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仇討の是非について
- 仇討の是非について考える
- 川崎中一殺害事件での仇討の是非について
- 厳罰と仇討に対する論理を考える
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>死んだ人には不平等ではありませんか。 これはありますね。加害者側の弁護士などがしきりに「更生を」「まだ若い」「刑が重すぎる」などと言いますが、亡くなった人のことはどう思っているのかと思います。 とは言え仇討ちも望ましいとはいえないので難しいですね
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- eroero4649
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今回のケースは純粋に被害者は、被害者です。しかし毎度毎度すべての事件が被害者が被害者とは限りません。例えばDQNと呼ばれるようなやつがいじめてた相手から「あいつを殺さないと俺が殺される」とそのDQNを殺したとします。ところがこの子にしてこの親ありでDQN親も似たようなやつで息子の仇をとると言い出した。この場合でも仇は仇なのでしょうか。 そもそも日本で一番有名な仇討ちである赤穂浪士の討ち入りにしても、仇討ちのきっかけとなった松の廊下刃傷事件の原因が不明です。浅野内匠頭が「恨み覚えておろう」とかなんとかいったともいわれていますが、フナ侍とバカにされたとかは後世の作り話。どうも浅野内匠頭ってお方は思い込みが強くてキレやすい人だったようで、逆恨み説が有力になっています。吉良上野介は地元じゃ名君と呼ばれていたそうで、どうも史実は「思い込みの強いキレやすい坊ちゃんがお爺ちゃんを逆恨みした」可能性が高そうです。それで仇討ちといわれても勘弁してくれってなりますわね。 じゃあなんでもかんでも仇討ちはよろしくないから、していいかどうかは裁判で決めようとなったら、そりゃそれで「なぜ俺は認められない」ってケースも出てきます。どのみち不公平感はなくなりません。 だからこんなことをいうのは公序良俗には反しますが、そこまで復讐の怨念が高まっているならば、主犯が出所した後に自らの責任で殺しに行けばいいと思います。復讐するは我にありというわけです。事情が事情ですから、情状酌量もされましょう。豊田商事事件の会長殺害事件のときの犯人は確か8年とかそんなもんだったはずです。 でも現実には、被害者の家族や友人が加害者に復讐殺人をしたという話は少なくとも我が国ではとんと聞きません。10年くらい経つうちにそこまでの気力はなくなるのでしょうね。バカバカしいとも思うのではないでしょうか。被害者家族としても、そういう気持ちになれるのであったらそれでいいと思います。「捕まるから殺さない」とか「会社をクビになって刑務所に行くから殺さない」となるならば、その人の中ではそこまでのことではないということなのだと思います。もし仇討ちを厳罰に処しても仇討ちが続出するのであれば「こんなに仇討ちが多いならもういっそ仇討ちを認めちゃったほうがいいんじゃない?」という議論にもなるでしょうけどね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 赤穂浪士は、「けんか両成敗」という 武士の規範、プリンシパルを、お上自らが 守らないことから起こったことです。 今般の件、けんかどころではなく、 弱い者が一方的にやられたもの。 やはり「死には死」がプリンシパル、 規範ではないでしょうか。 裁判所が「死刑」を下せばよいものだと 思います。 今の「殺人は20年前後の懲役」という ルールを誰が作ったのか知りませんが このような規範、プリンシパルは納得が 得られるものではないのではないで しょうか。 「死には死」がプリンシパルだと思います。 いかがでしょうか。
- kohichiro
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>仇討を復活しない論理とは どのような論理なのでしょうか。 1)目には目を:キリスト以前の論理です。 人間の論理思考はそれからも進んできました。 日本のあだ討ちシステムは(1)をひきずった世界的にも遅れた荒っぽい論理ですが、被害者の「恨み」を昇華する面を考えたことでは、必ずしもそうともいえないと思います。 現代の日本では(神の目)法律で処理するのが一般的ですが、被害者の立場を必ずしも十全に配慮したものではありません。でも最近では法廷に家族が立てるという改善進歩が見られます。 北欧だったか、加害者が罪を償い、被害者(の家族)が心を癒すための一定期間の両者の会合、話し合い、共同生活といった試みがなされているようです。 戦争における加害者側と被害者、対立民族同士の完全な和解(日韓の問題もそれなりに深刻ですが)のための上記に似た試みもアフリカなどでなされていると聞きました。 加害被害間の心の問題はあとに尾をひき、更に大きくなりかねませんので、対策にいろいろ考えている人は多いようです。世界的な深刻な問題なのですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 殺人の刑が懲役20年前後という規範は だれが作ったのでしょうか。 納得できますか。 規範、プリンシパルは「死には死」から 始まるものではないのでしょうか。
- arinko_ari
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あだ討ちよりは、まずは当事者同士の引き離しをした方がいいと思いますよ。 もしあだ討ちをするなら、法廷にて決着をつける仕組みになっています。
- ミッタン(@michiyo19750208)
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論理がどうこうの難しいことは分かりませんが、主犯の男で10年~15年でしょ? 刑期満了してもまだまだ若い もっと重い罪にならないのかね? もし私の子だったら仕返ししてやります ぶん殴る程度では済みません でもそれをやっちゃうと私が塀の中の生活をさせられるわけで… そのためにも裁判が存在するんだと思います
お礼
目には目、すなわち「死には死」。 裁判所は「死刑」をくだせばよいのです。 そうすれば「仇討」も不要になり、また 殺人にたいする「一定のブレーキ」も 掛かってゆくと考えます。 何故、懲役なのでしょうか。 未成年だから? 善悪の判断が育ってないから? まだまだ人生があるから? 殺人にたいしては「懲役20年前後の刑」と 決められているから? 半数の人が「お前おかしい」と返答する でしょうが、「仕返し」に賛成していただき ありがとうございました。
- citytombi
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感情論で言っても仕方がありません。 日本は法治国家です。私人間での争いで敵を討ったり成敗したりするのを許しておいたら、どんどんエスカレートして、しかも加害者本人のみならず関係者も争いに加わって収拾がつかなくなります。 そういう事態になることは近代国家として許されません。 そういう無秩序な状態を防止するために、個人の代わりに法律が法に則って処罰を下すんですね。罪刑法定主義です。 法律が適法である限り、国民はそれに従わなければいけません。
お礼
誰が「殺人は懲役20年前後の刑」に決めたのでしょうか。 目には目、すなわち「死には死」が原則の規範、プリンシパル ではないでしょうか。 ご回答ありがとうございました。