※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「北へ帰る」・・・あなたのイメージは?)
「北へ帰る」・・・あなたのイメージは?
皆様こんばんは。お世話になります。lin(_ _)imo
本日も、我々むさくるしぃオッサンどもの宴が、“いつもの集会所”で開催され、先ほど、無事終了と相成りました。(笑)
今回の宴には、スペシャル・ゲストがいらっしゃいました。
ここ一年ぐらいはシフト(仕事の当番日)が異なり、あまり休日に一緒に飲みに行く機会がありませんでしたが、先方が無事65歳の定年を迎え、退職手続きの段に到りましたので、ささやかながら送別会を開催した次第です。(笑)
思えば6年前、“リーマン・ショック”でそれまで勤めていた会社が倒産し、その1年後に、この会社にお世話になって、右も左もわからない小生に仕事のイロハを教えてくださいました。
今年の初めに、小生ごときを“業務指導員(主任)”及び“労働組合の役職”の立場に強力に推挙してくれたのも、この人でした。
ことあるごとに目をかけてくださいました。大変恩義深いかたです。
で・・・
この大変恩義深い先輩を送り出すに当たって、さて、何を唄おうか?・・・
ちなみに、このかたは青森県のご出身です。
まさか、「津軽海峡冬景色」なんぞ唄うわけにも行かないし、さりとて発想が貧困な当方の個人的なイメージでは、「北に帰る曲」と言えば「なんとも、もの悲しいイメージの曲」しか想い浮かびませんで、選曲には苦労しましたが(?)、とりあえず方面は違うものの「北国の春」「北酒場」を居合わせたメンバーで合唱し、事なきを得ました。(苦笑+汗;)
そうしたら、ご本人が、その昔のテレビドラマ「寺内貫太郎一家II」で徳久広司さんが歌われた「北へ帰ろう」
https://www.youtube.com/watch?v=tuKe0pR99UU
http://www.fukuchan.ac/music/j-sengo2/kitaekaerou.html
をはじめ、「津軽海峡冬景色」なんぞを熱唱するオマケつき(爆!)
やれやれ、当方の取り越し苦労も、ここに極まれり・・・(苦笑+汗;)
「北へ帰る」・・・
演歌では、言葉にならないほど重苦しい世界が描写されることが多いようです。
一方、「帰る事を唄った曲」には、「北」以外の方角は、あまり唄われていないようにも想いますが・・・どうしてでしょう?・・・
「北の地」は「最果ての地」とも表されることも多々ありますが、なぜ「東」や「西」「南」ではないのでしょう?・・・
その辺り、何かお感じになるところがお有りでしたら、この酔いどれにもお教え下されば幸いです。(笑)
ベスト・アンサーは質問者の独断と偏見により決定させていただきます。悪しからずご了承下さい。
おことわり...
長ければいぃってわけでもありませんが、簡潔すぎる文面のご回答は冷やかしと判断し、併せてお断り申し上げます。
本人の都合により、9月4日(金)より、順次お礼させていただきますが、遅筆により、お礼を書くペースが極端に遅くなりますことを予めご了承いただければ幸いです。
また、なにぶん、質問者自身の持つ語彙の貧困さに伴い、誠に拙く、他の会員様のように、小説を読むがごとく心洗われるお礼はできませんし、またお礼とも、自己主張とも付かぬ駄文に終始しますこと、内容如何によっては、お礼を簡潔にさせていただく場合もありますこと等、併せてご容赦願います。
また、お礼書きをしている間は、そちらを優先させていただいておりますので、お気に入りの会員様のご質問に参加しかねる場合も多々ありますので、併せてご了承いただければ幸いです。
質問へのお礼や回答で、相対した会員様ご本人の退会後にGoogle等の検索にヒットしないように、会員様名を表記することは控えておりますが、当方宛への書き込みについて、親しみを込めて会員名を明記していただくことになんら抵抗はありませんし、それは、それで大変ありがたく想いますが、表記は英小文字のみでお願いします。また、当方の使う顔文字(lin(_ _)imo)のコピペはおやめ下さいますようお願い申し上げます。
この質問文のような書き方、及び当方の存在自体がお気に召さない会員様に、敢えてご回答に要するお手間を取っていただかなくとも結構です。
長々となり、大変申し訳ありません。
それでは、宜しくお願い致します。lin(_ _)imo
お礼
ご回答をいただき有り難うございました。 お礼が遅くなり、大変申し訳ありませんでした。lin(_ _)imo これが5番目のお礼になりますが、お礼を書き始めて、「北」はそれ自体、「寒い」「暗い」「貧しい」「原始的」というところからきているイメージが付きまとうが、それとは別に、要は日本人が好きなパターン化という現象である、とのご意見は、実はこの質問に寄せられた各ご回答の根底にあるものではなかろうか、と、今では思うところであります。 後のご回答にもある、あの名曲でさえ、結局は「刷り込まれたイメージによるもの」ではなかろうか、とさえ、思うものです。 多かれ少なかれ、皆さん、そう思ってらっしゃるのではなかろうか・・・ ご記述の石川啄木しかり、また、いっときの”集団就職の情景”は、夢を求める若者を都会に集める格好の宣伝材料だった・・・ 稲作の文化に見る歴史の変遷・・・ おっしゃるとおり、歴史的に見れば、日本の先進文化は稲作とともに南から進行・北上し、東北方面は長らく縄文文化が残ったおかげで、森林開発が圧倒的に遅れ、後進的で貧しかったと見る事実は外せないところでしょう。 縄文人、さらにアイヌ系の民族文化がずっと中央の政権との融和を拒んでいたことも遅れの原因かも、とのお説は興味深く拝見しました。 たしかに、江戸が日本の中心となる遥か以前に京都・奈良を都と呼んだ時代、「都落ち」と言えば「東くだり」のことでした。 歴史的な考察を踏まえてのご回答に改めて納得です。(笑) 有り難うございました。厚くお礼申し上げます。lin(_ _)imo 2015/09/04(金)14:56
補足
ご回答をいただいた皆様、本当に有り難うございました。 この場をお借りして、改めて、厚くお礼申し上げます。 今回の質問のネタは、あの場所での件の先輩のつぶやきに拠るものです。 「なして、ぎたさけぇる唄ぁ、みなぐらいんだぁ~?」 皆様、それぞれの想いを語っていただき、大変参考になりましたが、個人的に、こちらのご回答に、日本人ならでは意識の底流があるように感じましたので、ベストアンサーを進呈します。 皆様、本当に有り難うございました。 また、お礼とも自己主張ともつかぬ駄文に終始し、大変見苦しいお礼コメントしか発することができず、ご不快感を与えたかも知れません。併せて心よりお詫び致します。 大変申し訳ありませんでした。 また、お教えを請うときには、宜しくお願い致します。 有り難うございました。(笑)lin(_ _)imo 2015/09/08(火)10:05