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桂米朝師匠について

桂米朝師匠がお亡くなりになりました。みなさんの、師匠に関する思い出をお聞かせください。 <なお、この質問については、思い出に上下はないと考えますので、BAは決めませ ん。>

みんなの回答

  • phobos
  • ベストアンサー率49% (515/1032)
回答No.3

私が米朝師匠の高座に生で触れたのは後にも先にも一度だけで、 1975年に神戸で開かれた第14回日本SF大会で、 演し物は「地獄八景亡者戯」でした。 会場ホールの1000名近い観衆を1時間にわたって 文字通り熱狂・大爆笑させた師匠の芸のすばらしかったこと! 落語という芸は観客と息が合って一体になった時に醸し出される ナマの「場」の芸なんですね。 今でも忘れられないくすぐりの一つは「日本沈没」ネタです。 (この数年前に空前のベストセラーになったSF小説「日本沈没」作者の小松左 京と米朝師匠の親交厚いことはSFファンには知られていましたし、この高座の 後で小松左京氏との対談もありました) 主人公が地獄見物をして先住者からあれこれ教えてもらう場面で、 ○「……新しい団地が仰山おまんな。でも、ようみるとみな空き家でんな。」 △「そうでんねん。なんでも、日本が沈没する、言うんで突貫工事で建てたんや そうな。」(観客爆笑) △「それがウソやと判ったやろ。閻魔はん、えろう怒ってはったで。『こんなデ マ飛ばした奴が地獄に来たら、どんな目にあわしてやろうかァ!』言うて」(観 客大爆笑の渦) クライマックスで人呑鬼が 空えずき、くしゃみ、腹痛、高笑い、おならを同時にする場面も、 実に力強く迫力がある見事な芸でした。 (米朝全集DVDに収録されている同演目では、さすがに60歳代の高座とあっ てこの大ネタ終盤では疲れがうかがえるのはやむを得ないところです) まことに惜しい方でした。謹んで冥福をお祈りいたします。

skyhigh555
質問者

お礼

1975年の「地獄八景」ですか!僕が聞いたのはTV放送された時ですから、かなり後です。いい噺をお聞きになりましたね(^~^)

  • hide6444
  • ベストアンサー率21% (912/4223)
回答No.2

私が祖母に連れられて神戸の新開地で米朝師匠の落語を聞いたのはもう44年前です。 私が小学1年生の時ですが、祖母が米朝師匠の落語をラジオで聞いていて私も 凄く子供ながらに興味を持っていました。初めて聴いた米朝師匠の落語は、 落ち着きと静寂から始まり最後は笑いの渦の中に居るような気分にさせて 貰ったことを今でも覚えています。その後大阪で初めて自分でお金を払って 寄席に行きまして、米朝師匠の落語を聞かせていただきました。 呪文に掛けられたように米朝師匠の言葉遊びに満足させていただき自分でも 落語の奥深さに感銘を受けた一人でした。 6代目松鶴師匠のお酒に纏わる落語も天下一品でしたが、米朝師匠の大阪落語は 関西人にとっては心の拠り所だったと思います。 心からご冥福をお祈りするとともに、これからも大阪落語が発展することを 願っています

skyhigh555
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。色んなことが頭に浮かんできますが、どうも「お礼コメント」にふさわしい、まとまって簡潔な文章にはなりません。本当に大きな存在でした。

  • okwavehide
  • ベストアンサー率12% (202/1650)
回答No.1

よき時代の終焉を感じます。

skyhigh555
質問者

お礼

ありがとうございます。あらゆる意味で、上方落語の一時代が終わったことを感じます。

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