- ベストアンサー
なぜ日本人は敗者に合わせるのか?
- 競争に負けた人が居づらいのなら、負けた人が帰ればいいだけではないか?なぜ敗者に合わせる必要があるのか。
- 日本人は、競争に負けた人に気を遣う傾向がある。そのため、勝者が喜ぶことを控える場面もあるが、なぜ下位の人に気を遣わなければならないのか疑問に感じる。
- 日本では競争社会と言われるが、その中で敗者に合わせることが求められることがある。しかし、なぜ敗者に合わせる必要があるのか疑問に感じる人も多い。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
日本が農耕社会だから。
その他の回答 (4)
- BluesHeart
- ベストアンサー率26% (155/576)
競争の判定基準がどのていど合理的か、によるのではないでしょうか? スポーツの勝者はかなりシンプルに(露骨に)喜びますよね。 それは、敗者の側もスタート地点での不平等を受け入れたうえでの勝負だからだと思います。 それでも、偶然の要素を無視はできませんから敗者をリスペクトする姿は賞賛されます。 受験においても「たまたま、解答できる問題が多かった」という偶然性が否めない以上、100%自分の手柄だと思うのは世間知らずです。 (まぁ、「100回分の問題に満点解答がいつでもできる」なら威張ってもいいですが、その能力を得るために失っているものがあれば、それと相殺して評価されることになるでしょう) また別の視点ですが、たかが受験や就職や昇進程度で他者への配慮ができなくなるほど有頂天、というのも視界(というか人生観)が狭いという評価になります。 さらに、自分が勝者になれるフィールドだけが価値のある世界で、自分が敗者になる可能性のあるフィールドのことは見ないふりをするなら、主観的には「常に勝者」でいられますが、客観的には「臆病者」です。 そのような他者目線に気づかない人もオコチャマです。 以上の理由で、敗者にも一定のリスペクトが必要なのです。 あえて付け加えるなら、この回答のような内容は12歳までに学習しておくのが普通です。 質問者様も承知の上で言語化できなかった(その照れ隠し?に挑発的な文体を選んだ)のならご参考にしていただきたいですし、もし本当に文面通りにお考えならば……(学習能力の不足で)おそらく理解できないでしょうね。 昔から「実るほど、首を垂れる、稲穂かな」といいます。また、同主旨の格言や箴言は世界各地にあります。もちろん、今後の一生を通じて敗者になる可能性のないほどの方ならご存知でしょうけれども。
- yuki51877
- ベストアンサー率61% (16/26)
人生浮き沈みがありますから、どんな人にも辛いとき、負けるときはあるかと思います。 しかも自分ひとりでは心をコントロールすることができないほどの辛さを負うこともありえます。 どんなときでも全員が辛い人を労われる優しい心を持っていたら、自分が辛いときも助かるのではないでしょうか。 あとは単純に辛い人の立場を想像できる優しい人って、人を労われる素敵な人ですよね。 向上心がある人なら、自分勝手な人になりたくないのではないでしょうか。
貴方も負けて、劣ったクソになる日が来るよ。 想像力がないひとだなぁ。
- seble
- ベストアンサー率27% (4041/14683)
ヒトでなく人間だから
お礼
わかりませんね