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大東駿介さんからの質問!旅した中でグッときた出会い
- 国内外での旅で感動的な出会いや思い出のエピソードを教えてください。
- 『海難1890』との出会いにつながる縁を感じたトルコでの旅の思い出。
- おすすめの旅行先の国について教えてください。
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大東さん、カッコいいですね。 私が今までで、1番良かった出会いはインドでの出会いです。大学時代、インドに1人で旅行に行き、現地で日本人向けのツアーに合流というやり方を取りました。私が参加したツアーガイドさんは、お水は危ないから飲んだらダメ、生野菜は体を壊すからダメと、すごく気を使って下さったのですが、夜の出歩きは危ないから9時以降は歩いたらダメと言って拘束ばかりで出掛けさせてくれませんでした。なので、わたしは途中で嫌になり、ある日のよる外に同じ部屋になった子とホテルをこっそり抜け出しました。 そしたら、別のツアーのインド人のガイドさんがロビーにいたのですが、おかしいと思ったのか、私たちに声を掛けてきました。で、事情を話すと、じゃあ、僕が案内してあげるよと、夜の町を案内してくれました。 現地のバーに行ったりして凄く楽しかったです。ガッツリ遊んだのはその日だけでしたが、偶然にも帰りの空港でもばったり出会いました!今でも、たまーにLINEしたり、まだ仲良くしてます( ^ω^ ) また、インドに行って、会いたいなと凄く思います。旅行がいい思い出になり、凄くいい出会いでした。
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- bc4000a
- ベストアンサー率15% (60/396)
ベトナムへの旅行の際に、トランジットで台湾の台北空港近辺のホテルに一泊しました。 夕食を取ろうと適当にお店を探して地元の料理屋さんに入ったら、日本語も英語も通じず、こちらもトランジットなので中国語はいっさい覚えて来ず、ということで身振り手振りで注文しました。 そうしたら、店員さんが必死に身振り手振りで「同じ系統の料理ばかり、しかも頼む分量が多すぎ」ということを伝えてくれて、いい感じに数種類の台湾料理を出してくれました(お値段も最初に頼んだものよりリーズナブルに)。 そういう地元の優しさに触れられて、それまで全くノーマークだった台湾のことが大好きになりました。
お礼
ご回答ありがとうございます。OKWAVE Stars編集部です。 言葉ではないところでのコミュニケーション、良かったですね!
- ootemon
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広島に行ったときに、目的のお好み焼き屋がその日休みだったんで、その店の前で あー!ってがっかりしてたら、通りすがりの子連れのお母さんがおいしい店を教えてくれて、店の前まで連れてってくれました。 お陰でがっかりしてたのが一変、いい思い出になりました。
お礼
ご回答ありがとうございます。OKWAVE Stars編集部です。 地元の方の優しさと合わせて素敵な思い出ですね!
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
海外要員として、在外期間だけでもブータン3年、ケニア2年、 ソロモン諸島(ガダルカナル島)1年半、カンボジアや西サモア 半年などのべ8年、途上国で暮した身にとって、人生そのものが 旅であり、日々新たな出会いだったと言えます。 その中でも、特に印象に残っているものといえば、最初のケニア での青年海外協力隊員としての活動で、ロクに英語もしゃべれずに 建築家としての業務をこなせる訳もなく、下働きの図面描きとして 使われ、本来の使命である技術移転を図る事ができなかった無念を 晴らすために、その後海外コンサルとしての西サモアやソロモン諸島 での実務を経て、10年後に満を持して「ブータン以外なら辞退する」 と逆指名して試験を受け、参加した2度目の協力隊参加で出会った、 ブータン国王と、その右腕であり私の上司でもあったジグミ・ティン レイ閣下(後に国王が民選国会を作って引退された時、国会で選ばれ た初代首相でもある)です。 ブータンの最初の任地であるZone1州事務所は、赴任してすぐに 「ブータンが難民を生み出した」として世界中から責められた、 南部のネパール系住民によるテロ事件によって機能停止し、やがて 責任をとって解散(役所が!)させられました。 私は、首都の本庁に転勤する事になり住居を片付けていたところ、 協力隊の現地事務所から、「Zone4の州知事が事務所に来られ、 『Zone1の日本人建築家にZone4に来てもらいたい』と依願された」 という連絡があったのです。 Zone4州は、ブータン全土を4つに分けた州の最果ての地、首都から 唯一の交通機関であるバスで3日もかかり、テレビもなく新聞も3日 遅れで届く辺地であり、Zone1の日本人建築家の事を認識して、知事 自ら動くなど、あり得ない事でした。 その熱意の前に、バスで3日かかる困難など大した障害ではありません でしたし、赴任した標高2,400mのZone4州事務所まで住宅のある標高 1,800mの集落から毎日高度差600mを1時間かけて登り降りした苦労も、 充実した活動の満足感で、あっという間の3年間でした。 有能なジグミ・ティンレイ閣下のもと、学校や病院からニュータウンの 開発計画まで次々に困難な設計を任され、ある時は山奥の城の修復のため に6頭のヤクを伴った23日間のキャラバンを行なったりしたり(←これが ヒマラヤ最長のトレッキングルート「スノーマントレック」の日本人初 踏破になった)、日本の田舎設計事務所で消防団の詰所などを設計してい た平凡な建築家にとって、夢のような日々でした。 ある時は、標高2,600mの寒い現場を国王が視察に訪れた時、夜になって 赤いベレーの親衛隊がジャンパーを届けてくれました。後に聞くと、その 夜の役人との会食で国王が「あの日本人は寒そうだった」と言われ、自ら のジャンパーを下されたものだった、との事でした。 1年後にZone4州事務所を訪問された折には、私の製図室にまで来られ、 「嫁さんはいないのか?」「雨季の土砂崩れを防ぐ方法はないか?」など、 公私にわたり話しこまれ、部下から「国王があんなに話される事はない」と 驚かれました。 そして3年の任期が終了して、帰国のために首都に上京していたら、夜に ドアをノックする者がいるので出たら、また3人の親衛隊が立っていて、 「国王よりの感謝のしるしだ」と言って、高価なブータン特産の織物や銀の 小箱、仏画(さすが仏教王国!)など、たくさんのお土産をいただきました。 一国の国王が、1人の日本人建築家を気にかけて、帰国時期まで把握されて このようにケアされるとは(ジグミ・ティンレイ閣下もそうだし)、ブータン 人はスゴい!と思ったものです。 この人、この国があって、「GNP(国民総生産量)よりGNH(国民総幸福量) を目指す」という国是を掲げて、先「進」国とは異なる進路を目指し得るの だと痛感したものです。 (写真はメラ・サクテンという秘境の地が観光汚染されつつあるというので、 公共投資する代わりに観光客を入れないようにする打合せをしに現地に向かう (往復5日)途中のZone4一行)
お礼
ご回答ありがとうございます。OKWAVE Stars編集部です。 ブータンとの関わり、成し得たことと合わせて、ひじょうに充実された日々だったようですね。
- zyuzuko771110
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旅でのご縁というと、世間の狭い話になってしまいますが、大東くんの熱海FCイベントでの出来事。 早朝にホテルの周りを少しだけ散策していたら、のら猫を見つけて写真におさめるべくこそこそ追いかけていたら、個人経営のホテルのご主人が話かけてくださいました。 「猫は愛想がないと言いますが、愛情をかけた分だけ返してくれるんですよ。人間の女性よりね」と、冗談混じりに猫の話をききました。 その夏猫を飼うことになり数年経ちますが、ご主人が言っていたことは本当だったなと感じる日々です。 海外はイタリアしか行ったことがありませんが、シエナという街に藤田まことさん似のガイドさんがいるので、もし何かで行く機会があったら探してみても楽しいかも。ご本人も気さくな方でしたよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。OKWAVE Stars編集部です。 飼い猫さんとの出会いのエピソード、面白いですね。 イタリアで藤田まことさん似のガイドさん、ご案内されてみたいですね^^
お礼
ご回答ありがとうございます。OKWAVE Stars編集部です。 親切なガイドさんのおかげで素敵な思い出ができたようで何よりですね^^ そういうつながりが今もあるのも素敵ですね。