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「北へ帰る」・・・あなたのイメージは?
- 北へ帰るという曲のイメージを考察しました。
- 北へ帰るという曲は、演歌では言葉にならないほど重苦しい世界が描写されることが多いです。
- なぜ「北」の方角が唄われることが多いのか、考えました。
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>、「帰る事を唄った曲」には、「北」以外の方角は、あまり唄われていないようにも想いますが・・・どうしてでしょう?・・・ もちろん北というイメージが東北的な寒い、暗い、貧しい、原始的というところからきているというものもあるのでしょうが、要は日本人が好きなパターン化という現象なのでしょう。そう切り捨てたら実もふたもないのですが、これは東京が中心になって以来の現象、というよりも、東京以西はむしろ古くから栄えていて、東京を巨大化させた原資というか人間はほとんどが石川啄木などをはじめとした東北から上野駅へ来た膨大な出稼ぎ人員だったということがあるのでしょうね。江戸時代はまだそういった現象はなかったとおもいます。 京都が中心だった頃は、東京自体が辺鄙な場所で、「東くだり」といわれたのはご存知の通りです。 >「北の地」は「最果ての地」とも表されることも多々ありますが、なぜ「東」や「西」「南」ではないのでしょう?・・・ 上記しましたが、歴史的には日本の先進文化が稲作とともに南から進行してきたということで、東北は長く縄文文化が残り、森の開発が遅れ後進的で貧しかったということは大きいと思います。縄文人、もっというとアイヌ系の民族文化がずっと中央の政権との融和を拒んでいたことも遅れの原因かもです。 縄文文化の後裔を名乗る多くの作家(井上ひさしが代表的で酢)や美術家思想家は、日本の文化にそれらのこだわり、鬱屈した精神が多大な貢献をしたといっています。「北帰行」や青葉城恋歌なんかの多くの歌もその所産かもしれません。
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- smi2270
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こんんばんわーー☆ 私のイメージですが 北海道・東北は「東京」沖縄・九州は「大阪」で一筋の線引きがあるように感じます。ミュージシャンなどは何処でも東京に集中しますけど・・・ 大阪や広島・福岡出身のミュージシャンは けっこう「東京」を題材にしてますよ。 大阪を題材にするのは やしきたかじんさん ドリカムですねーー。 「北」これは 雪が積もり 日本海の冬の荒波のイメージがあるんでしょうね。 「南」は カーニバルのイメージなんじゃないでしょうか 「西・東」これは境界線が難しいのでしょうね。
お礼
こんにちは。(笑)早々のご回答をいただき、有り難うございました。 お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。lin(_ _)imo 線引き・・・ふむ、なるほど・・・ 北海道・東北は「東京」、沖縄・九州は「大阪」で一筋の線引きがあるようにお感じになられる、との事ですが、これは、「出発地」を「東京」「大阪」にすると、「帰る方面」は「東京なら北海道・東北」「大阪なら九州・沖縄」となる、と、いった捕らえ方でよろしいでしょうか? もし、違うようであれば、お手数ですが、また、ご登壇願えれば幸いです。 たしかに、地方から見た憧れの都会のイメージでしょうか? それぞれ、東日本、西日本を代表する大都会でもありましょうし、夢破れて後にする地のイメージも膨らみます。 ただ、恥ずかしながら、「大阪」を旅立ち故郷に帰ることを歌った曲は、個人的に勉強不足でして、あまり思い浮かびません。 他のご回答にもありますが、「南」に明るいイメージが付きまとうのは否定できませんね。カーニバルのイメージとは、なかなか着想が豊かでいらっしゃる。おっしゃるとおりですね。(笑) 「西・東」は境界線が難しい・・・ 個人的にはイメージすることすら難しく感じます。(苦笑+汗;) 拙い問いかけにお手間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした。 この程度のお礼とも呼べぬ駄文終始しましたことをお詫びします。 早々の、深夜のご来訪に厚くお礼申し上げます。 有り難うございました。(笑) lin(_ _)imo 2015/09/04(金)10:28
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お礼
ご回答をいただき有り難うございました。 お礼が遅くなり、大変申し訳ありませんでした。lin(_ _)imo これが5番目のお礼になりますが、お礼を書き始めて、「北」はそれ自体、「寒い」「暗い」「貧しい」「原始的」というところからきているイメージが付きまとうが、それとは別に、要は日本人が好きなパターン化という現象である、とのご意見は、実はこの質問に寄せられた各ご回答の根底にあるものではなかろうか、と、今では思うところであります。 後のご回答にもある、あの名曲でさえ、結局は「刷り込まれたイメージによるもの」ではなかろうか、とさえ、思うものです。 多かれ少なかれ、皆さん、そう思ってらっしゃるのではなかろうか・・・ ご記述の石川啄木しかり、また、いっときの”集団就職の情景”は、夢を求める若者を都会に集める格好の宣伝材料だった・・・ 稲作の文化に見る歴史の変遷・・・ おっしゃるとおり、歴史的に見れば、日本の先進文化は稲作とともに南から進行・北上し、東北方面は長らく縄文文化が残ったおかげで、森林開発が圧倒的に遅れ、後進的で貧しかったと見る事実は外せないところでしょう。 縄文人、さらにアイヌ系の民族文化がずっと中央の政権との融和を拒んでいたことも遅れの原因かも、とのお説は興味深く拝見しました。 たしかに、江戸が日本の中心となる遥か以前に京都・奈良を都と呼んだ時代、「都落ち」と言えば「東くだり」のことでした。 歴史的な考察を踏まえてのご回答に改めて納得です。(笑) 有り難うございました。厚くお礼申し上げます。lin(_ _)imo 2015/09/04(金)14:56
補足
ご回答をいただいた皆様、本当に有り難うございました。 この場をお借りして、改めて、厚くお礼申し上げます。 今回の質問のネタは、あの場所での件の先輩のつぶやきに拠るものです。 「なして、ぎたさけぇる唄ぁ、みなぐらいんだぁ~?」 皆様、それぞれの想いを語っていただき、大変参考になりましたが、個人的に、こちらのご回答に、日本人ならでは意識の底流があるように感じましたので、ベストアンサーを進呈します。 皆様、本当に有り難うございました。 また、お礼とも自己主張ともつかぬ駄文に終始し、大変見苦しいお礼コメントしか発することができず、ご不快感を与えたかも知れません。併せて心よりお詫び致します。 大変申し訳ありませんでした。 また、お教えを請うときには、宜しくお願い致します。 有り難うございました。(笑)lin(_ _)imo 2015/09/08(火)10:05