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自宅の食事中にスマホをしてはいけない理由

自宅の食事中にスマホをしてはいけない理由って何かあるのでしょうか? 我が家では、禁止する理由が見当たらないので子供には禁止していません ただ、出先ではそれを見て不愉快に思う人が今のところは少なくないので、不必要に他人の不愉快にさせないために禁止しています 私が子供の頃(昭和四十年代前半)では、食事中にテレビを見ることを禁止されましたが、今時テレビの禁止ってかなり少ないですよね たぶん、禁止する側の世代に存在しなかったモノが単に明確な理由もなく禁止されている気がします 私の子供時代にはもちろんスマホなんて存在しませんでしたが、それを理由に禁止する気にもなれないです

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  • jx4076
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回答No.42

スマホをしても良いかもしれませんが、程度でしょうね。 食事の場は、社会に出ても重要な場がありますが、そこで気にもせずスマホをするような感覚になったいたら、相手は不愉快でしょうし非常識とみられます。 よほど、重要な内容でないとスマホも携帯電話も場によっては嫌われますね。 家だから良いとかではなく礼節を自然に覚えさせた方が良いと思います。 現代も場所によっては食事中にスマホをしていると、非常識でだらしなく見えませんか。 世代がどうということではなく社会的なモラル、礼儀を知っていただいた方が良いと思います。 食事のときは自分だけの世界に入るのではなく、家族との共通する憩の場、団らんと言う場つくりもしつけではないでしょうか。 スマホも昔のテレビの出始めの頃とは、一緒にはできないでしょう。 昔はテレビを見るときにどうしてみれば良いのか、その頃は周囲もかしこまって見ていたような気がします。 昔は何にでも規律礼儀はかしこまって、静かに、行儀よくと言う感じでしたね。 現代でも特に仕事社会ではそのような事が重要視される部分は多くありますが、家庭生活の中でしつけされていないと、非常識も常識も判断つかないという人がいて年齢を重ねたり、社会に出てから苦労している様ですから、そのあたりを教えて行けばいかがでしょう。

galaxy5954
質問者

お礼

スマホ利用を不愉快に思う人が同席する場では控えるように躾ています 子供もそれを実行しています ご回答ありがとうございました

その他の回答 (41)

回答No.21

躾の問題 外ではダメて家では良い。 それでいいと思ってる時点で恥ずかしい。 分かります? 食事を両手でしてても画面を観ながらの食事は見てる方は汚い画にしか映りません。 もう少し躾に関して学ばれた方がいいですよ。 まぁ、これにも反論するんでしょうが。

noname#217538
noname#217538
回答No.20

食卓を囲むときに、互いの会話を続かせる練習こそ初歩的なコミュニケーション能力を育てる絶好の機会と思うので、逆に画面に見入るのはもったいない気がします。今日起こった出来事やたわいのない話、時に社会の様子や事件など、身近な話題から公的な話題を時に深刻に、まじめに、時にユーモラスに持っていくことを学ばせるチャンスです。 画面に見入るのは情報を得るには良いでしょう。しかし実社会で、そして人前で、面白おかしく聞く人たちに合わせて会話を選べるでしょうか。話し上手になれますか。 もっともそれがご家庭の教育ならそれで良いでしょう。ただ、その料理について、どこで食材を購入したかというつまらなそうな話題すら、多くの処世術が隠されています。物の値段から始まって作ってくれた人への感謝やねぎらいの言葉までを子供たちに日常的に教える機会、他にあるでしょうか。そして食卓を囲むということは分け与えるということです。一種の仲間なんですね。 我が家は今になっても食事中は互いの顔を見てその日の話題をしています。職場で何があったか、大学で何があったか、私はもっぱらの聞き役ですがこの雰囲気に意味を感じます。いつもと様子が違うのがすばやく読み取れますので問題を逃しにくいです。家族が互いの顔を見合っておいしく食べる、そこに幸せの記憶が得られたら親としてうれしいです。温かい食事と温かい会話、励ましが習慣になってほしいと思ってきました。画面の情報からでは読み取れない情の部分の信号を脳に送るのも悪くないですよ。特に精神的に安定させる鍵、話させる事、聞き出す事など家族にしかできない貴重な助け合う時間のような気がします。禁止するとかの問題ではなく、多くを学ばせる機会としてもったいない印象を受けました。

回答No.19

用意された料理を同席するメンバー全員で楽しみましょうというのが、人間の食事です。 ただ腹を満たすだけの動物の食事とはわけが違います。 ひとりで食事をする場合であれば、心をくだくべき同席者がいないのですから、スマホでも読書でも好きなことをしながら楽しく食べればいいと思いますが、その場合でも外食などであれば、別の席の周囲の人々に不快な思いをさせないよう、くちゃくちゃ音を立てないなど、配慮はしなければなりません。 マナーというのは、基本的に周囲の人々に対して、不快な思いをさせず気持ちよく関わろうとする意思だと思います。 家庭であれば、テレビを観ようが音楽が流れていようが、家族とムダ話でもしながら和やかに食事をして、互いに相手を無視していませんよという意思表示ができていればいいのではないでしょうか? なので、スマホでも新聞でも雑誌でも、同席者に対して「あなたに心を向ける意思はない」というメッセージになるものはとても無礼です。

  • ootemon
  • ベストアンサー率13% (558/4273)
回答No.18

別に家の中ならかまわないですよ。 TPOを考えてやるならしてはいけないことはないです。 しいて言うなら近視になるかもしれない、ぐらいですかね。

  • 96183327
  • ベストアンサー率17% (95/536)
回答No.17

はじめまして。 食事中にスマホを見てはいけない理由が見当たらないとは、今どきの母親ですね。 他人に不愉快な思いをさせるから外では禁止? 食事のマナーを教える意味は見出せませんか? スマホでも雑誌でも新聞でも、食事中であるなら、片手で食べているんですよね。 肘をついてお茶碗も持たず、お箸を動かして食べている光景が目に浮かびますけどね? 直接の迷惑はかけなくても、お行儀の悪い人を見るのは不愉快ですし、家で出来ていない人が外でなど無理です。 日常で身についていませんから。 どこかのおじさんのような振る舞いを、今どきの若い女性で見かけますが、育ちが悪く、親にしつけられていないんだなと、ゆくゆくは本人が笑われるだけですけど、理由としては無理ですかね? 外では禁止にしているから大丈夫と思うのでしょうが、食事のマナーや挨拶などは、家庭でのしつけの原点だと思いますけどね?

  • tkycpt
  • ベストアンサー率7% (69/901)
回答No.16

一緒に食事する相手>スマホという構図になってしまうからでしょう。 相手に失礼な印象を与えてしまいます。 どうしても仕事などでスマホをチェックしないといけないときは相手に一言断ってから触るというのがいいと思います。

noname#208282
noname#208282
回答No.15

料理作ってくれた人に失礼だからです。 暖かいうちに食べてほしいと思うでしょ。 それにスマホしながらだと味わいにくい。 スマホしながら食べられるのはおいしく温度や味を調節してくれた人への冒涜です。 明確な理由がありますし、私は20代でバリバリスマホ世代です。 古株のつまらん価値観ではないと思います。 レストランでも料理が来れば、一旦スマホを中断しますよ。 もっとも作ってるご本人がスマホ使っていいと言うならいいんじゃないですか。 ですが、ほかの人が作ってくれた時にはスマホを使わないよう教育する必要があります。

回答No.14

うちの台所にはTVなんぞありません。必要ありませんから。 だってファミレスでも、レストランでも食事のテーブルにTVなんてありますか? 場末のお店やスポーツバーならいざ知らず、ほとんどの飲食店でTV見ながら飯を食うとこなんて ないでしょう? それをTV見ながら飯を食うような環境がガキの事から身についていたら、外に出したら落ち着かない 相手が居るのに、居たたまれなくなってゲームしたりスマホみたいする人間になるでしょ? せいぜいラジオやCD程度ならカフェだろうがBGMくらいは流れてますからいいですが メシそっちのけで、TV見入るような不道徳なガキには育てたくないし、私もそれが当然と感じて 親に教えてもらったので、テーブルからTVは見えないところに設置してます。 本当に貴方は明確な理由も無く禁止されてると思ってます? 別に人を殺す以外の他人様にどう迷惑掛けようがすべての行動に禁止なんてありませんよ。 ただ、ろくでもない行動は、その先自分が手に入れられる利益や人脈や提供を逃すだけです。 それ相応の資金やそれに取って代わる能力があれば、机に靴で足を上げて スマホ見ながら、クチャクチャ音を立て、手づかみで食い散らかしていても、マイマナーであって なんらとがめる必要もありません。

回答No.13

基本的な社会常識、礼儀、マナーの問題なので、そういうものが不必要ということであれば禁止する理由はないでしょうね

  • kngyk
  • ベストアンサー率6% (72/1055)
回答No.12

実家は私が子供の時からテレビを見ながらというのは禁止されていましたし、今でも携帯を食事中に見ると注意されます。 理由は一緒に食事している人をないがしろにしているということです。 食事というのはコミュニケーションも含めてのものという感覚なので、別に意識しなければいけなくなるようなことをしてはいけないというような意図だと思います。