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EU問題での投資失敗と自己責任の原則
- EU問題での投資失敗と自己責任の原則について解説します。
- なぜドイツがギリシャを救済する必要があるのか、投資は自己責任の原則が無視される報道が続く理由を考察します。
- ギリシャのデフォルトが他へ波及しても、それは市場の自己責任としてギリシャはおろかドイツも救済しなくても良いはずです。
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これが小金でしている株式投資なら「自己責任」で片付けられるかもしれませんが、今回問題なのは、ギリシャの国債が債務不履行になることが問題なのです。7月14日200億円、20日35億ユーロ、8月20日32億ユーロと続きます。 分かり易く言うと、日本国債がデフォルトになればどうでしょうか。国債とは国の借金ですが、通常は、一番安心できるものとされています。そのため低金利でも機関投資家、個人投資家は買います。これが、債務不履行となるということは、社会の根幹が崩れます。自己責任といっている場合ではありません。 ただし、日本に限って言えば、国内の投資家が買っています。ギリシャの場合、EU(ECB=欧州中央銀行)が買っており、1国のデフォルトは相手国にも波及します。
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- 中京区 桑原町(@l4330)
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救済も投資の一つでしょ 過去の投資を毀損させないために新たな投資をしてきたのです 今回は、EUとして失敗を認めて責任をとる覚悟が出来たと思いますね だから、5日の住民投票まで支援の議論を中止したでしょ 住民投票でNOとなれば、支援は終了します 住民投票でYESとなれば、チプラスが退陣するでしょうから、支援の協議をする相手がいなくなる つまり、支援は中断する 「ドイツを救済」・・・意味が理解できませんが... リーマンショックの時は負債総額も債権者が誰かも判らなかったので世界は混乱しましたが、ギリシャは負債総額が判ってます、誰が債権者かも判ってます しかも、リーマンの負債は60兆円もありました、43兆円のギリシャは制御可能と考えてるでしょう
お礼
ありかうとございました。
補足
投資(お金を貸し出す)を行うとき、絶対に意識しておかなくてはならないことがあります。 それは「投資は自己責任である」ということです。投資は自らの判断によって行い、利益がでた場合は自らの利益、損失が出た場合は自らの責任となるのが原則です。 いくら世間で優良と格付けされた国であっても、優良と格付けされた企業であっても、それは投資家が自己の責任において投資行為を行うものです。投資とは1円の損失であっても誰もその損失を補償してはくれないのが経済の常識です。 繰返しになりますが、投資は自己責任です。 安易な投資をして失敗したからといってそれを誰かに押し付けることは経済の倫理を犯す行為であり、それは闇金業者が行う行為です。 また投資は自己責任の原則が守られないと「失敗したら公的資金投入で、また助けてくれる」という金融業者のモラルハザードが起こります。安易な貸付が増えることは、サブプライム危機や日本のバブル経済、あるいはEUの経済危機の首謀者を正当化することに他なりません。 「投資は自己責任」この経済の基本原則が守られないことは経済成長の阻害要因ともなりますので、この原則を中央銀行が順守することはとても重要です。また同じくこの原則がマスコミを通して世間に知らされているということも民主主義社会にとってとても重要なことです。
お礼
ありがとうございました。
補足
投資(お金を貸し出す)を行うとき、絶対に意識しておかなくてはならないことがあります。 それは「投資は自己責任である」ということです。投資は自らの判断によって行い、利益がでた場合は自らの利益、損失が出た場合は自らの責任となるのが原則です。 いくら世間で優良と格付けされた国であっても、優良と格付けされた企業であっても、それは投資家が自己の責任において投資行為を行うものです。投資とは1円の損失であっても誰もその損失を補償してはくれないのが経済の常識です。 繰返しになりますが、投資は自己責任です。 安易な投資をして失敗したからといってそれを誰かに押し付けることは経済の倫理を犯す行為であり、それは闇金業者が行う行為です。 また投資は自己責任の原則が守られないと「失敗したら公的資金投入で、また助けてくれる」という金融業者のモラルハザードが起こります。安易な貸付が増えることは、サブプライム危機や日本のバブル経済、あるいはEUの経済危機の首謀者を正当化することに他なりません。 「投資は自己責任」この経済の基本原則が守られないことは経済成長の阻害要因ともなりますので、この原則を中央銀行が順守することはとても重要です。また同じくこの原則がマスコミを通して世間に知らされているということも民主主義社会にとってとても重要なことです。