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何で生きてるのかわからない
年末、脳腫瘍が判明し、手術を予定していました。 検査の結果、腫瘍自体は大きいが、自覚症状が無い、陽性の可能性がきわめて高い、 という理由で、手術をしていないです。 最初脳腫瘍がわかった時点で、自分があと何年生きられるんだろう、生きている間にしたいことは何だろう、と、真剣に考えました。 とりあえず、、腫瘍が大きくなったり、自覚症状がでたり、痙攣で倒れたりすることがあれば手術をすると言うことは決めています。 今、検査から3ヶ月ほど経って、以前の、脳腫瘍が見つかる前と変わらない生活に戻り、死を考えた時の充実感が無くなり、毎日が同じ事の繰り返しで、つまらないものになりました。 生きる意味が無くなったというか、生きていることに、いつまで続くかわからない、毎日が怖くなってきました。 脳腫瘍が見つかったとき、医者に、「どうですか?毎日眠れますか?突然脳腫瘍と言われて、鬱病のようになる人がいるので」と言われ、そんなものかなと、思いましたが、私の場合逆でした。 こんな意味の無い毎日を続けるよりも早く死んでしまいたいと思います。 できるなら、病気で死を考えた方のご意見をお聞きしたいです。
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私の場合逆? 早く死んでしまいたいって思う事が鬱病ですよ。
あなたもか・・ 最新質問から見てるので あなたの質問の方が先になってたみたいだが 先程 同じ様な質問に回答したので そっちを見なさい・・ http://okwave.jp/qa/q9148185.html
- ppp4649
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シャレで無く、死を考えた事は死ぬ程あります。 結論→何も出ません。 ニュースでIPS細胞うんぬんと言ってますが、人類は0から生命を作り出す事は出来ません。 生命自体が、宇宙が不思議の塊です。 全て神の領域なのでしょう。 あぁ、死について考えて一つだけ分かった事が有ります。 食べるライオンと食べられるシマ馬は、大きな枠が考えた時、みんな仲間です。 皆で支え合って生きてます。 私が死んでも地球や宇宙は何も困りません。 むしろそれらに取っては必要な事です。 それから霊を信じるかどうかで、死についての捉え方は大きく変わります。 少なくとも恐怖感はかなり小さくなります。 大した事いえずすいません。
- ノーバン(@nobound)
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病気というよりPTSD的恐怖はありますが、生物として、死と隣り合わせとか危険が迫っている時に、より生を実感するということがあると聞いてよくわかりません。戦争取材とか、危険なスポーツとか。身体が目覚めるのか、覚悟を決められるのか? いまだリストラとか、病気とか、自分が窮地に陥った時に何ができるのか、それでも強く生きる自信は無いし、挫折を経験しながら、さらに何かの転落を恐れていることがずっと謎ですね。何の転落を恐れて意味の無い毎日にしがみつくのか?たぶんPTSDとは、普段の生温さと死の恐怖の狭間に陥ってしまうことなんでしょう。日常の中で死を意識することはできるのでしょうか?テロの怖さもそこですね。若者が危険なISに惹かれたり。死とは何かがまだよくわかりません。
私は薬の副作用で一度歩けなくなりました。 いろいろあり、再び歩けるようになったときに 生きていることや、歩けることが ほんとうに有り難かったです。 私の元の持病は治ることがないので 生きていると辛いこともかなりあります。 それでも、自分の足で立って歩けたり 春の野の草や、青空を見れることは とても幸せに感じます。 脳腫瘍があると、きっととても怖さが つきまとうのかもしれません。 その怖さは私にはわからないかもしれない。 今苦しくても、穏やかな気持ちになることも きっとあるはずです。 今日できることを頑張る他ありません 本当は、明日がちゃんと来るかなんて 誰にも保証はないのです。