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(シベリア抑留)収容されていた収容所の調べ方
どなたかお願いします。 祖父がシベリアに抑留され、帰還の途中(船中かは不明)で、亡くなりました。 (遺骨も、戻ってきていないと思います) そのためか、死亡者名簿などでも、祖父の名前を見つけることはできておりません。 祖父が収容されていた収容所が、シベリアのどこにあるのか、調べようはあるのでしょうか。 (わかれば、訪ねていきたいと思っております) よろしくお願いいたします。
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- hamazo2004
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- SPS700
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- hamazo2004
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回答No.2
お礼
詳細なご回答をありがとうございました。 >先月の四月はじめの『読売新聞』の受け売りですが、成蹊大学の名誉教授、富田 武氏に伺ってみるのも一案だと思います。 探してみます。 >出所も、旧日本軍の兵士、軍属、看護婦、など軍関係のほかに一般市民もあり、お祖父様のご職業、所属されていたしていた部隊などが重要な手がかりになると思います。 祖父は満州鉄道に勤めており(軍人ではなかったようです。満州鉄道での職種は不明です)、ハルビンで働いていたようです(母がハルビン生まれです)。 舟(どのくらいの大きさかも不明です)を所有していたそうで、その頃は裕福だったそうです。 恥ずかしながら私は、母の兄弟の存命中に祖父の抑留について話を聞き出す努力をしてきませんでしたので、それ以外の情報はありません。 >北朝鮮の興南にあった「第53送還収容所」から、ナホトカの「第380送還収容所」へ、などの番号からも察せられるように今分かっているのは氷山の一角だと思います。 多くの方が、大変な思いをされたのだと、改めて想像させられます。 収容の後に帰還が叶った方も、収容され帰還が叶わなかった方も、それを待っていた家族の方にも、本当に気の毒な時代だと感じます。 ごく近い身内に抑留された人(祖父)がいながら、これまでずっと、抑留され帰還が叶わなかった方々がどんなに苦しんで亡くなっていったのかということに、少しも思いを馳せることをしてこなかった自分を情けなく感じます。 少しでも祖父の供養になればと思い、これから祖父の軌跡を追いたいと思います。 ありがとうございました。