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訳のわからない現代(前衛)音楽について
クラシックのコンサートによく行きます。演目の中に 訳のわからない現代(前衛)音楽が入っていることがありますよね。 「なんでこんな曲を作るんだろうな…」といつも思います。 作曲者の立場なら、自分の作った曲が (1)聴衆の多くに愛される (2)録音したCDがたくさん売れる (3)コンサートの演奏曲目に数多く取り上げられる というのが良いに決まってませんか? もし、自分が作曲者だったら3項目とも望みますね! さて、作曲者もバカではないでしょうから当然「訳のわからない音楽」では 愛されない、売れない、取り上げられない…というのは分かっているはずです。 じゃあ、どうしてそんな曲をわざわざ作るのでしょうか? こういう類の曲を聴く度に「いい加減やめてくれよ!」と 思ってしまいます。 究極な例を挙げると、ジョン・ケージのあの有名な「4分33秒」 ふざけている!!!としか思えません。 「わぁ~!今日の4分33秒とっても感動したわ~!また聴きたいよね…」 こんな会話をする人がいるでしょうか? さて、私の弟は演奏家のハシクレです。この話をしたところ、苦笑して、 「芸術というのは“独自性”が求められるんだよね。だから、たとえば ロマン派のような曲を作っても、ブラームス風とかラフマニノフ風、 みたいに○○風にしかならないんだよ…」 と説明してくれました。それなら… 今の前衛音楽こそ全部が全部「訳がわからない」という流行に埋没 してしまい、“独自性”なんか全くないんじゃないの?? リスト弾きで有名なフランス・クリダさんが以前TV番組の取材に 「現代の作曲家ももうちょっとマシな曲を作ってくれれば良いのにね…」 と応えていたのを思い出します。 私のようなド素人が言うのならともかく、著名なピアニストでさえ こう思うのですから…。 参考文献↓ http://d.hatena.ne.jp/araiken/20131225/1387950115 前衛音楽を作る意味をわかりやすく解説して頂ける方、よろしくお願いいたします。
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- merciusako
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No.2 merciusakoです。 お礼ありがとうございます。 「鑑賞者を目的とはしていない」ということについてですが、「最初から鑑賞者を意識して作ってはいない」という意味です。 もちろん発表の場は必要ですが、鑑賞者が理解できるかどうかは関係なく、自分の精神世界の具体的な表現ということです。 演奏することによって、何らかのメッセージが鑑賞者に伝えられるわけですが、作曲者の意図通りが伝わることもあるでしょうし、まったく異なったメッセージとして伝わることもあるでしょうし、作曲者の意図の一部しか伝わらないこともあるでしょう。 それが結果として評価になるのですから、最初から評価を気にしてであれば迎合に他なりません。 芸術家の創作の魂はそのようなところにはないということです。
- merciusako
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絵画に抽象絵画というものがあります。 目に見える物をそのまま写し取るのではなくて、自分の感情や思いを表現する、あるいは色や形そのものに意味を持たせて表現するのですね。 例えば、目の前の風景の場合、その風景を構成する要素をできるだけ簡潔な要素にしてしまうと、単純な色であったり、形であったりの組み合わせになります。 こうなると、風景には見えなくなっていきますが、そのような捉え方をする、そのような表現ができる、ということが評価の対象になるのです。 また、ある感情を表現するのに絵の具をぶちまけただけというものもあります。 当時としては斬新な表現手法として評価されたのですね。 同様に、音楽の世界でも、様々な要素を作曲家の解釈に従って再構成したり、新しい表現手法だったりすれば、抽象的な「現代音楽」ということになりますね。 絵を描くことも曲を作ることも、その人自身の表現です。 その人の考えや感情に従って表現します。 その人にとって、あることを表現しようとしたときに、思い通りになったのかどうか、これが第一義の目的であって、鑑賞者を目的とはしていません。 まあ、表現者の意図がどれだけ伝えられたのかが評価ですが、その評価が定まるのはずっと後になってからです。 鑑賞者の側も様々でしょうから、つまらない、楽しくない、二度と聞きたくない、といった感想は当然あるはずです。 抽象絵画と同様に一般ウケはしないでしょう。 「こういう音楽世界もあるのか」で聴いておけば良いと思いますよ。
- SPROCKETER
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PC9801を使っていた頃の話ですが、BASICで効果音を順番に演奏するだけの簡単なプログラムを実行しただけでも、前衛音楽のような演奏曲になっていて笑えました。 前衛音楽っていうのは、クラシック音楽が人間の脳に与える影響が詳しく解明されている現代音楽の行き詰まりに対するアンチテーゼなんでしょうね。 音楽を芸術と考えずに、脳への影響だけを考えればわかりますが、一つの曲を演奏し終わると、脈拍が上がり、気分が高揚し、倒れる人まで出る曲もあります。脳への影響だけで論ずるのであれば、音楽としての形を成していなくても、同じ効果を脳に与えられれば、結果は同じではないかとも見れます。 ベートーベンやモーツアルトではなくても、意味がわからない演奏が続いた後で、同じように脈拍が上がり、気分が高揚し、感動を覚えれば、理解出来ないものでも同じだと考えることが出来るはずです。 ホワイトノイズのようなザーという音だけの演奏なのに、妙に感動を覚えるシンセサイザー音楽もありますし、歌詞がデタラメなのに、妙に訴えかける内容に聞こえる歌もあります。 人間の脳の印象操作だけを考えるのであれば、前衛音楽は一つのジャンルだろうと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >鑑賞者を目的とはしていません。 ↑これはおかしくないですか?鑑賞者のいるコンサート会場で披露するわけですから。 鑑賞者を目的としなければ、作曲者個人がオーケストラを雇って原っぱででも 演奏会(?)を開けばよいわけですからね。 作曲者個人の自己満足を目的としているならばコンサートで取り上げる必要性は 全くありませんよね。