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自我を捨てろ。雪だるまになれ >ご感想ください!
18 自我を捨てろ。雪だるまになれ 最近、自我が強くなっていないか? 雪だるまは、吹雪の中でも身動きひとつとれない。 春が来れば、いやおうなしに溶かされてしまう。 そんな雪だるまが、文句を言ったことあるか、 ・・(略)・・ 自我を捨て、じっとたたずんでいるだろ。 だから、光り輝いているんだよ。 時には自我を捨て、雪だるまになることも大切なんだ。 by M (18 日めくりカレンダー) ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主コメント : 日本の生活のなかに だるまさん、親しんで呼ぶことが多い、 雪が降れば、だるま を作った思い出は多くある。 だるまの由来は だるま大師、禅宗の開祖とされている高僧である。 祝いのとき目を入れる だるま 座禅をしている姿であるようだ。 雪だるまは、大師の 雪の中での座禅の姿か! 雪のように 真っ白な、無垢の心と どんな色にも染まる大きなこころ、 溶けて無になり 地に染み込む。 >ご感想下さい。 、
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意地汚いKSB48に言ってやりたい ま、理解出来ないだろうけど…
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- dell_OK
- ベストアンサー率13% (766/5722)
自我の意味がわからなくなる内容です。 雪だるまに自我があるとは思えないし、ゆへに捨てているわけではないと思う。 口がデザインされているがそもそもしゃべることもできないから文句など言えるはずもない。 自我は捨てられるものではないし、雪だるまになることはまったく大切ではないと思う。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- oya_zico
- ベストアンサー率19% (397/2006)
>時には自我を捨て、雪だるまになることも大切なんだ。 『時には』が、結構重要なワードなんだと思う。 自我って簡単に言うと自己主張のことですよね? タカトシのタカが「俺が俺が俺が!」というギャグを時々やってますが、 芸人とかスポーツ選手みたいに競争の激しい厳しい世界では、ある程度自我を出さないと(自分に自信を持って前に出て行かないと)生き残れないような気がします。 また、そういった世界には、気の強い自我のかたまりのような人間ばかりが居るような気がします。 しかし、毎回「俺が俺が俺が!」と自己主張をし過ぎると、他人の良いところを学べない、時には素直に人の言うことを聞きなさい!という意味だと思います。 そういえば(読んだことが無いので間違っているかもしれませんが、) テニスの王子様というマンガで『無我の境地』という必殺技?みたいな状態に入ると、対戦相手の必殺技が使い放題になり、いわゆる無敵状態になるそうです。 自分を捨てて、相手の良いところを吸収することも必要なのかもしれません。 そうそう、実際のテニスでも『ゾーン』と呼ばれる状態に入ると無敵になるみたいですが、自我とゾーンの関係は不明です。 でも、雪だるまって… 吹雪の中でも、溶かされても、文句を言うな? どんな理不尽な目にあっても文句を言わず耐えろと言っているような気がしてきました。 スパルタ練習に対し、不平を言うな!ともとれますよね。 なんだか別の意味に思えてきました。 う~ん。わからないゾ~ン。。。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- kakuway
- ベストアンサー率16% (51/303)
雪だるま。 それは誰かが作ったもの。 そして光り輝くのは光源があるからであり 雪だるま自身が光っているのではない。 そんな他力本願でなにができる。 何も出来やしないよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。
生き物じゃないものをたとえに出されても納得できるかよ。 じゃあ、それを言った人は「鉄は熱いうちにうて」の鉄に感情移入するのか? 火に焼かれて、鉄にぶったたかれる気あるのか? と感じました。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- manmanmann
- ベストアンサー率12% (535/4296)
自我は悪いことばかりじゃないとおもいます。 だってそれが人間だもの。
お礼
ご回答ありがとうございます。
雪だるまには楽しい思い出が多いですからね。 そんな思い出の象徴になるのなら、なってもいいかな。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
自我を捨てるのではなく、自我=利己の発現過程に利他を 介在させる事です。 我々の身の回りの衣食住全て、世界中からやって来ており、 個人の生は、世界中の人々の順調な営為に依存していると 言え、もはや人類は一個の社会生命なのです。 元々は単細胞生物だったのが、様々な器官に分化して分業化 する事で我々は生きているが、その中で「脳は命令を出して いるから偉い」とか「足の裏の細胞は虐げられている」とか 言う事に意味があるだろうか? 個体全体としての最大限の機能発揮のために、バランスの 良い配分をする事で、全ての細胞が(真の意味=長期的に) 最大限の享受が可能となるのです。 そうした社会生命的自覚(=愛)において、自律的に社会 行動をとる時(助け合いとしての労働)、その成果は全体 のものゆえ全ての人に共有され、生きる目的である「精神的 充足量の、人生を通算した最大化」につながるのです。 男はつらいよの主題歌にも「ドブに落ちても根のある奴は、 いつかは蜂巣(ハス)の花と咲く」とあるように、泥=強い 自我にまみれても、根=深い意識を持って流されずに生きれば、 泥水の中からでも純粋な花をつける事ができるのです。 https://www.youtube.com/watch?v=qjd-4rrX1K8#t=103
お礼
ご回答ありがとうございます。
- ま ま(@mimomon)
- ベストアンサー率8% (257/3044)
煩悩ばかりで黒くそまったこころを、白くもどせ!といわれているみたいですね。 最近煩悩まみれで、いやになることが多くて、整理をしたくて、部屋の断捨離をはじめました。 煩悩まみれで買ったものが減っていくとちょっとすっきりします。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- ootemon
- ベストアンサー率13% (558/4273)
まるで遊びや趣味を制限してがんばってる受験生や就活生の姿を思い浮かべました。 終われば遊べる、終われば開放される、だからそれまで精一杯耐えてがんばれ、 といっているようです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 受験生を持つ親として、同感します。
お礼
ご回答ありがとうございます。