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北海道網走市について

 北海道網走市の網走神社は北海道では珍しく宗像三女神を主祭神としています。  他に大分県の宇佐八幡宮から分霊された八幡神社もあるようです。  また、この土地にある能取岬という岬は、一部の古い地図には野浦岬と記述されています。確か西日本の朝鮮交易の歴史の中にも野浦という言葉を見かけた記憶があります。  宗像三女神といえば、主に北九州地方を基盤とする海人集団の信仰する海の神です。朝鮮半島や中国大陸との交流が盛んになった四世紀頃に神威が高まった。  なぜ北海道の知床半島の付け根に、宗像三女神が祀られているのでしょうか? 東日本ではここだけです。

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  • kagakusuki
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回答No.4

 回答No.3です。  済みません、前回の回答に貼り付けたURLの1つに間違いがありましたので貼り直しておきます。 【参考URL】  北海道神社庁 > 【Enter】 > 北海道の神社Data-Base > 網走支部 > 網走神社   http://www.hokkaidojinjacho.jp/data/10/10001.html >根室にもあるのですね。 >函館あたりなら、まだ歴史が古いのでわかるのですが。  前回の回答に貼ったURLの中にある根室の市杵島神社の事ですね。  そのURLのページには高田屋嘉兵衛という人物が漁業の大漁祈願のために社を建立したのが始まりだと書かれておりますが、この高田屋嘉兵衛もまた、前回の回答で触れた藤野四郎兵衛と同様に海運業を営んでいた人物ですので、漁場鎮護を願う動機や、祭神に宗像三女神の1柱を選んだ経緯もまた藤野四郎兵衛と同様であった可能性が高いと思われます。  因みに、天保14年(1843)に火事で焼失した根室の市杵島神社の社を、元治2年(1865)に私費を投じて再建したという藤野喜兵衛とは、前回触れた藤野家が経営していた海運業者の本店店主が代々襲名していた名前であり、根室の市杵島神社が木意見された時期から考えますと、6代目の藤野喜兵衛の事だと思われます。  この6代目藤野喜兵衛は、前回の回答で触れた松前に渡って海運交易業を始めた6代目藤野四郎兵衛(この四郎兵衛の名も代々襲名され続けていた名前の様で、「藤野家の6代目」ではなく「藤野四郎兵衛の名を襲名した者の6代目」という意味の様です)から数えて7代目の藤野家当主になります。(血縁者ではなく、元は支配人であった宮部与作という人物が襲名したものの様です)  根室場所は藤野家にとって最も重要な経営基盤だったそうですから、それだけ大事にされたのでしょう。  尚、函館は元々、四六時中波が穏やかであり船を繋ぐ必要もないため、「網知らずの港」とも言われていた程の良港でしたから、神に頼らずとも安全に航行できたのかも知れません。 【参考URL】  高田屋嘉兵衛 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E5%B1%8B%E5%98%89%E5%85%B5%E8%A1%9B  藤野喜兵衛 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E9%87%8E%E5%96%9C%E5%85%B5%E8%A1%9B  函館港 - Wikipedia > 5.1 開港以前   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BD%E9%A4%A8%E6%B8%AF#.E9.96.8B.E6.B8.AF.E4.BB.A5.E5.89.8D

noname#210299
質問者

お礼

終戦後の大連抑留などの話も出てきているようですので、そのあたりの絡みなのかと思ってましたが、時代が少し違いますね。なるほど。 (*´ー`*)

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.3

 インターネットで少しばかり検索しただけですが、それなりに理由が推測出来る情報が得られました。  まず、網走神社の由来を調べたところ、文化9年(1812年)に近江出身の藤野四郎兵衛という人が漁場鎮護のために網走川の河口付近に小堂を建て、弁財天を祀ったのが始まりというとの様です。  弁財天は宗像三女神の1柱である市杵島姫神と同一視される事が多く、そして質問者様も御存じの通り、宗像三女神は海の神であり、また海上交通の平安を守護する玄界灘の神、要として、大和朝廷によって古くから重視された神々重視されて来ましたから、漁場鎮護が目的なのであれば弁財天が祀られたのは妥当な所だと考えられます。  その後、明治41年になって現在の所在地に造営された新社殿に移転された際に、正式に厳島神社から分霊を奉迎したそうです。  東日本にも漁業が盛んな場所が他にもありますが、最初に弁財天を祀る祠を建てた藤野四郎兵衛の名前をキーワードにして検索してみました処、次の様な情報がヒットしました。  藤野家は近江商人の出身で、六代目四郎兵衛の代に、当時の蝦夷地(北海道)を支配していた松前藩の御膝元である松前に渡って海運交易業を営む様になっていたという事です。  そして文化3年(1806)に上下ヨイチ場所の請負人となったのを始めとして、宗谷・斜里場所、国後場所、利尻・礼文場所、根室場所等々の各地の請負人となっていたそうです。  その当時の蝦夷地での主な産物はニシンや昆布を始めとする海産物でしたから、海運業を主な生業としていた藤野家にとって、漁業の発展は重要事だったのではないかと想像致します。  実際、藤野家は明治維新後も根室、国後、網走、標津、小樽などに漁場を持っていたという話です。  そして海運業者であれば海の神・航海の神として古くから重視されて来た宗像三女神の1柱の化身である弁財天を信仰していたとしても何の不思議もなく、その女神を航海の神としての側面ではなく、海の神としての面から漁場鎮護の神として祀ったのではないかと想像できます。  尚、「網走川河口に祠を建てた藤野四郎兵衛」と「海運業者の藤野四郎兵衛」が同一人物であるかどうかは確認出来ませんでしたが、どちらも同時代の人物である事、北海道という僻地に訪れていた事がある人物である事、当時は姓を持つ人間は少数派であったにもかかわらず同姓同名である事、等から考えて、おそらく同一人物と考えた方が良いのではないかと思います。 【参考URL】  北海道神社庁 > 【Enter】 > 北海道の神社Data-Base > 網走支部 > 網走神社   http://www.hokkaidojinjacho.jp/top.html  網走神社 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B2%E8%B5%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE  厳島神社 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE  宗像三女神 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E4%B8%89%E5%A5%B3%E7%A5%9E  日本神話・神社まとめ > 神・天皇・人物 > 宗像三女神   http://nihonsinwa.com/page/122.html  北海道のホームページ > 本庁各部・局・行政委員会 > 総務部 > 法務・法人局 法制文書課のトップページ > 北海道立文書館のホームページへ > 資料検索 > 私文書階層表示 > 藤野家文書  http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/mnj/d/guide/b/h/fujinoke.htm >東日本ではここだけです。  他にもある様です。 【参考URL】  埼玉県の神社 > 県内の神社を探す > 宗像神社   http://www.saitama-jinjacho.or.jp/shrine/9044/  延喜式神社の調査 > 延喜式神名帳 > 下野国 > 都賀郡/胸形神社   http://www.geocities.jp/engisiki/shimotuke/bun/smt270103-02.html  延喜式神社の調査 > 延喜式神名帳 > 下野国 > 寒川郡/胸形神社   http://www.geocities.jp/engisiki/shimotuke/bun/smt270502-01.html  延喜式神社の調査 > 延喜式神名帳 > 下野国 > 寒川郡/網戸神社   http://www.geocities.jp/engisiki/shimotuke/bun/smt270502-02.html  宗像神社 (白井市) - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%99%BD%E4%BA%95%E5%B8%82)  善知鳥神社 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%84%E7%9F%A5%E9%B3%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE  隠津島神社 (郡山市湖南町福良) - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E6%B4%A5%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E9%83%A1%E5%B1%B1%E5%B8%82%E6%B9%96%E5%8D%97%E7%94%BA%E7%A6%8F%E8%89%AF)  隠津島神社 (二本松市) - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E6%B4%A5%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%BA%8C%E6%9C%AC%E6%9D%BE%E5%B8%82)  江島神社 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE  日光二荒山神社 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%85%89%E4%BA%8C%E8%8D%92%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE  岩木山神社 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%9C%A8%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE  銭洗弁財天宇賀福神社 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%AD%E6%B4%97%E5%BC%81%E8%B2%A1%E5%A4%A9%E5%AE%87%E8%B3%80%E7%A6%8F%E7%A5%9E%E7%A4%BE  市杵嶋神社 (杉並区) - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E6%9D%B5%E5%B6%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%9D%89%E4%B8%A6%E5%8C%BA)  北海道神社庁 > 【Enter】 > 北海道の神社Data-Base > 根室支部 > 市杵島神社   http://www.hokkaidojinjacho.jp/data/16/16002.html

noname#210299
質問者

お礼

根室にもあるのですね。 φ(..) 函館あたりなら、まだ歴史が古いのでわかるのですが。

  • cooci
  • ベストアンサー率29% (1394/4779)
回答No.1

青森県や福島県、神奈川県にもあるようですが。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E4%B8%89%E5%A5%B3%E7%A5%9E

noname#210299
質問者

お礼

そうです。ただ、北海道では、ここだけなのです。 (*´ー`*)

noname#210299
質問者

補足

野浦はどこだったでしょうか? 朝鮮交易の要所だったと書かれていた覚えがあります。