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クリスチャンに質問です。
クリスチャンに質問です。 あなたは「憲法9条」(平和主義、戦争の放棄)を支持しますか? 私としては、アメリカが日本に押し付けた不当なルールであり、植民地政策そのものであるから無効にするべきだと考えます。 それゆえに、現行の日本国憲法を破棄し、新たに日本人の手によって平和憲法を作るべきだと考えますがみなさんはどう思われますでしょうか。 回答をお願いします。
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こんにちは。 憲法九条がどう等と言う事は私には難しくて分かりませんので、テキトークリスチャンのテキトー発言で申し訳ありませんが、このサイトにはクリスチャンネタが少ないので数少ないチャンスに出しゃばっちゃいました(^^) 父なる神は罪のない方。つまり間違いを犯した事がない方。 その神が、旧約時代には「身に降り掛かる火の粉は祓う」意味のあくまで防衛の意味の戦争だけでなく、他国に対する侵略戦争にも力を貸しています。 ソドムの街を滅ぼした事件、ノアの箱船事件、レビ族以外の者が神輿に触れただけで殺した事件、数えればわりと多い神による殺人。 「右のほほを打たれたら左のほほをも差し出しなさい」という言葉が出た後、つまり新約聖書の時代になっても神から与えられた力を持つ使徒が共同体の中での財産の取扱について噓の証言をしたというだけの理由で神の力で殺しています。 大勢の殉教者がただ殺されるだけでなく惨殺されているケースもあり。。。 神様が「殺人」をどのようにお考えなのか私には分かりません。 皮肉に聞こえるかもしれませんが、そういうつもりはありません。 本当に分かりません。 ただ「私にはすべてが許されている。しかし全てが益となる訳ではない」と言われている通り、戦争を行う自由や力を持つ事は許されて良いかと思います。実際にするかしないかは都度判断というところでしょうか。 ただ、これはあくまで思想上のお話し。 武力を持つと言う事はほかの全ての要素から切り離されている訳ではありません。 アメリカなどの機嫌を伺い、他国との外交上猛プッシュも受けなどしている現在の外交状態で武力を持てば「お前も手伝えよ」と言われて「いや、オレはいい」と簡単に答えられるかどうか疑問です。 憲法九条に守られている面も結構大きいとは思います。 優柔不断な気の弱い子が銃を拾ったようなものかな?彼はもちろん人を殺したいなんてこれっぽっちも思っていない。 でも銃を持っている事でその銃目当てにガラの悪い人間が集まって来て、その者たちと接している間に「おまえも銃を持ってるんだから今度オレたちがあのグループを襲う時お前も来いよ。来なければお前どうなるか分かってるよな?」みたいな事を言われる。 銃なんか拾わなければ良かったときっと思うでしょう。 でも気が弱いので断れずに参加したら死にたくないのできっと相手を何人か撃ち殺す。 意思でどう考えているかとは別に生存本能がかってにトリガーを引く。 これを神がどのように評価するか私は知る由もない。
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- YKANAJAN
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憲法九条は、平和主義でもなければ、戦争の放棄でもありません。なぜならこれは、一方的な戦力の不保持であって、それ単独では、他国に武力進攻されてしまうからです。したがって、憲法九条は、平和主義ではなく「無抵抗主義」とでもいうべきものです。 さてご質問の件ですが、クリスチャンの立場からは、憲法九条を支持します。キリスト教としては、右のほほを打たれたら左のほほを差し出せ、という言葉にある通り、他国に武力進攻されても無抵抗でいることが正しいと思います。 大丈夫です。 殺されても犯されても奴隷にされても、神様は見守ってくださいますから。 罪無く殺された者の魂こそ、天国への道が開かれます。 憲法九条は非常にキリスト教的な、理想的な憲法です。 もし、憲法九条を破棄しようという勢力があるならば、それはサタンの手先でしょう。
補足
日本国憲法そのものがサタンのルールではないでしょか? 日本国憲法は2度と再び日本がアメリカ(または連合国)に歯向かうことがないようにするためのルールなのです。 (その昔、白人が黒人に武器を持たせなかったことと同じです。) また、みずからの意思で無抵抗でいることと、無抵抗を押し付けられることとでは意味が違います。 「前者は神の御心」であり「後者は悪魔のくわだて」であると思います。