• 締切済み

自分の精神の弱さ、不安定さ

こんばんは。僕は大学に通っている20歳のものです。僕は1年ほど前に対人恐怖(不安障害)にかかりました。 現在は少し薬を飲んでいる程度ですが、まだ完治はしていません。 数か月前くらいは病気がだんだん治っていくのがわかり、 自分が強くなったと錯覚していました。しかし病気を発症してから1年ほどたった今、 また少し対人恐怖気味になっています。最近友達に会ったりするのが少し怖いです。 僕が病気を患っていたのを知っている友達には比較的気楽に接することができます (病気のことを知っていてくれてるので比較的優しくしてくれます) でも、僕はまだ大学生ですが将来社会で働くことになると、 そんなわけにいかないと思います。たぶん競争の激しいところに行けば、 病気?それがどうした?と言われるんだと想像しています。 今の時代は副詞が充実していますが、世間の精神病・精神疾患に対する配慮はまだまだ 浸透していないと思っています。そんなことや今うまくいかないことを考えていると、 何もかもが憂鬱に感じてしまいます。 精神疾患者としての、特別な将来への不安・・・ また自分の生きていることの意味・・・ 楽しくもない人生を生きる意味があるのかと思ってしまいます。 かなり厭世的な考え方をしていると思います。 なんだか、愚痴みたいになってしまってすみません。 ぼくは、周りの友達からみると、精神的に強そうだといわれることが多いです。 でも、実際はとても神経質でこだわりが強く、繊細です。 人より多くのことに気が付く分、小さなストレスをため込んでしまいます。 人のために死ねるのなら今すぐにでも死んでしまいたいという気持ちと、 いや、まだまだ死ぬわけにはいかない。という矛盾した気持ちが心の中にあります。 誰にも相談できないので、このサイトで書かせてもらいました。 よろしければもっと楽に生きられる方法などアドバイスください、お願いします。

みんなの回答

  • pct10968
  • ベストアンサー率21% (641/2971)
回答No.6

じじいです。 >しかし病気を発症してから1年ほどたった今、 また少し対人恐怖気味になっています。最近友達に会ったりするのが少し怖いです。 若い頃私にも経験があります。 独りに強くなかった頃です。 ちょっとした他人との意見の食い違いで気持ちのすれ違いが出た所で、いつもの独りの自分に戻るだけだと思うと対人恐怖も次第に薄れて行きましたよ。 >精神疾患者としての、特別な将来への不安・・・ また自分の生きていることの意味・・・ 楽しくもない人生を生きる意味があるのかと思ってしまいます。 確かに私も若い頃は何らかの精神疾患を患っていたのだと思います。 でも、自力で正常に戻る事も出来るのです。 深刻な自分を改め、「楽しくもない人生を生きる」を「楽しい人生を生きる」に変えてしまうのです。 >でも、実際はとても神経質でこだわりが強く、繊細です。 人より多くのことに気が付く分、小さなストレスをため込んでしまいます。 人より多くのことに気が付くのならこう考えれば良い。 楽しいものを見続けていれば、楽しい人間になる。 嫌なものばかり見続けていれば、嫌な人間になってしまう。 とても神経質でこだわりが強いということは、心の受け皿が小さいと言う事。 その受け皿から溢れた分がストレスになる。 何に対してこだわりが強いかは分からないが、大概は、或いは殆どはどうでも良い事だ。 そのどうでも良い自分のこだわりを、笑い飛ばせるようになればしめたものだ。 >人のために死ねるのなら今すぐにでも死んでしまいたいという気持ちと、 いや、まだまだ死ぬわけにはいかない。という矛盾した気持ちが心の中にあります。 それは、投げやりというものだね。 繰り返すが楽しい事を考え、楽しいものを見続ける事で楽しい自分になって行くものだよ。 自分が見ている世界がそのまま自分の人生に投影されるものだ。 辛い人生を見続ければ、それはそれは辛い人生となる。 楽しい人生を見続ければ、当然幸せな人生を送る事になる。 >よろしければもっと楽に生きられる方法などアドバイスください、お願いします。 繰り返すが、自分のこだわりを捨てる事だね。 たいがいは、自分以外の他人には価値など感じないガラクタだと思うよ。 自分にとっては大事だから始末が悪い。

noname#226203
noname#226203
回答No.5

とても辛い事と思います。 神経質であったり、こだわりが強かったり、繊細なのは、これはもう生まれ育って持ったものなのでどうしようもないものですし、どうにもならないんですよね。 逆にそれだから、細かい事によく気がついたり、何にでも興味深かったりするのです。 それは言い換えればあなたの良いところですね。 きっと我慢強くて、自分の中に何でもため込んでしまうのではないでしょうか。 何でも自由奔放に振舞えて生きている人がうらやましいくらいですよね。 最近、私も思い悩む事が多くてどうしようと思いました。色々本も読んだのですが、どれもなんだかなぁ・・という感じですね。 今、ちょうど手元にアマゾンで買った「心配しすぎなくてもだいじょうぶ」(心屋仁之助)の本が届いたので、どのくらいポジティブになれるか読もうとしてるところです。 でも、今までの経験からご提案させていただくのは、時間が空いたときに自然を求めて旅に出て見る事ですね。 山の景色のいいところに行くとか、海辺でひろ~い海をひたすら眺めるとかなさってみてはどうでしょう。 パワースポットって本当にあるようですよ。 そして、いづれ社会に出ると、あなたの想像通りの事が待ち受けてるかもしれないのは確かです。 私の職場では、産業医がカウンセリングを行う(無償で)ことをしています。 実は、競争の激しい会社の方がメンタルでダメになってしまう社員が多いです。やはり人間ですからね。 今はそういう産業医制度が労働基準法で義務づけられています。一見元気そうですが、家を出て会社に向かうのですが、それだけでもう駅のホームで倒れてしまうくらいの辛さを抱えているサラリーマンの方が相談に見えます。 そこはカウンセラーと専門の経験豊かな優しいドクターが、ご本人の顔を見ながら、表情をくみ取りながら体調の管理と、メンタルの管理をとてもよくやってくれます。 今はそういう制度も充実する傾向にあるので、一方的に変な目でみられたり理解がない会社ばかりではない事を知っておいてください。 その上で、安心して自分らしく仕事をすればよいと思います。 どうしようもないくらい悩んで心配して、飽きるまでそうやって自問自答してみてください。 頭がゴチャゴチャなるとやがて面倒くさくなって、考えなくなれば、卒業です。 でも一生卒業できないかもしれないですよね。そしたら一生心配し続けて悩み続けて生きていくのもOKだと思います。 なんだかアドバイスになっていませんで申訳ありませんが、一緒にちょっと精神の弱さをどうすればいいのか考えてみました。

  • HeyXey
  • ベストアンサー率26% (134/497)
回答No.4

 人生は積み木だと思うのです。間違った積み方をすれば、その箇所まで戻って積み直せばいいのですが、自分で考えずに人から言われたように積んでいった人は、その箇所に戻って積み直すことが出来ないのです。だから自分で考えないといけないのです。  私たちが頼りにすべきなのは自らの感性です。自分が感じた感じ方を信じられないようでは二進も三進もいかないのです。だから僕はこう言います。『自信を持って自信を失くせ!』『自信を持って悩め!』『自信を持って劣等感を持て!』  この世は“事実”と、それをどう“解釈”するかで成り立っています。高度な脳の働きを持つ社会的動物である人間にとって、“解釈”の部分の比重は大きく、いかようにも「この世」は変化します。自信がない、悩んでいる、そのことを論じる以前に、そう感じている「自分」を認めること、そう感じている自らの感性を認めることが出発点だと思います。『こういう感じ方をしてはいけない』ではなく、『こういう感じ方をするのは今の状況の僕にとって当然のことなんだろうけど、なぜこういう感じ方をするのだろう?』という発想が健全であろうと思います。  その認識を踏まえた上でアドバイスするならば、「あなたが何かをするたびに、その背後にある動機は強化され、その背後にある世界観は正当化される」という法則を考えてみて欲しいのです。例えば、準備を入念にすることによって、その背後にある「失敗してはいけない」という動機は強化され、「これに失敗したら終わりだ」という世界観が正当なものとなるのです。他人からの評価は誰でもある程度は気にしています。そこで、他人からの評価を気にして何かをすると、その考え方、感じ方は必ず強化されるのです。劣等感を隠すために見栄を張ると、劣等感は増します。ハゲをカツラで隠すと、「ハゲは人間として価値が劣る」という世界観が強くなります。整形手術もそうです。  「対人関係が不得意だということが人間としての価値を決定的に下げる要素ではない」という世界観に基づいて行動することによって、「対人関係の良し悪しが人間としての価値を決める」という世界観を打消し、余計な呪縛から解き放ちます。  具体的に言うならば、「無難に付き合おう」とするあまり、本心を言わずに定型的な紋切り型の会話しかしなくなると、返って「つまらない人」と思われる原因になるのです。恥ずかしいとか照れるとか、人に悟られたくない感情というのは、実は対人関係において武器になるのです。「相手の心が見えた時、そのひとに親近感を抱き、好感を持つようになる」という法則があるのです。その点、女性は上手いですよ^^;。『ここだけの話…』、『相談があるのだけど…』といった前置きをして、「あなただから本心を見せているのですよ」と来るのです。テクニック的な事も学びましょう。人と仲良くなる“自己開示”という方法です。他にも、その人に関心を示す…以前に風邪気味でと聞いていたら『風邪は治りましたか?』と尋ねることで「あなたの(言った)ことを気にかけていますよ」というのを示せ、その人との距離を縮めることができます。また、ある人に「いいなぁー」と思ったところがあれば、素直に口に出してみる、という方法もあります。『話しかけやすい』とか、『発想が面白い』とか、『ポジティブだよね』とか、何でもいいのです。そういう人のいい点は頭の中だけで思わずに、口に出すことでその人を認めることに繋がります。他人の承認欲求を満たすことで、また自分も承認欲求を満たされるのです。  学校や職場に行くと自分のことをよく理解してくれるOOさんがいる。すごく嬉しい、すごく楽しい。普段の学校・職場での何気ない雑談、あるいはお昼休みの楽しい会話のなかで、わたしたちは知らず知らずのうちに自らの自己重要感を満たされているのです。  今は自分のことで頭がいっぱいかも知れません。でも、他人に関心を持つことで「共に」という感覚を持ってもらいたいのです。「苦しんでいるのは自分だけではない」…そういう感覚です。「ともに」ということを大事にしてほしいと思います。

回答No.3

>でも、実際はとても神経質でこだわりが強く、繊細です。 こだわりを捨てることす。 まだ、未熟な、これから勉強し、修行するべき立場でありながら、「こだわり」なんて10年早いです。 自分が何もできないうちから「こだわり」を持ち、結局、なにもモノにすることが出来ずに底辺の人生を送る人が居ますので、そのようにならない様、いますぐに「こだわり」を捨てることが肝心です。

  • hikaricom
  • ベストアンサー率25% (195/772)
回答No.2

こんにちは。 私はカウンセラーをしております者です。 まず、紙面が限られますので簡略して申しましますと、あなたは、今非常に危うい選択をなさっていられるということです。 まず、私のカウンセリングの立場としましては、薬を出すようなメンタルクリニック及び精神科に掛かってはいけないという鉄則があることを申し上げておきますね。 いかなる精神薬も、対人恐怖だのうつ病などを治すようには作られてはいないということをご理解下さい。 対人恐怖だの、うつ病などは病気ではなく、人間関係などに関わるストレスから起こるのです。 宜しければ、下記の記事などを参考にして下さい。 http://s.ameblo.jp/hikaru88008?frm_id=v.jpameblo あなたに必要なのは、薬や心については素人同然の精神科医などに自分の将来を預けることではありません。あなたに必要なのは、人と楽に対することの出来るコミュニケーション能力を具体的な方法でトレーニングすることです。 あなたは人にストレス、恐れを抱かせる原因となった高圧的、または否定的な人物との付き合い、関わりがあったか、または、あなたご自身の過失や喪失といった体験が起因しているのかもしれません。しかし、人と付き合うのが怖いとか、苦手だというのが果たして病気でしょうか? もう少し冷静に考えてみて下さい。 しかも、精神薬というのは、あなたの対人に対して一番必要なコミュニケーション能力、直面能力を抑制し、生活適応能力までをも奪ってしまうのです。しかも、自傷行為などの副作用があることを知っておいて下さい。つまり死にたくなるのです。詳しくは、先の記事をお読み下さい。 薬を止めて下さい。 散歩を毎日おこないましょう。 外にある事物を見ながら、実際にあるものへの認知を重ねて行う習慣をつけましょう。 栄養ある食事、できれば美味しいと思う食事を摂るようにして下さい。 ここでは、なかなか質疑応答は出来ませんが、私から言えることは、精神科医などと関わったら命が危ないということだけです。 自殺者の7~8割、またはそれ以上の方が精神科医、及びなんらかの精神薬の服用者だという事実を認識しておきましょう。 対人恐怖などというものは、適切なトレーニングをすれば簡単に治りますよ。 どうか自分を大事にしてあげてくださいね。 死にたくなったら、あ、薬のせいだと思って間違いありません。

  • kamikami30
  • ベストアンサー率24% (812/3335)
回答No.1

楽に生きる方法としては、単純なものなら誰かに寄生した人生を送ることですかね。 私ならそれはつまらないと思いますが、楽だろうとは思います。 対人恐怖症についてはよく知りませんし、理解もないです。 ただ、何らかの恐怖があるならそれは知らないことから来る恐怖ではないかと思います。 私の思考パターンの例ですが、何らかの事について問題を感じた場合には、物理的に起こりうる全てのパターンを考えます。 その中からそれぞれのパターンに対する対策を準備しています。 中には準備しても良い結果が見出だせないパターンもありますが、今の自分に考えられないことは、そのパターンが起きたとしても対処出来ないと思っています。 その場で臨機応変な対応が出来ればラッキーです。 望まないケースももちろんありますが、それについてはすぐにどうなるものでもないので、ある意味諦めてます。 長期的に見て改善する方法は考えますけどね。 あなたの例なら、人が怖いと言うことですが、具体的に何が怖いのでしょうか? 私の思考パターンで考えると、 1.自分を殺そうとしてくる。 2.自分に危害を加えてくる。 3.自分の周りに1,2を行う。 4.自分の悪口などを他人に言いふらす。 嫌なことはこれくらいですね。 1.はもちろん怖いですが、相手の装備や腕力の程度によっては勝てるかもしれません。 私は走ることには自信がないので、逃げることを選択肢には入れていません。 2.なら暴力的なものだとしても、そうそう負けないと思います。 暴力で返すか法的手段に出るかは危険度により変えると思いますが、多分大丈夫ですかね。 3.これ、一番困るやつです。 でも、相手のせいですからもしそうなら相手を排除したり復讐したりとなりますね。 4.他人の意見を鵜呑みにするアホは嫌いなので、問題ありません。 こっそり制裁します。 あなたが対処できないのはどれですか? どうすれば対処出来るようになると思いますか? 問題はこうやって考えて解決するものだと思います。

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