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弁財船あるいは千石船について
多分北前船などはこれらの船に該当するのだろうと捉えています。 これを運航する場合 帆で風を受け、舵で方向をとるだけだったのでしょうか? 例えば司馬遼太郎の「菜の花の沖」では 高田屋嘉兵衛が次々に船を作り、 航路を開拓してゆくようすが描かれていますが 操船に関しては、波風などが荒いときなどに沖走りなどの言葉が散見するばかり。 多くの水夫が交代で櫓を漕ぐなどではないような気がしますが 実際のところどんなふうだったのでしょうか? また乗船する場合とか 艀へ乗り移るときなど本船から降ろされる 縄ばしごを利用するのでしょうか? その場合、女性が乗降するのはかなり困難ではなかったかと…。 自分で調べた範囲では知り得なかったこのふたつのことに関して 和船に詳しい方がおいででしたら 是非お教え下さい。 よろしくお願い申し上げます。
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>帆で風を受け、舵で方向をとるだけだったのでしょうか? ハイ。そうです。 これはスペインやポルトガルが使っていた洋式帆船でもかわりません。 洋式帆船と和船の違いは帆の数が違うだけで操船の基本はかわりません。 >多くの水夫が交代で櫓を漕ぐなどではないような気がしますが 櫓を装備していたのは後に安宅船などと呼ばれる軍船だけです。 戦国時代に信長が作らせた軍船の復元図が下記のサイトにあります 織田信長の軍船(鉄船)復元 – 藤井戦国史 www.sengokushi.com/sengokushi/?p=1182 商船である北前船などは櫓は装備していませんでした。 下記のサイトに図と詳細な説明があります 菱垣廻船と樽廻船 www.geocities.jp/shimizuke1955/371bezai1.html >また乗船する場合とか艀へ乗り移るときなど本船から降ろされる縄ばしごを利用するのでしょうか? ハイ。そうです 縄梯子といいましても横木がついて下端を下にいる船に固定すれば左程上り下りは難しくはありません。 上記サイトの図を見て頂ければわかりますが左程舷側は高くはありませんでした。 舷側の高い洋式帆船のほうが上り下りは難しかったでしょう。 >その場合、女性が乗降するのはかなり困難ではなかったかと…。 原則的に女性は乗せませんでした。 船や海の神様が女性神であるというところからきた迷信によるものです。 屈強な若者が背中におぶえば乗下船は可能ですが、ともあれ女性にも袴がありましたから、よほどの緊急事態でも無い限りは袴を着用していたかと思います。 江戸時代には馬を乗りこなす女性もいましたから、左程気にされることはありません。 袴を着用していたとは言え源平時代の平家軍の男性陣は大変だったでしょう。 壇ノ浦でが海に落ちた女性の長い髪と十二単にに熊手を絡めて引き揚げました。 蛇足 洋式帆船の帆は機能としては膨らんだ形が飛行機の翼のような原理で推力を得ていました。このために横風も上手く利用できました 和船は帆が後ろから風を受けることで推力を確保するのが原則でしたので、横風はあまり上手くつかわれませんでした。 ただ船体に比較して帆が大きいことからまともに後ろから風を受ければ重い洋式帆船よりも高速でした。 最速記録は大阪江戸間を58時間(二日半)で帆走しました。 洋式帆船は帆の数が多いために操船に多くの人間が必要でしたが、和船は一人でも可能でした。 帆の上げ下げも一本のロープをひくだけですから2~3名で充分でした。 航路の短い国内航路ではおそろしく輸送効率のよい運搬手段でした。 こんなこともあり人手のかかる櫓は装備していませんでした。
お礼
ichikawaseiji さま とっても分かりやすく かつ明確、親切な解説と 必要なURLまで貼って頂き、大いに助かりました。 すぐに教えて下さったページ検索してみて 自分では探しきれなかった解説だったことに 自身への苦笑を禁じ得ず、ですけど お陰さまで、ご親切な方に巡り会えて良かった!!と。 女性に関してのご回答も さもありなんと思いつつ、それなりの納得も致しました。 本当に素早い回答をありがとうござます。