても他山の石としてはならないはず・・、思えば3年半に渡る民主党政権屈辱の弱腰外交・・、依って幾ら看板を架け替えようとも、私には未来永劫 旧民主党・現民進党という選択肢は有り得ません。 極度に摩耗した国家としての体面を、その後安倍さんが幾らか取り戻してくれました、東日本大震災に於いて200億を上回る義援金を送ってくれた善意の台湾に対する非礼も改めてくれた。 「 他の国がどうあれ、我が国は永遠に礼儀正しい国家でありたい・・ 」 そう言って憚らない姿勢に対し、個人的には最大級の賛辞を贈りたい、彼に対する批判はよく耳にします、また欠点がない訳ではありませんが、私個人としてはその一点で安倍さんを支持したい。 >キューバ危機における一方のフルシチョフこそノーベル平和賞に値する人です。ケネディが40代で、対するフルシチョフも若ければ戦争になっていたでしょう。 典型的な口舌の徒・・オバマ大統領が受賞するのであれば、フルシチョフの方が余程ノーベル平和賞に相応しい、確かにその通りでしょう。 当時の核開発は質量共にアメリカの圧倒的な優位、ソ連国内に対するICBMを既に配備していたアメリカに対し、戦術核に頼らざるを得なかった脆弱なソ連という状況がありました。 それと同時に、あの当時クレムリンで展開された政治力学が非常に興味深い、首の皮一枚でニキータ・フルシチョフが権力を掌握しておりましたが、その基盤は極めて脆弱なものでしかなかった。 故にアメリカに対する弱腰は即時彼の失脚を意味した、つまりキューバ危機の裏側にはクレムリン内部の権力闘争が見え隠れします。 ところが危機回避に於ける複数回の交渉に依り、ケネディとフルシチョフは或る種の信頼関係を構築したんだろうと・・、少なくともフルシチョフにとってのケネディは、ブレジネフやコスイギンといった国内の政敵達よりも、余程腹を割って話せる相手であったのでしょう。 対するケネディも、ソ連の食糧危機 ( つまりフルシチョフ失脚の危機ですね ) には、国家としてフル・コミットする意思があったと聞き及びます。 つまりあのダラスの惨劇が無ければ恐らくフルシチョフの失脚も無かった、依って1990年にまで持ち越された東西冷戦構造の終結が、前倒しになった可能性が無いではないでしょう。 ところがフルシチョフの失脚に依り、ソ連は再びスターリンの時代へと回帰した、即ちケネディ暗殺の余波は一アメリカに止まらず、ソ連はおろか東欧諸国にまで多大な影響を与えた大事件であった訳で、故に合衆国の大統領選挙は全世界の関心事・・、これはもうしょうがないですねぇ。 面白いテーマであった為、つい長くなりました ( いつもの通りですが・・ )。 回答ありがとうございます。
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
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あまり詳しくはないのですが、 ビートル-ズの レノンとポ-ル 二人の個性が昇華しあれだけの人気になった。 そしてレノンが倒れ ポ-ルはソロになったけれど 二人一緒の時程の人気は ではなかった 二人ともに天才ですから、それぞれ素晴らしいのですが お互いにいろいろあったのではないかと聞いております。 詳しい方間違っていたらすみませんです。 なにしろロックは得意でなく人の受け売りですから
お礼
purimuro-zu さん、こんにちは。 >ビートル-ズの レノンとポ-ル >二人の個性が昇華しあれだけの人気になった。 >そしてレノンが倒れ ポ-ルはソロになったけれど >二人一緒の時程の人気は ではなかった ビートルズの解散は、私が10歳の時でした。 正直言ってリアル・タイムでその全盛時を知りません、何せ私が洋楽に魅かれ出したのは小学校の高学年に入ってからの事、そして我が興味はビートルズに向かわず S & G や イーグルス、並びにフレンチ・ポップスへと向けられました。 つまり purimuro-zu さんと同じで、人並み程度の知識しか持ち合わせておりませんが、ただスーパー・スターでしたからねぇ色々と耳にはしておりまして、その解散に関しては当時から二人の不仲説というのが有力視されていたようです。 二人の出会いは ジョン が17歳そして ポール が15歳の時、そこから数年を経ずしてスーパー・グループへの階段を一気に駆け上がりますが、それに連れて様々な人間が二人の間に入り込むようになり、互いの風通しも悪くなる、まあ世の常と言って宜しいんじゃないでしょうか。 様々な要素が絡み合った果ての路線対立、或いは仰る通りで、その本質は両雄並び立たずという事だったのかも知れませんねぇ。 回答ありがとうございました。
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お礼
raimugurin さん、こんにちは。 連休のさ中、どうお過ごしでしょうか? さて、 >舞台で(映画)笑いと笑顔で世界平和を願った >チャールズ・チャップリン チャップリンの作品は政治的メッセージが強く、 『 独裁者 』 では反ファシズムの旗幟を鮮明にしましたが、その本質は飽く迄もコメディアン。 ところが保守主義の台頭に依り、大戦後吹き荒れたレッド・パージの嵐で、まさかアメリカを石もて追われる事になろうとは、思いも寄らなかったのではないでしょうか。 国や平和を愛する気持ちに右も左もへったくれもない、且つそのアプローチの方法論は容認されて然るべき・・、我々としても心して掛からねばならないと思います。 >演台で(演説)世界を変えようとした? >アドルフ・ヒトラー ケインズに準拠した世界大恐慌脱出の方法論は、フランクリン・ルーズベルトもアドルフ・ヒトラーも大差ない、且つ最大の景気対策として最終的に戦争を志向した点もほぼ変わらない、更には国家指導者レベルとしては途方も無いレイシストであった点もそう。 ところが一方は平和の旗手として称賛され、もう一方は今に至り悪魔の烙印を押され続けている・・、一体何処に違いがあるというのでしょうか。 誤解を恐れずに申し上げれば、やはり戦争は勝たねばならない、敗者というのは誠に憐れで全ての責任を押し付けられてしまう、理由は後で何とでも付けられますしね・・。 ヒトラー並びにナチスにそのほぼ全てを押し付けて、第2次大戦の戦争責任から決別したドイツ、他方未だ中国・韓国辺りからネチネチとやられている我が国、・・というのが戦後70年を経た現実でありますが、欧州と極東という周囲を取り巻く国家の民度の違いなんでしょうかねぇ。 回答ありがとうございます。