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忘れえぬ昭和の雑誌とあなたの思い出
- 昭和時代の雑誌は、テレビやラジオだけでなく、情報を得る主要なメディアでした。
- 様々なジャンルの雑誌があり、それぞれが人々の興味や個性を表現していました。
- 私の思い出の一つは、東京オリンピックの開催年に創刊された「平凡パンチ」で、そのエッセイやグラビアに興奮しました。
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お礼を有難うございます。 中原淳一記念館は 前 河口湖に在ったのですが いつの間にか広尾に移ってショップになってしまいましたね。 車で広尾近辺をドライブしていて見つけました。 絵とセータ- 食器等を買って 絵は飾ってあります。 後 最近亡くなった 内藤ルネという人の記念館も河口湖にありましたが・・・ 雑誌の話ですが、少女雑誌で一番古いのは 少女クラブ でしょうか。少女ブックというのもありました。 その他 主婦の友 主婦と生活(この雑誌には投稿もしました。) 懐かしくなっていろいろ思い出してきますが、この辺で・・・・
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- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
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回答:「少女椿」は、いかがでしょう。マイナー過ぎてご存知ないかも。 http://ja.wikipedia.org/wiki/少女椿 ーーー余談: 実は、この作品は「アニメーション化」されております。非常に高いクオリティのセルアニメで、内容な音楽、演出など、まさに昭和初期の雰囲気が強く、こうした演出法は現代の若いアニメクリエーターには不可能な「非常に丁寧なモノ」です。 残念ながら、日本国内での当アニメの販売は「検閲で不可」となっておりますが、ネット時代にて「ムービーファイルの入手は可能で、個人的視聴は禁止ではありません」ので、「Shoujo Tsubaki」という名で検索可能です。 この「Shoujo Tsubaki」は、国際的なアニメフェスティバルでは、高く評価されているようです。なにせ、日本独特の、ほんの40~50年前(まさに昭和)には、珍しくなかった「ハンディキャップを持つ人々の、辛く切なげな【見世物小屋】でのストーリー」と、日本の検閲にかかった【日本のタブー】=【見世物小屋という娯楽の存在した事実・イジメを扱った内容】を扱った作品で、《原作者のマンガ家が深く関与している点》も、特筆すべき点です。とにかく、ヒロインのミドリは、妙に可愛らしく、全体に奇怪に思えるかと言えば、逆に、【リアルな生活や、どこかトボケたキャラクター達に、滑稽で面白い印象を与えます。ミドリちゃんは可愛いですよー】。/(もし紹介して欲しい場合はツイッター系で小生にアクセスして頂ければ・・・) ーーー余談:以上。
お礼
すみません。昭和の時代をこういうマイナスの切り口で捉えるのは趣味ではありません。 エロは大好きでSMもいといませんがグロは嫌です。ヒューマニズムに反するものも 納豆は大好物ですがウンコは嫌いです。 ハンディキャップの人、は私の子供時代に周りにいました。 子供が残酷にもからかうとき私は木刀を持って追いかけてそいつの頭めがてて 木刀を振りおろしました。 ガツンという鈍いおとがして 木刀はブロック塀を叩いていました。樫の木刀はおれずに 私の手がいつまでもしびれていました。 昭和30過ぎても手足のない傷痍軍人が道端で物乞いをしていた時代です。 その後もサリドマイド薬禍などいたましできごとはいろいろありました。 だから自分の子が生まれてくるとき、自分にはそういう禍がこないように真剣に祈りました。 そんな酷い漫画を描く人は子供の親にはなってほしくない。 家庭を持つ普通の幸福を僻んでそういうものをあえて白日のもとにさらけだし 芸術と勘違いするのでしょうか。 回答ありがとうございました。この手の話はもうご遠慮ください。
補足
さて、みなさまの思い出に残る昭和の雑誌を挙げていただき たいへんなつかしくかつ自分の知らない雑誌の数々も教えていただき まことにありがとうございました。 平凡パンチについては3さつほどの書籍を読みました。 そして出てくる雑誌の編集者や当時のADや作家の本をアマゾンで 注文しました。ありがたいことに古書だとタダみたいな値段でした。 そして松岡正剛の千夜千冊。長倉節の話とか、昭和という酒蔵から 様々な古酒が取り出された趣がありました。 みなさまお世話になりました。あらためて楽しい時間をすごさせて いただいたことの御礼申し上げます。
- Ae610
- ベストアンサー率25% (385/1500)
---最も印象に残っている雑誌--- 趣味系の雑誌だと・・、 ● 鉄道ピクトリアル、鉄道ファン ● へら鮒 ● BIG BIKE Cruisin' ● 星の手帖(確か当時は季刊誌だったような!?) ・・・辺りかなぁ!?(1冊に決められないのでご容赦!) 当時の当方にとっては「鉄道ピクトリアル」は、一寸難解、「鉄道ファン」は車輛の解説記事が好きだった・・! 「へら鮒」は、紀州の竿師さんたちの紹介記事とかがあって良かった・・! 「BIG BIKE Cruisin'」は、当時、中々合格出来なかった自動二輪限定解除審査で落ちて帰ってくる度に、この雑誌を見て合格した後どのバイクにしようかなどと想いを馳せ乍ら次こそはと頑張るトリガーとして利用した・・! 「星の手帖」は、「天文ガイド」よりも内容が近づき易い印象だったので・・! 「天文ガイド」も時々は買ってたと思う・・! ・・・こんなところ!
お礼
> 鉄道ピクトリアル、鉄道ファン 鉄道ピクトリアルが老舗なんですね。私は鉄道マガジンとかレールウェイなんたらしか知らなかったです。 会社にも最近鉄ちゃんがいることがわかって、驚くと同時に違う一面を知って親しみがわくのは、鉄道という趣味の 健全さゆえのことでしょうか。 小学生の頃、家が駅裏で工場に燃料で運ぶ石炭が広場に山積みしてあり、貨物の引き込み線があってワムだとかホキだとか 謎の言葉が描かれた貨車に乗って遊んでました。 もう、鬼籍にはいられましたがひと回り上の大学の先輩が、Nゲージというのでしょうか鉄道模型が趣味だと聞いて 元は山岳部で華族の末裔というその先輩のイメージがかなり親しみやすいものにかわりました。 一つ違いの私の元部下のAさんは、創刊号から鉄道マガジンをもっていてやたら鉄道計画とかにも詳しかったですが 彼は「乗り鉄」なのだそうです。 >へら鮒 あ、あああ~つ。これはもうにわか勉強ではついていけません。釣りの極致。 へら鮒釣りは、貴族の趣味ですよ。 釣りといえば、若い頃から夫婦仲が悪かった私は、息子と二人でよく街の釣り堀にいって、釣りやってました。 息子はなぜかこつをつかんでよく大きな鯉をつってました。私はたまに金魚がつれるだけ。 その後、離婚して40代半ば、ネットの釣り堀で「大きな恋」をつろうとしましたが、外道というべき人妻ばかり 釣ってました。素養がないのでしょう。 > BIG BIKE Cruisin' 私の生まれは静岡県のヤマハ発動機の本社のある町でした。 父の従弟はバイク屋で、父は車の免許はなくてもバイク免許だけは持っていて、古いバイクの後ろに私たち兄弟を のせて、遠州灘の海岸に連れていってくれました。 親父は黙々とリールをつけた棹を遠くになげていましたが それはまるで映画のシーンのようで 親父が何かを釣った記憶はありません。 仕事でninjyaという名のバイクを展示してるK重工にいったことがあります。会社の人がみな 内燃機関が大好きな人ばかりに見えました。 >星の手帖 誌名からしてロマンチックですね。美術手帳もそうですが「手帳」とつく雑誌は戦後まもなくの創刊とおもいきや こちらは70年代の創刊なんですね。ええ、季刊誌というのも風格があります。鉄道誌がきかんしというのなら 理屈があいますけど http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/70/a051625714bf0f5b11f86c7242453a36.jpg これいいですね。季刊天文誌ってかっこいいです。 現代宇宙論とか・・・そうそう。おそらく70年代後半私はブルーバックスで量子力学とか読んで そのまえにホーキング博士が量子宇宙論でブラックホールがどうのこうのという説を唱えて驚きました。 >当時の当方にとっては「鉄道ピクトリアル」は、一寸難解、「鉄道ファン」は車輛の解説記事が好きだった・・! やはり各誌特色があったのですね。 >「へら鮒」は、紀州の竿師さんたちの紹介記事とかがあって良かった・・! ほら、めちゃくちゃマニアックな世界。凡人の近寄りがたい領域。 音楽雑誌でもサックスのリードの竹を削る職人の話はでてこないです。 >「BIG BIKE Cruisin'」は、当時、中々合格出来なかった自動二輪限定解除審査で落ちて帰ってくる度に、この雑誌を見て 合格した後どのバイクにしようかなどと想いを馳せ乍ら次こそはと頑張るトリガーとして利用した・・! >「一発試験」)。しかし、その合格者数は概ね全受験者の1%であったため司法試験より難しいと揶揄されるほど極めて難関 とwikiに書いてかいてありますよ。でもハーレーだとかスケールが違いますよね。私は乗れませんが >「星の手帖」は、「天文ガイド」よりも内容が近づき易い印象だったので・・! 「天文ガイド」も時々は買ってたと思う・・! なんだか常人が近づけないところで多趣味でいらしたのですね。 そういえば、私の入社同期の北海道生まれが初任給でオーディオを買った次の月には天体望遠鏡 を買ってきました。 東京の夜空に何が見えるか、この男はまるで知らなかったようです。 大型バイクを買って天体望遠鏡を担いで山梨県までいけば、満天の星空のファンタジーが待って いたのでしょうが。これ以上クレジットで買うと寮費がはらえなかったのでしょうね。 豊かな趣味の世界を彷彿とさせるご回答ありがとうございました。 お礼が遅れて申し訳ありませんでした。
- sqqrcxvx
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No.19の sq です。 アグネス・ラム の活躍した時代には sq少年ではなく、正しくは sq青年でした。 またアグネス・ラムは、パンチだけではなくプレイボーイの方にも出ていたかも知れません。 以上、訂正させて頂きます。
お礼
アグネス・ラムは調べてみると初代クラリオン・ガールだったみたいですね。 たしかに両誌に出ていたかも >sq少年ではなく、正しくは sq青年でした。 ひょっとして sqさんは私と同年代?というかアグネス・ラムと同世代ではないですか? http://hanatane-music.blogspot.jp/2013/02/blog-post_8746.html それにしても可愛い顔立ち日本人好みの表情の子。水着がちいさい! 訂正いただきありがとうございます。もういちどアグネス・ラムに会えました。
- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
- ベストアンサー率11% (26/222)
そういえば「ポパイ」の「エッチの方法」的な内容は、かなり刺激的でしたが、よくよく考えれば、あれは【ワル場に連れていくアニキがいなくなったので、彼らが懇切丁寧に『方法=インサート(と表現されていた笑!)』を、写真付きで伝授してくれていた貴重な本】でしたな~~~。 +++++ ちなみに、ワシの兄いが、当回答欄で、【1971年から10年ほど発行された、工作舎の「遊」ですね。哲学と芸術、天文学や物理学をクロスオーバーした、特異内容は、ちょっとオカルトがかってましたが、発想を広げるインスピレーションに充ちてました。】などと、言うておりますが、 実は、今でも同じようなポリシーのマンガがあるのを、【彼は知らない。それは植芝さん著の『ディスコミュニケーション』・『謎の彼女X』】です。兄いは自称「千里眼」やけん、これぐらいは知っといてよ!!(感動するぜ、あの兄貴は・・・フフフ!^^)
お礼
>そういえば「ポパイ」の「エッチの方法」的な内容は、かなり刺激的でしたが、 パンチが発行中はポパイはお洒落なライフスタイルマガジンで、下半身の記事は書かれていません。パンチでは医学博士の奈良林祥さんが性の指南のような連載を持っていましたね。 たしかにポパイでも平成にはいってから「セックス特集」の号がありました。 ただしインサートの前にやるべきことがたくさんあるということを力説していたような気がします。 悪所に兄貴分が若い衆をつれていったのは昭和31年より前。ポパイの創刊は昭和51年のこと。平成時代のシュール脱構築漫画は大変興味深いのですが、昭和の雑誌を語るのが主眼ですので割愛させていただきます。 ご回答ありがとうございました。あの兄貴さんにもよろしくお伝えください。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3892/25656)
私の雑誌歴は… ・明星>平凡(集英社) 小学校高学年か中学生だったかと思います おニャン子クラブ&少年隊一筋でした 定番の如く、切り取っては下敷きに挟んだりしていましたね 光GENJIの諸星のうざったさに嫌気が差し卒業 数年の月日が流れ、大学時代の友人にジャニーズファンだった過去をカミングアウトすると、「え~!?」とかなり驚かれました 「MTNがジャニーズってかぁ?」と ・週刊ベースボール(ベースボールマガジン社) 中学生でした 当時は西武ライオンズ黄金期 選手名鑑に自宅の住所が載っていました 個人情報などが煩くない時代 ページ巻末に「文通希望コーナー」があり、札幌・長野・埼玉の女性と文通していました 平和でしたねー 今でも秋山幸二さんは「抱かれたい男トップ3」に君臨 今季、SBの新監督の工藤さんの采配も気になりますし、何かとお騒がせのK番長も気になります ・MR.ハイファッション(文化出版局) 高校生でした フィッチェ(ドン小西さん)&ルナ・マティーノ(朝月真次郎さん)&アーストンボラージュ(佐藤孝信さん)の大ファンで、せっせとバイトをしては大枚はたいて服を買っていました 高校生の分際で生意気でしたねー(笑) その後はフィガロ&ヴォーグなど海外のハイブランドに移行 服よりも髪型重視 いざというお出かけのとき用に髪型を真似していました そのネタも尽きたので辿り着いた先は「坊主」 ご清聴ありがとうございました 今年もよろしくお願いします[おじぎ]
お礼
michiyoさん お礼がおそくなりました。すみません。 >・明星>平凡 >おニャン子クラブ&少年隊一筋でした 少年隊の東山がアーストンボラージュの白と黒しか着ないとか 筋が通っていていいですね。 >定番の如く、切り取っては下敷きに挟んだりしていましたね 私もいまでも雑誌のページを切り取ってA4クリアブックに挟んでますよw もちろんジャニーズでなく好きな女優さん。ただ目的は顔と名前が一致しない昨今の 記憶力強化ですけど。 オリンパスにでてくる可愛い女優・・・誰だっけというとき これ見れば宮崎あおいさんの写真が出てくる。永作博美、小雪さん、スカーレット・ヨハンソン、秋吉久美子さん 木村多江、北川景子、松下奈緒、角ハイボールの井川遥さん。真木ようこさん。 美形ではないけど好きなんで、水沢希子。 内緒で昔の彼女の写真も入っていたりします。負けないくらい綺麗。人妻でなければよかったんですけどね。私の「明星」(オッサン向け)です。 >・週刊ベースボール(ベースボールマガジン社) >当時は西武ライオンズ黄金期。選手名鑑に自宅の住所が載っていました 今なら過激な●■ファンが爆竹投げ込んだりとかありそうですよね。 >ページ巻末に「文通希望コーナー」があり、札幌・長野・埼玉の女性と文通していました まだメールなかった頃ですよね。 >今でも秋山幸二さんは「抱かれたい男トップ3」に君臨 >今季、SBの新監督の工藤さんの采配も気になりますし、何かとお騒がせのK番長も気になります そういえば、家の娘(3人います)がプロ野球カード集めてました。 >・MR.ハイファッション(文化出版局)高校生でした メンズクラブ、男子専科にメンズノンノとかある時代にモード系の雄がMR.ハイファッション >フィッチェ(ドン小西さん)&ルナ・マティーノ(朝月真次郎さん)&アーストンボラージュ(佐藤孝信さん)の大ファンで、せっせとバイトをしては大枚はたいて服を買っていました アーストンボラージュというところでジャニーズ(少年隊)というところに共通点ありですね。ドン小西の服は男は縁がなかったですが。 >その後はフィガロ&ヴォーグなど海外のハイブランドに移行 これは、大人の世界。 >今年もよろしくお願いします[おじぎ] こちらこそ、いつもお世話になっています。誰も回答つかないかなと悲しみに打ち震えているとき必ず回答していただいています。 今回も女性誌だとまるっきりわからないところ、バイアスをかけたご回答賜りありがとうございます。 佐藤孝信の服はマイルスデイビスが来日したとき気に入って買って帰ったという伝説の服ですよね。今はいいオッサンになっていますが。ショップは表参道にコンテナ積の形で健在。 あれは、本当に東山のような脚の長い男でないと着こなせません。 さて、末筆になりましたが、ことしもよろしくお願いいたします。(正座)[おじぎ]
- マレンヌ(@Marennes)
- ベストアンサー率50% (396/787)
NO.18です。ごめんなさい。 特に想い出ですよネ・・・つい挙げ過ぎました。一番読んだり買った雑誌?と思う所で 音楽 ・FM STATION 模型・ラジオ ・ラジオの製作>ラジオライフ オーディオ ・StereoSound>サウンド レコパル>無線と実験 服飾 ・MEN'S CLUB+BRUTUS>Esquire 自転車 ・サイクルスポーツ 自動車 ・CAR GRAPHIC>自動車工学 夢見るお花畑のおつむです(恥) 大変失礼しました m(__)m
お礼
Marennesさん。いえいえ、絞り込まれたほうがかえってわからないことがおおいので 沢山あったほうが理解しやすいですし、専門誌のばあいどの辺のグレードの雑誌だったのかもわかってありがたいです。なにしろ書店の棚の背表紙眺めるみたいで楽しいじゃないですか。 FM雑誌 ラジオ制作 オーディオ雑誌 アマチュア無線の流れ メンズクラブもさることながらBURUTUSのカラーコーディネイトの妙はすごかったですね。普通のミディアムグレーのウール梳毛のスーツに白いシャツなのにネクタイ一つでがらっと華やぐ。くすんだブルーに赤のペイズリー模様のタイなのですけど、カッコイイんです。そのページを切り取り、私はメンズショップを探しまくった記憶があります。 わざわざ補足をありがとうございました。原文とあわせてお礼申し上げます。
- sqqrcxvx
- ベストアンサー率9% (84/911)
EXさんとは、新年初の会話になります。 今年もよろしくお願いします。 >さて、雑誌の百花繚乱ともいえる昭和の時代をふりかえって、あなたにとって最も印象に残っている雑誌を教えてください。 大型書店の洋書売り場で、本家Playboy を見ることがsq少年の楽しみでした。為替レートも今と違いますし、高いし、それにレジへ本家版Playboyを持っていくことはさすがにできない。でもマセタ少年でした。カラーもモデルもアングルも、今振り返っても決して古くないですよ。 なかでもsq少年のお気に入りの構図がありまして・・・一時、妙にあのポーズが多かった気がしますが・・・ 男女モデルが裸で下半身同士を密着させ、互いに背後に反り返っている構図。二の腕同士を互いに掴んでバランスを取っている。 あれ良かったです。 その隣には、決まって本家Penthouse が置いてありました。こちらはややえげつないと言いましょうか・・・裸のモデルが空手の回し蹴りを決めているポーズ。あれは印象に残っています。こちらは表現が直截で、前者とはやや違う。カラーグラビアも色調が劣るような気がしました。 >スクリーン、キネマ旬報 さいならオジサンことヨドチョウさんは、確か映画の友の編集長を長く勤めたんでしょうか。編集長というのは間違いないのですが・・・・ 映画の友にもスクリーンにも、小森のおばちゃまがよく出て来ましたね。そのうちTVでも活躍するようになり・・・。 小森のおばちゃまといえば、戦前に婦人公論記者の時代には菊池寛の恋人。自身で公言しているから間違いないのでしょう。それに、ベルリンオリンピックの日本サッカー代表選手とも・・・その他いろいろで千人切り? sq少年が初めて小森和子の事をハッと思ったのは、おばちゃまがポール・ニューマンに絡みつくようなポーズで写真に納まっている・・・あの大スターにおくれを取る事なく馴れ馴れしいおばちゃまのインタビュー取材を眼にした時でした。 >私は、「平凡パンチ」 確かあれは、日本版プレイボーイではなくパンチだと思いますが アグネス・ラムがブームになりましたね。日本人受けのする子でした。 彼女のグラビアの説明記事の中で、スタッフがロケ地に持参した水着のサイズが小さかったが、彼女は嫌な顔をせずに身に着けたとあり、sq少年を嬉しがらせました。そう、水着は小さくなければいけませんね。 彼女28歳頃に、高校の同級生だった漁師さんと結婚した筈です。堅実で健全な選択ですね。 アグネスの次に、二匹目の何とかを狙って呼んだのが、ハワイ日系人の青木という子。名前が出てこない。キャシーだったか? アグネスと違い、こちらは小柄でぽっちゃりむっちり。sq少年の好きなタイプでした。人気が出なかったなあ・・・残念。 今年も、憂き世を暫し忘れるお話しをさせて頂ければと思っています。
お礼
sqさん。お礼が遅くなってすみません。 今年もよろしくお願いします。 >大型書店の洋書売り場で、本家Playboy を見ることがsq少年の楽しみでした。 >なかでもsq少年のお気に入りの構図がありまして・・・ >男女モデルが裸で下半身同士を密着させ、互いに背後に反り返っている構図 この文言で画像検索したら妙な画像ばかりが出てきてしまいました(^^; 別の画像と再検索。今度は「駅弁なんたら」とか「対面座位」・・ちがうちがうぞ>自分 昔は男女のヌードをオブジェのように撮るのが流行っていましたよね。週刊プレイボーイの表紙もお尻や胸や脚をコラージュしたり。生のエロを感じさせない表現がよかったです。 本家Playboy は女性モデルの背後から男が胸を抑えていたりとかするのもありますよね。 http://summary.fc2.com/api/resize_img.php?src=https%3A%2F%2Fs3-us-west-2.amazonaws.com%2Fsummaryfc2-adult%2Fimg%2Fsummary%2Fwidget%2F645130.jpeg&width=520 それでも当時同様に少年だった私は、胸をときめかせ、本屋で立ち読みしようものなら股間の膨らみをどうやって隠そうか一苦労したものです。 >あれ良かったです。 なぜか視覚に焼き付くほどの記憶ってあるんですよね。 >その隣には、決まって本家Penthouse が置いてありました。こちらはややえげつないと言いましょうか・・・ わかります。当時のPenthousでもヘアは解禁でも股間は国内の販売会社の消しが入っていたような気がします。あれがあると余計に卑猥な印象でしたね。 でもって、海外で本家Penthouse は立派なお土産になったと記憶しています。 >スクリーン、キネマ旬報 スクリーンは老舗で私たちの時代にはA4盤で表紙が大写しの女優のポートレイトでタイトルはカタカナでした。 >ヨドチョウさんは、確か映画の友の編集長を長く勤めたんでしょうか 淀川さんは慶應の文学部の受験に失敗し日大法文学部美術学科予科に通う途中で 自分が投稿していた映画雑誌「映画世界」で社員を募集していたのでそのまま採用。 二年後に親元に連れ戻され、ユナイト映画大阪支社・東京支社に勤め。日米開戦後、東宝の宣伝部を経て映画の友の編集長になったのだと書いてありました。 そのときの部下に小森和子がいたといいます。 >小森のおばちゃまといえば、戦前に婦人公論記者の時代には菊池寛の恋人。 この方は川口松太郎の恋人だった時代もありますね。「女は色気がなくなったら死んだ方がマシね」 とおっしゃるだけあってまさに >ベルリンオリンピックの日本サッカー代表選手とも・・・その他いろいろで千人切り? >あの大スターにおくれを取る事なく馴れ馴れしいおばちゃまのインタビュー取材を眼にした時でした。 まさに自由奔放を絵にかいたような人生ですね。うらやましい限り。 キネマ旬報は、私にとって映画好きの友達や女の子たちの話題についていくためのアンチョコ本でしたね。 カッコーの巣の上で、とかまじめな映画をみんなみていて、「あのインディアンの男が無口なくせに 最期に一言いうだろ?」とか華麗なるギャッツビーで「最後に父親が訪ねてくるシーン。あれが哀しいね。」 とか言うとき観た映画でも事前にキネ旬で記憶が間違っていないか確かめるとか・・・ 観ていない映画でも話をあわせるのに便利でした。 >私は、「平凡パンチ」 確かあれは、日本版プレイボーイではなくパンチだと思いますが >アグネス・ラムがブームになりましたね。 これは1975年頃ですか。平凡パンチに掲載されたピンナップを同級生が部屋にはっていました。 >彼女のグラビアの説明記事の中で、スタッフがロケ地に持参した水着のサイズが小さかったが、彼女は嫌な顔をせずに身に着けたとあり、sq少年を嬉しがらせました。そう、水着は小さくなければいけませんね。 今見直しても水着が小さいですね。こんな小さな布きれのビキニで脚を組んだらダメだよ。 >日本人受けのする子でした。彼女28歳頃に、高校の同級生だった漁師さんと結婚した筈です。堅実で健全な選択ですね。 それはよかったです。 さて、 麻田奈美がリンゴヌードで大学生の部屋を飾ったのが1973年。彼女の巨乳はグラビアデビュー後さらに成長してどうみても肥満としか見えないようになってしまったのと対照的ですね。 >アグネスの次に、二匹目の何とかを狙って呼んだのが、ハワイ日系人の青木という この方は存じ上げませんでした。今ふりかえるとアグネスラムはプロポーションこそ抜群でも意外と小柄。このへんも日本人好みなのかも。 >今年も、憂き世を暫し忘れるお話しをさせて頂ければと思っています。 よろしくお願いします。グラマラスな昭和のご紹介ありがとうございます。
- マレンヌ(@Marennes)
- ベストアンサー率50% (396/787)
こんばんは。 昭和の雑誌・・・ 当時子供~学生で当然小遣いも無く立ち読みが殆どですが、必死に読んだ雑誌で想い出せたのから昭和終了の頃よく読んでる雑誌を、だらだらエイッとですが・・・ ・オリコン(これは雑誌としては薄すぎ?一応大きな小冊子程度。部活で購読) ・FM-fan ・FMレコパル ・FM STATION ・スイングジャーナル(ジャズ系を殆ど聴かなかったのですが、別冊含め時折お世話になりました) ・レコード芸術(中・高校前半ぐらいまで) 部活の関係で音楽情報・番組情報を集めるためでもありました。FMエアチェックが懐かしい。 ・模型とラジオ(小学~) ・初歩 のラジオ(小学~小さなAMラジオ作ったり) ・ラジオの製作 ・ラジオ技術(時々、大学の頃小さい真空管式のアンプキットを1台作りました。地震でこっぱ微塵になりましたが) ・ラジオライフ ・BCLの本(確かBCLハンドブックだった?うる覚え) 模型はラジコン他届かぬ憧れのお遊びでした。BCL・ラジオ関連でも実質すぐ買えるわけも無く最初は親戚のお古。回路図も理論も早々分からず眺めたりアンテナとか放送局関連等ばかり。製作自体には極わずか。当時のBCLラジオで憧れだったトリオR-1000を友達のお父さんが持っていて遊びに行くと触らせてもらいました(アマチュア無線もされていた。そう、専門誌でCQ Ham Radioもありました)。 ・月刊 Stereo ・SOUND BOY ・サウンド レコパル ・オーディオ専科 ・StereoSound ・無線と実験 中学ぐらいから。もちろん間違っても買えっこないです。ご縁があったオーディオ店でレコード/CD聴かせてもらいました。全く迷惑なガキです。私的ですが意表をついて?聴けると驚いた組み合わせがオフコース(SELECTION 1973-78)とTANNOY Westminsterでした。試聴のお遊び余興・・・クラシック専門のスピーカーとばかり思っていたのですが意外?でした。 ・MEN'S CLUB(私的、後々一番ためになりました) ・MEN'S NON-NO(DCの時勢もあり、阿部寛・風間トオルさんなど) ・BRUTUS(愛読) ・モノ・マガジン(愛読) ・Esquire(日本語版・洋版、私にはスゴイともかくレベル高すぎてガキにはとても・・・orz でも日本版創刊買いました(懐)) ・ACCELE (車・モノ総合。当然雲の彼方ばかり) ・FINEBOYS ・POPEYE ・ホットドック・プレス(コラムが懐かしい) ・BE-PAL(時々モノ関連で面白い紹介があったと) ・Olive(なんで読んでいたかは・・・(^_^;)) ・ダカーポ(時々) ・スコラ(時々) 中学から高校時代で一気です。DC全盛の一方でトラッドが結局全ての基本だったと当時を振り返ります。 ・サイクルスポーツ(愛読) ・New Cycling ・Bicycle Club 小学生ぐらいから徐々に。自分のに比べたら雲の彼方がいっぱいでした。 ・CAR GRAPHIC(愛読) ・NAVI ・AUTOSPORT(現在小文字 レース専門) ・モーターファン(別冊の新車特集も読んでました) ・CARBOY(チューニング関係) ・Option(チューニング関係) ・月刊自家用車 ・自動車工学 ・CAR & DRIVER ・ホリデーオート ・CARトップ ・ベストカー ・ヤングオート(笑いで読んでました(汗)初日の出特集もあったと・・・orz) 昔から好きなのと亡父やいろいろ・・・特に高校・大学でしょうか。あと”Car Styling”という雑誌を大学の頃ちょっと読んでました。 ♪-----------♭----------♯----------♪ オイオイほんとかよ~と言われるかもしれませんが、みんな時期や期間の長短、タイミングの相違あれど読んで憧れ眺める程度から実益で役に立ててた雑誌です。 中学ぐらいから記憶+生徒手帳に発売日を書きだして学校・塾帰り等の合間書店で読んだり、記事内容よって一部ムリして購入しました。 もちろん時期で読まなくなってる本やジャンル(オーディオ・ラジオ等)もありますが、とにかくお金が無いので、道すがらの書店をチョコチョコかえて本傷めないよう立ち読みしてました(書店さん本当にゴメンなさい)。また同じ嗜好の連中と各自購入で回し読みなども・・・。週刊誌はあるのを手に取るだけであんまり覚えてない・・・。 あの頃は・・・今じゃどれも殆どがさっぱりです(記憶も飛んでる)。文学を嗜まれた質問者様にはお恥ずかしいお笑いの内容でした(大汗) 長文愚答失礼しました m(__)m
お礼
Marennesさん こんにちは お礼が遅くなってすみません。 小学生の頃からラジオに興味をもたれて大学時代に真空管ラジオ一個つくっちゃう というのはすごいです。私は古いラジオ分解して真空管を取り出して、その形の 美しさに見入っていました。レクトロにクスは魔法の世界でそこから先に立ち入る ことを拒む難解さがありました。 ラジオ、FM、音楽、エアチェック、オーディオという趣味の連鎖がそこにあったという ことを今回の皆様のの回答からやっと思い出しました。Marennesさんが10代の頃書店の棚のどのあたりにいつもいらしたかも、誌名から伺い知ることができます。同級生の彼とよく似ているんだろうなぁと失礼ながら勝手に想像しています。 >・月刊 Stereo・SOUND BOY・サウンド レコパル・オーディオ専科 ・StereoSound・無線と実験 ほら、やっぱりこのクラスに行きつくのはかなりのマニアですねw オフコースをタンノイで聴くとは(**)・・やはり知識の裏付けがあったからお店の人も協力してくれたのでしょう。 眠れぬ夜、さよなら・・小田和正の歌声がまるでコンサートホールのS席で聴く かのようにオーディオショップの店先に響いたことでしょう。 > >・MEN'S CLUB(私的、後々一番ためになりました) >・MEN'S NON-NO(DCの時勢もあり、阿部寛・風間トオルさんなど) >・BRUTUS(愛読) >・モノ・マガジン(愛読) >・Esquire(日本語版・洋版、私にはスゴイともかくレベル高すぎてガキにはとても・・・orz でも日本版創刊買いました(懐)) >・ACCELE (車・モノ総合。当然雲の彼方ばかり) >・FINEBOYS >・POPEYE >・ホットドック・プレス(コラムが懐かしい) いやはや、恐ろしい中高生でした。アマチュア無線の硬派な人かと思ったら お洒落もしっかりチェックしていらっしゃるw これらすべて私の20代の愛読誌だったりします。車の免許のない関係で アクセルは除きます。 MEN'S CLUB・・これだけ眺めていたら間違いないという雑誌でした。 くろすとしゆきさんが「街のアイビーリーガース」という スナップを連載していました。今やストリートスナップも それだけで立派な誌面をつくれる企画になっていたりします。 >DC全盛の一方でトラッドが結局全ての基本だったと 同感です。 サイクルスポーツはもとより車関係はまったく門外漢ですみません。 >・スコラ(時々) これ、GOROの対抗馬だったグラビア誌ですよね。まさに1980年代を代表する男性誌。でも記憶に残っていないですね。フランスのlui誌と提携していたようですね。 表紙ににもLui Japonと書いています。 >中学ぐらいから記憶+生徒手帳に発売日を書きだして学校・塾帰り等の合間書店で読んだり、 私も中高と通学途中にある書店で雑誌の立ち読みが楽しみでした。当時はおおらかな時代でしたね。今、近所のTSUTAYやスターバックスと併設で雑誌、書籍読み放題になっています。私はカミさんと毎週日曜ここで昼飯を食べ雑誌を眺めています。 1970年代末から1980年代の雑誌シーンを網羅していただきありがとうございます。ファッション誌まで言及すると自分の得意分野だけにきりがないので省略させていただきました。ご回答ありがとうございました。
- mota_miho
- ベストアンサー率16% (396/2453)
追加します。 「スイング・ジャーナル」。 ジャズの新譜レコードの売上はスイング・ジャーナル誌の評論家(複数)がつけた「星」加減で左右されると言われたほど権威がある雑誌でした。 私も、毎号、どんな新譜が出ているか、★の付き具合はどうかなど、チェックしたものでした(★の代わりに「脱帽したおじさん」等のイラストに替わりましたね)。 今思えば、評論家のセンセイ方も、ビッグ・ネームのアルバムにはそれだけで高い評価を与えがち、ということがあったような気がしますが(例えば、マイルス・デイヴィス)。
お礼
いやぁ、いつ出るかなと待ってました。SJ誌。 私が、スイング・ジャーナルを買い始めたのは社会人になってからでした。 欲しかったオーディオを手に入れて、ターンテーブルに針をおとした感動はわすれません。 1970年末期渋谷、吉祥寺にまだ残っていたジャズ喫茶に通ってかかっている曲の ジャケットを記憶してレコード店で探すことを繰り返していました。 油井正一、岩波洋三さんの評価は私には天の声でした。ミンガス、マイルス、ビル・エバンス、 アート・ペッパー、ジャッキー・マクリーンなど聴いていました。 平成に入って久々にジャズを聴いてみたら、マイケル・ブレッカーとかウィントン・マルサリス とか超絶テクのアーチストの時代になっていました。 >ジャズの新譜レコードの売上はスイング・ジャーナル誌の評論家(複数)がつけた「星」加減で 左右されると言われたほど権威がある雑誌でした。 そう、私もレコードがCDに代わっても「スイングジャーナル特選」のマークがついていると つい買ってしまう 癖が抜けませんw 雑誌にはライバル誌があるものですけど、ジャズライフとか他誌の追随を許さぬ力が この雑誌にはありましたね。 ジャズ喫茶においてあるSJ誌のバックナンバーを眺めながら50~60年代のジャズを聴くのは 私の短い独身時代の貴重な記憶の一コマだったと思います。 mota_mihoさんとジャズのお話ができたらうれしいです。ありがとうございました。
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exhivisionist2さん、こんにちは。 私も『平凡パンチ』です! ネタは書かれてしまってますのでその通りだとしか言えません(汗) 見てはいけないものを見て、してはいけない(?)ことをするのはスリリングでもありましたね(笑) これも被ってますが・・・ 『GARO』と『COM』 ウィキペディアではじめ知ったことですが、「カムイ伝」VS.「火の鳥」だったのですね。そんなことな~んにも気にしていませんでした。 http://ja.wikipedia.org/wiki/COM_(%E9%9B%91%E8%AA%8C) もう一つだけ 『奇想天外』(奇想天外社の方) 新人賞、取りたかったなあ・・・ ちなみに受賞者は新井素子と谷甲州。佳作には山本弘と中原涼が名を連ねています。無謀だったな。
お礼
31192525さん、昨年末はお世話になりました。 >ネタは書かれてしまってますのでその通りだとしか言えません(汗) すみません。皆様の楽しみを奪ってしまいました。 ガロとCOM。私の中では記憶がひとつのものになっていました。そうですかライバル誌として競い合っていたのですね。 wikiによれば「COMから巣立った作家としては、青柳裕介、あだち充、竹宮惠子、長谷川法世、宮谷一彦、西岸良平らがいる。(一部略)」とあります。すごい人材の宝庫。 リベラリストのガロとロマンチストのCOMでは戦いにならない気がしますが、火の鳥とカムイ伝は戦っていたんですね。私も気が付きませんでした。 SFは中高時代に御三家をむさぼり読んでいたのを思い出します。筒井康孝が特に好きで不労不死の薬を手に入れた主人公のところへ皆がおしよせる。窓から彼女が忍び込みいきなり服を脱ぎ迫ってくる。 「やめろ。お前の腹は見えているぞ」 「当たり前でしょ。裸だもの」 くだらないギャグをちりばめた落語みたいな筒井康隆作品がすきでした。海と陸とが会話するシュールな作品も忘れられません。 その御三家が審査員なら奇想天外の新人賞はさぞや難関だろうと想像します。 >『奇想天外』(奇想天外社の方) SFマガジンは翻訳もの中心という印象でしたね。宇宙ものが多かった福島正実さんの作品では「ロマンチスト」が好きでした。その人が編集長ということで手にしたSFマガジンはなぜかなじめなかったです。奇想天外はまるで知らずに夢枕獏がそこから出たというのはとても感慨深いです。 末筆ながら、今年もよろしくお願いいたします。私の中に色濃く残るSF・ファンタジーな昭和を思い起こさせるご回答ありがとうございました。
お礼
お礼を有難うございます。 >中原淳一記念館は 前 河口湖に在ったのですが それもまたロマンチックなロケーションですね。 昨年生生誕100年でそごう美術館で開催された展覧会のポスター http://www.museum-cafe.com/special/9712.html 「イラストレーター、ファッションデザイナー、ヘア メイクアーティスト、スタイリスト、インテリアデザイナー、プロデューサー、人形作家、作詞家といった多彩な分野において天才的な才能を発揮し、いずれの分野でも現代へとつながる先駆的な役割を果たした」 こんな賛辞のつくアーチストは日本にそうそういないです。 堀内誠一とか長澤節くらいでしょうか。 http://dacapo.magazineworld.jp/culture/9106/ 私の中で中原さんを筆頭に昭和の偉大な3人と呼ぶことにします。 >その他 主婦の友 主婦と生活(この雑誌には投稿もしました。 送話の時代こ投稿する読者が誌面をつくっている部分がありましたね。読者が雑誌に励まされ 読者が編集者を励ますみたいな雰囲気のある雑誌の雰囲気が好きでした。 また、お話をきかさてください。ありがとうございました。とてもうれしかったです。
補足
最も昭和らしい中原淳一のそれいゆを教えていただいた purimuro-zuさんにBAを差し上げます。 明日 1月15日は 母の13回忌です ありがとうございました。