※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:各種ニュース、ワイドショー、週刊誌、インターネット)
なぜ事件記事では経緯よりも関連性の薄い要素が大きく取り上げられるのか?
このQ&Aのポイント
各種ニュース、ワイドショー、週刊誌、インターネット上のまとめサイトで扱われる事件記事では、なぜ経緯よりも関連性の薄い要素が大きく取り上げられるのか?一番重要な経緯が書かれず、当事者の人柄や他の言動などが注目される理由を考えます。
事件や不祥事絡みの記事において、なぜ最終的な結果や関連性の薄い要素が大々的に扱われ、重要な経緯が中立性を欠いたり書かれないのか疑問に思います。芸能人や政治家のスキャンダル、店と客のトラブル、学校での殺人事件など、それぞれの事例を通じて考えます。
記事の書き手側や読者側の意図や興味関心、メディアのビジネスモデルなどにより、事件記事では経緯よりも関連性の薄い要素が大きく取り上げられる傾向があると考えられます。その背景には、センセーショナルさやエンターテイメント性の追求、読者の需要や興味に応えることなどがあります。
各種ニュース、ワイドショー、週刊誌、インターネット
各種ニュース、ワイドショー、週刊誌、インターネット上のまとめサイトとかで扱われる、事件や不祥事絡みの記事についていつも気になる事があります。
その手の問題が起きた時、なぜか書かれるのが、事件の「最後の結果」と、それ以外だとなぜか事件への関連性の薄い、当事者の人柄や他での言動などが大々的に扱われる事が多いのはなぜでしょうか?
実際のところ一番大事なんじゃないかと思える、その事件が起きた短期的な経緯は、書かれなかったり、書かれてもいい加減で内容が中立性を欠いていたりする事がままありますが、どうしてでしょうか?
例えば
ある芸能人や政治家が、記者に暴言を吐いた、恫喝した。の場合
その政治家なり芸能人なりが、どんな形で脚光を浴びていた、こんな発言をよくしていた。
ここはなぜか書かれるけど
そもそもその記者との間にその直前にどんなやり取りがあった、お互いがなにをした、された(例えば記者がパパラッチ行為をした事で当人が怒ったなど)。
こういうのは大体書かれないか、書かれても大雑把ですよね。
店と客のトラブルについてだと
最終的に客なり店なりが言ったことのみが、妥当かどうか、社会常識的にどうか。この客はクレーマー気質があったかどうか。
ここだけが大体言われ
その件に関する店のマニュアルはどうだったか、客と店の間で別個に交わした約束はあったのか、無かったのか、どんな内容だったのか、店と客はそれぞれどんな解釈だったのか、どこから話がこじれて行ったか。
ここは大体言われない所です。大事なのに。
学校で生徒同士や生徒と教員間の殺人事件があると
若者の暴走だの、残虐な漫画が好きだったの、学校と直接は関連性の無い家庭の方がどうの。
というのはよくクローズアップされ
そもそも関連性がもっと高そうな
学校でイジメがあってたかどうか、それを学校は把握していたか、把握していたとすれば対処は適切だったか、当事者間の人間関係に何か問題が無かったか。
は大体後回しです。
また、後者の事がしっかり書かれた記事があったとしても、読者側の問題として読者がそこを恣意的に読み飛ばしたり、そもそも事件には興味があっても、経緯に興味が無いから読みたく無い、なんてこともままあります。
どうしてそういう記事が多いのでしょうか?
また読者側も、どうして当事者の「経緯」よりも「身辺」「立場やクラスタ」の方に興味を持ちたがるのでしょうか?
重要と思えるものが逆転しているので不思議です。
お礼
ありがとうございます。 確かに裁判沙汰になるような犯罪者だったらそうですね。 ただ一つ気になるのが、それが冤罪だったとか、法廷に出す程もないぐらいのトラブル(場合によっては民事的なものも)が、針小棒大にかき立てられたり、一方的な視点でのみ語られたり、本来あるべきことが抜けてたりなんてというのはどうなんでしょう。 例えば、AとBが喧嘩をしていた、これぐらいなら裁判に持ち込む様な事じゃ本来ありませんが、どちらかが有名人だったりすると本物の報道機関も動くかも知れませんし、あるいはそういう人でなくとも誰かが勝手に書いたまとめブログとかまとめwikiとかには載るかも知れません。 そういう時にBが怒って叫んでる所ばかりが書かれたとしたとしたらBの事ばかりが悪く見えますよね。 ひょっとしたらAがとんでもない事をBにした結果かも知れませんが、大抵こういう経緯は無視されます。 それってなんなんだろうなあ、と思うんですよね。