確かに、ご質問者様のように、子どもが一生「生まれて来なければ良かった」と思いながら生きていくのだとしたら、その親はそんな子どもを作った責任を感じるべきだと思います。
親に責任はない、自分自身の責任だという方もいらっしゃいますが、生まれ持った性質は親譲りのことが多いですし、親が与えた環境、親の教育によって子どもの性格や考えが決まる部分も多々あります。
もちろん親以外の人、先生や友人などの影響で性格や考えが変わることもありますし、子ども自身の努力で性格や考えを変えていくことも可能ですが、その努力ができる性格かどうかも、生まれ持った性質や親の教育に影響される部分もあります。
ですから、もしも子どもが常に「生まれて来なければ良かった」と感じているのなら、親はそんな子どもを産み、育てた責任を感じるべきだと思います。
そして、子どもがそのように感じなくてすむように、努力すべきだと思います。
しかし、子作りは罪なことだとは私は思いません。
子どもを幸せにする自信と責任をもって、子どもを作り、子どもが「生まれてきてよかった」と感じられるように育てるのなら、子作りは決して罪ではないと思います。
ご質問者様のように、常に「生まれて来なければ良かった」と思っているような人はごくわずかです。
世の中の大多数の人は、「生まれてきて良かった」「産んでくれてありがとう」と思って過ごしています。そのことは理解できますよね?
私もその一人です。
ご質問者様はどうしてそんなに生きているのが辛いのでしょうか?
いつか死ぬからですか?
死ぬのってそんなに特別なことでしょうか?
私は死んでいるのが普通で、生きているのが奇跡なのではないかと思っています。
皆昨日死んでいても、一昨日死んでいてもおかしくなかったのに、今生きている。
確かに明日死ぬかもしれないし、1時間後に死ぬかもしれないけれど、今この瞬間までは生きてこられた。奇跡的で素晴らしいことだと思います。
私はまだ若者と言われる年齢ですが、たぶん人より多く死について考えてきました。
その結果、いつか死ぬからこそ、今生きているこの瞬間がすごく貴重で、幸せだと気づきました。
大好きな家族や友人がいて、笑い合って過ごせる。
楽しい仕事をして、やりがいがある時間を過ごせる。
大好きな趣味、おいしい食事、キレイな景色、心地良い風、何もかもがすごく幸せです。
もちろんこの幸せがいつか終わってしまうこと、すごく怖いし悲しいです。
でも、いつか終わってしまうからこそ、そのことを嘆くのではなく、今のうちに幸せをたくさん感じて過ごしたいと思っています。
怖がっていても、楽しんでいても、同じ時間が過ぎていきますし、人は幸せを感じるために生きているのだと思うので。
そして、いつか死んでしまっても、またいつか生まれてこれたらと思います。
いつか死んでしまうときは、苦しいのかもしれません。
しかし、それでも、それまでにたくさんの幸せを感じられていたら、決して「生まれてこなければよかった」とまでは感じないと思います。
死んだ人に聞いたことはないのでわかりませんが、きっと多くの人は死ぬときに苦しいからといって、生まれてこなければよかったとまでは思わないと思います。
質問者様は子作りは罪だと感じているようですが、では、反対に、私のように生きる幸せを感じられる子どもを作らないことは罪ではないのでしょうか?
子どもを作れば、その子どもはたくさんの幸せを感じるかもしれない、空の上では早く生まれてきたいと望んでいる子どもがいるかもしれない、なのにそんな子どもを作らないのは罪ではないのでしょうか?
まぁ子どもを作る、作らないは、個人の自由なので、ご質問者様がどうしても作りたくないなら作らなくてもいいとは思いますが、一つの考え方として書かせていただきました。
ご質問者様がどうしてそのような考え方に至ってしまったのか、特にどのようなご両親のもとで育って来られたのか、ぜひ知りたいものです。
そして、心療内科などにかかり、ご質問者様の苦しみが少しでも楽になることを祈っています。
補足
親が快楽のために、セックスさえしなければ。 私だけではないですよ。例えば、 反出生主義で、ネット検索してみてください。 どれだけの人が、死の恐怖で、生老病死で、苦しんでいるか。