- ベストアンサー
弁財船あるいは千石船について
多分北前船などはこれらの船に該当するのだろうと捉えています。 これを運航する場合 帆で風を受け、舵で方向をとるだけだったのでしょうか? 例えば司馬遼太郎の「菜の花の沖」では 高田屋嘉兵衛が次々に船を作り、 航路を開拓してゆくようすが描かれていますが 操船に関しては、波風などが荒いときなどに沖走りなどの言葉が散見するばかり。 多くの水夫が交代で櫓を漕ぐなどではないような気がしますが 実際のところどんなふうだったのでしょうか? また乗船する場合とか 艀へ乗り移るときなど本船から降ろされる 縄ばしごを利用するのでしょうか? その場合、女性が乗降するのはかなり困難ではなかったかと…。 自分で調べた範囲では知り得なかったこのふたつのことに関して 和船に詳しい方がおいででしたら 是非お教え下さい。 よろしくお願い申し上げます。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
noname#224207
回答No.1
お礼
ichikawaseiji さま とっても分かりやすく かつ明確、親切な解説と 必要なURLまで貼って頂き、大いに助かりました。 すぐに教えて下さったページ検索してみて 自分では探しきれなかった解説だったことに 自身への苦笑を禁じ得ず、ですけど お陰さまで、ご親切な方に巡り会えて良かった!!と。 女性に関してのご回答も さもありなんと思いつつ、それなりの納得も致しました。 本当に素早い回答をありがとうござます。