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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「いい文章」を書きたい?でも「いい文章」って何?)

「いい文章」とは何か?

このQ&Aのポイント
  • 「いい文章を書きたい」でも、「いい文章」ってなんだ?アートの世界でも「好きな絵」「嫌いな絵」というのはあるけれど「いい絵」「悪い画」というのはあまり聞かない。
  • 先のボヤキに意見を投じて下さった方々の意見にあるように、「思想信条」あるいは「パッション」こそが文章の命だと思います。
  • では何故そういう文章が書けないのか?上のリンクのやり取りを参照していただき、ご意見をお聞かせいただければと思います。

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noname#214634
noname#214634
回答No.1

いい絵、悪い絵というのもあります。 構図が悪い、テーマが悪い、何かが悪い…。 私の思うよい文章は文章なのに熱を感じる、匂いを感じる、感触を感じる、 思いを感じる、色を感じる、空気を感じる そんな文章です。 とはいえ、大前提は「わかり易い」というものがあります。 小難しくまとめあげてわざとわかりにくく、読み手の想像に委ねる文章は それはそれでひとつの技法ではりますが、ズルさも感じてしまいます。 (ちなみに天声人語は社をあげた独白だと思うのであまり評価はしていません。朝日新聞の社風がもっとまともなら別なんですけどね) 故タニス・リーはその色彩の豊かさを褒め讃えられていました。(あまり手に入らないのでそれほど数を読んでいませんから私には実感がないですが) 翻訳家村上知行さんの西遊記はともすれば退屈な翻訳文章を講壇のような活気あふれるものにいたしました。 どちらも読み手の興味をそそり、想像力を掻き立てる人たちです。 >「いい文章を書きたい」でも、「いい文章」ってなんだ? >ではなぜそういう文章がかけないのか? 結局のところ、読み手ありきの書き手ですから。 読者の興味をそそり、読者が何に興味を持ってくれるかという好奇心をお持ちでしょうか。 その好奇心を生かしてますか?反映なさっていますか? その好奇心に答える内容の、わかり易いあなたらしい文章を構築しているのでしょうか。 思想信条やパッションなどは、結局のところ説教臭い要素にもなりかねないので あまり固執しててはどうかと思う部分でもあります。 同じ見解を持つ者にしか通じない文章は、良い文章とは言い難いと思います。 居酒屋や講演会にて、自分の思想信条とパッションを語る人の話など 面倒なので聞きたくなどないのですよ。 上手な人ほど、読み手、聞き手の好奇心、興味を引き出すのが上手ですよね。

noname#226970
質問者

お礼

はじめまして。 とても興味深く読ませていただきました。 >いい絵、悪い絵というのもあります。 構図が悪い、テーマが悪い、何かが悪い…。 そうですか。別に言い張るつもりも、わたしが正しいなどとも思っていませんが、個人的には「好きな絵」と「嫌い」(或は苦手)な絵しかみたことがありません。 usiko00さんは、なにか、五感に訴えてくるような文章がお好き(ではなく、「上手な文章と定義」される(?)のですね。 わたしが好きな文章は・・・うーん。やはりその書き手の人間性に共感することができるか?でしょうか。 例えば曽野綾子などは偽善者だと思っていますので(かつて高橋たか子氏から「エセキリスト者」と呼ばれていましたね)何を書いても受け付けません。(苦笑) 基本的にショーペンハウエルの言葉、本の「質」と「読者数」は反比例する』という説を採っていますので、大向こうに受ける本には興味がありません。 >読者の興味をそそり、読者が何に興味を持ってくれるかという好奇心をお持ちでしょうか。 あ、いえ、そういう関心はほとんどありません。先の質問にも書きましたが、自分が納得できる文章が書きたいのです。わたしはプロの作家ではありませんし、それでお金を得ているわけではないので、こういってよければ、「他者のニーズ」などどうでもよいのです。 スミマセン、せっかくご丁寧な回答を頂いたのに失礼なことしか書けなくて。。。上記のような質問をして、usiko00さんのおっしゃるような回答は全く当然すぎるほど妥当なお答えなのです。 でもわたしは、確かに、「嫌われるために」書いているのではないのですが、それ以前に、自分が「まあこんなものだろう」と納得できる文章を書きたいのです、その上でなお、人がそれを肯定・評価してくれるのなら、それに勝る喜びはありません。 つまり順序としてはまず一にも二にも自分が満足できること。その後二次的にたまたまそれを目にしてくれた幾人かが「いいじゃない」とか「おもしろい」とおもってくれればもうけものと云った順番になります。 >思想信条やパッションなどは、結局のところ説教臭い要素にもなりかねないので あまり固執しててはどうかと思う部分でもあります。 それは確かにその通りですね。 >同じ見解を持つ者にしか通じない文章は、良い文章とは言い難いと思います。 あ、ではよい文章ではなくてもいいと思います。何故って、これまで同じ見解をもって人に出会ったことがないので、ひとりでもそういう人が見つかるような文章が書きたいです。 週末のお休みのところ、わざわざお越しいただきてありがとうございました。 お礼の失礼、重ねてお詫びします・・・

その他の回答 (5)

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.6

一連の流れを読んで感じたことですが、純粋に自分のためだけに書いていた文章から、他者を意識し始めた文章になったことが一因ではないでしょうか。 絵画でも言われるでしょう。 子どもの頃は誰でも天才って。 ですが、第三者に評価されることを意識し始めると、途端に自由な表現が出来なくなる。 質問者さんが、自分にとって満足のいく文章が書けなくなったのも、同じ理由ではないでしょうか。 第三者に読まれたいのならば、第三者を意識した構成、文章表現は必要ですが、ご自分では必要ないとおっしゃるのに「読まれたい」という欲が芽生えてもいらっしゃる。 矛盾してますよね。 自分のために書きたいのならば、第三者の存在は捨てる。 第三者に読まれたいのならば、己の欲望に忠実であることを捨てる。 両方ともを成り立たせたいというのは、プロからダメ出しされた質問者さんには難しいんじゃないでしょうか。

noname#226970
質問者

お礼

はじめまして。いちにんの愚かしい者の乱入で心乱され、お礼が遅れました。 いただいた回答、一見すると、そういう「流れ」のように見えますが、そうではないようです。 第一にわたしは「他者の評価」を目指していません。他者の評価って何でしょう?マーク・トゥエインはE・A・ポーのことを全く認めませんでしたね。 パスカルはデカルトについて、「無用にして有害」とすら言っています。 そもそも、「他者の評価」とは何か?というところから始めなければ。 >文章表現は必要ですが、ご自分では必要ないとおっしゃるのに「読まれたい」という欲が芽生えてもいらっしゃる。 矛盾してますよね。 「読まれたい」というところに誤解があるようです。 「読まれたい」というのと、前投稿から書いている「人が読んだらどんな印象を持つだろう?」と想像することは必ずしも「同一」ではありません。 わたしのなかでは書くことは生存の必要から発した、いわば生理的な営みです。「万の読者あって一個の己無し」では本末転倒です。 ですから >第三者に読まれたいのならば、己の欲望に忠実であることを捨てる。というのは万に一つもありえません。 ではほんとうに >自分のために書きたいのならば、第三者の存在は捨てなければならないのか? これからよく考えてみます。 とはいえ、この質問が生まれる際に介在する、わたしの障害者としての生活や人生観、厭世・厭人観を知るはずもない(知りようもない)回答者の皆さんに、頂いた回答以上のものを求めることはそもそも不可能なことだと今更ながらわかりました。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.5

自分がよく理解している内容について書いた文章では。書き方に問題があるのではなく、理解のしかたの問題では。よく理解している内容なら良い文章が書けるはず。逆に生半可な理解で書いても何が何だかわからない文章になるのでは。これは報告書でも小説でも同じように言えることだと思います。

noname#226970
質問者

お礼

はじめまして。 昔はよく、講演会に行き、いわゆる知識人・文化人・大学教授・ジャーナリスト、心理学者などと云われる人たちの話を聞き、質疑応答の際には、必ずなにがしかの「異論」を唱えていたものです。 いま、あなたが先生で、わたしが生徒なら、手を挙げて、「理解するってなんですか?」と訊きたいです。 例えば百田尚樹は日本の現代史について「正しく理解して」いますか? 誰もわかりませんよね。 ニーチェだか、ベンヤミンだかの言葉を借りれば、「事実というものは存在しない、ただ解釈だけがある」 では理解とはなんでしょうか。 週末のお休みのところ、お時間を頂き、どうもありがとうございました。

noname#232772
noname#232772
回答No.4

>上のリンクのやり取りを参照していただき めんどいからそれは断る。 そういうことを強いられてもなあ。 >では何故そういう文章が書けないのか? そりゃあ、そういう人間じゃないからでしょ。 書けないものはしょうがないじゃん。 文章ってそういうものでしょ? 自分に書けるはずがないものを書けるようになろうとするマヌケさが文章に表れてると思うの。

noname#226970
質問者

お礼

他の回答者の方々のように、もう少し「知性のある」方からのお答えが欲しかったです。 もう少し日本語を理解できるようになろうね^^

noname#260418
noname#260418
回答No.3

退屈な文章は三行が限界です。 写真なら3秒。 読み手を引き込むことができる文章を 書くことだと思います。 自分のことを書いて喜ばれるのは アイドルのブログだけです。 とにかく簡潔に趣旨を述べることが 大事だと思います。

noname#226970
質問者

お礼

はじめまして。遅くにお越しくださってありがとうございます。 >退屈な文章は三行が限界です。 写真なら3秒。 ははは、そうですか。わたしは大嫌いな百田尚樹でも、曽野綾子でも無理して読もうと思えば読めます(苦笑)だってプロの物書きですから。でも全く共感できないだけです。 >自分のことを書いて喜ばれるのは アイドルのブログだけです。 わたしは今日、あるSNSを退会しました。わたしはアートの投稿がメインのアメリカが拠点のブログが一応本拠地ですが、そこは日記専門のSNSで、書かれているのは彼ら、彼女らの行ったところ、食べたもの、好物、ペットの話、友達の浮気話そんなものばかりで、またそういう話に限って人気があります。 わたしの書いたものなどそれに比べて誰も見向きもしませんでしたよ(苦笑)

noname#226970
質問者

補足

わたしが退会した「40歳以上のSNS」での、彼ら・彼女らの日記で、人気があるのはダントツに「あ、それわたしも好き」「あ、その映画、見たいと思ってたの!」「わあ、それ美味しそう!」「うちの職場での出来事」などですが、じゃあそれに対してすこぶる振るわなかったわたしの日記はといえば、例えば、写真家のダイアン・アーバスについて、ヴィヴィアン・マイヤーについて、ドイツロマン派絵画について、ドイツ表現派について、映画「ショア」について、早川義夫と正岡子規について、サザビーズ・オークションにかけられた20世紀初頭の「Vampire Killing Kit」について、蜂の形のハニーポットについて、ドアノーやブラッサイの写真について、ノーベル平和賞について、秋の叙勲について、「絶望系映画について」、ミヒャエル・ハネケについて、「自殺について」等。 音楽でいえばニック・ケイヴ&ザ・バッドシーズ、タウンズ・ヴァン・ザント、ドノヴァン、ディミトリ・ショスタコヴィッチ、バッハ、ナンシー・グリフィス、ニーナ・シモンなど、 みんなが「あ、好き!」と云えないものばかりのようでした・・・

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.2

自分が納得していることを書いたものでは。

noname#226970
質問者

お礼

はじめまして。 >自分が納得していることを書いたものでは。 うーん。ちょっとわかりにくいのですが・・・ お立ち寄りくださってどうもありがとうございました。