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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:忘れえぬ昭和の雑誌とあなたの思い出)

忘れえぬ昭和の雑誌とあなたの思い出

このQ&Aのポイント
  • 昭和時代の雑誌は、テレビやラジオだけでなく、情報を得る主要なメディアでした。
  • 様々なジャンルの雑誌があり、それぞれが人々の興味や個性を表現していました。
  • 私の思い出の一つは、東京オリンピックの開催年に創刊された「平凡パンチ」で、そのエッセイやグラビアに興奮しました。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.22

お礼を有難うございます。 中原淳一記念館は 前 河口湖に在ったのですが いつの間にか広尾に移ってショップになってしまいましたね。 車で広尾近辺をドライブしていて見つけました。 絵とセータ- 食器等を買って 絵は飾ってあります。 後 最近亡くなった 内藤ルネという人の記念館も河口湖にありましたが・・・ 雑誌の話ですが、少女雑誌で一番古いのは 少女クラブ でしょうか。少女ブックというのもありました。 その他 主婦の友 主婦と生活(この雑誌には投稿もしました。) 懐かしくなっていろいろ思い出してきますが、この辺で・・・・

noname#204018
質問者

お礼

お礼を有難うございます。 >中原淳一記念館は 前 河口湖に在ったのですが それもまたロマンチックなロケーションですね。 昨年生生誕100年でそごう美術館で開催された展覧会のポスター http://www.museum-cafe.com/special/9712.html 「イラストレーター、ファッションデザイナー、ヘア メイクアーティスト、スタイリスト、インテリアデザイナー、プロデューサー、人形作家、作詞家といった多彩な分野において天才的な才能を発揮し、いずれの分野でも現代へとつながる先駆的な役割を果たした」 こんな賛辞のつくアーチストは日本にそうそういないです。 堀内誠一とか長澤節くらいでしょうか。 http://dacapo.magazineworld.jp/culture/9106/ 私の中で中原さんを筆頭に昭和の偉大な3人と呼ぶことにします。 >その他 主婦の友 主婦と生活(この雑誌には投稿もしました。 送話の時代こ投稿する読者が誌面をつくっている部分がありましたね。読者が雑誌に励まされ 読者が編集者を励ますみたいな雰囲気のある雑誌の雰囲気が好きでした。 また、お話をきかさてください。ありがとうございました。とてもうれしかったです。

noname#204018
質問者

補足

最も昭和らしい中原淳一のそれいゆを教えていただいた purimuro-zuさんにBAを差し上げます。 明日 1月15日は 母の13回忌です ありがとうございました。

その他の回答 (25)

  • clergy
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回答No.5

写真週刊誌の先駆けだった"FOCUS"です。 すべての記事が賛成できるというわけではなかったのですが、迎合路線やお色気路線に走らず硬派なところが好きでした。休刊になった時は大変残念でした。継続していたら今の世の中をどう風刺するのか読んでみたいものです。

noname#204018
質問者

お礼

clergyさんこんばんは でましたね。週刊新潮の天皇と呼ばれた斎藤十一。まさに昭和の名編集者ですね。 平凡パンチの清水さんが表紙に拘りあとは任せるといった(赤木洋一)のに対してこの人は頑固一徹。ワンマンの極み。FOCUSの記事の全タイトルを自ら決定した。このコントロールが効いたからこそ「FOCUS」という危ない橋を無事制御しながらわたることができたのかもしれません。 当初から芸術性の高いグラフ誌をめざしながらもうまくいかずに、張り込み突撃取材型で新潮独自の新しいジャーナリズムのスタイルを打ち立てましたね。確かに類似誌が追従する1988年ころまでがFOCUSの新潮社らしい時代だったのかも。 FOCUSが芸術新潮の香り保っていたのは、巻末のマッドアマノのパロディページと1999年まで一貫して京都市立大教授の三尾広三の描くエルンストとダリを彷彿させる美しくも幻想的な表紙でしょう。 http://www.kyoto-art.ac.jp/blog-correspondence/2011/06/8015/ 平凡パンチの清水の大橋歩に対して斎藤十一の三尾広三。まさに硬派と軟派の対決の感があります。 平凡パンチとフォーカスに共通するものはダンディズムだという気がしました。 40年から昭和60年代まだで視野を広げるご回答ありがとうございます。

  • born1960
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回答No.4

 1960年生まれ男性 月刊「明星」「平凡」は1970年台の中高生時代にずっと買ってましたね。 とくに「明星」は付録のソングブック目当てに買ってました。 ギターコードが書かれてましたから。

noname#204018
質問者

お礼

bom1960さん こんにちは 待ってました! 明星 平凡の両巨頭月刊誌。 EmB7 Em G D G Em C D G あなたに さようならっていえるのは きょうだけ 70年代のヒット曲はカッコいいものが多かったです。 73年学生街の喫茶店 かぐや姫の神田川なんて指にタコができるほど弾きました いまはTAB譜までネットで手に入るんですね http://www.ufret.jp/song.php?data=1956 また弾きたくなりました。ギター買わなくちゃw 私が高校生のころはヤングギターなんていうフォーク専門誌が あったのですが、いつのまにかグレてこんなにhttp://youngguitar.jp/ なっちゃいました。 高校教師だった親父は私が明星・平凡などを読んでいると機嫌がわるかったのを思い出します。そこで従姉のとっている明星のソングブックのコードを書き写していたのを思い出します。そのうち近所の友達の姉ちゃんが明星をとっていて(当時女の子でグループサウンズのポスターほしさに、平凡・明星を買っていない子はいませんでしたね)岸部おさみ(一徳)も森本太郎も加橋かつみも沢田と瞳とならんでかしこまった笑顔でポスターに納まっている写真がお約束のように壁に貼ってありました。 ぼくらはギター抱えて友人のいえにあつまってコードをひたすら覚えてました。 あたまの中ではいつか彼女ができたら「君をみつけた。この渚で♪」なんて引き語りを やって彼女が僕の肩に頬をよせてうっとりと聴き入る(・・・ってギター弾けないよ アタマじゃまだし)姿を夢見てました。 まぁ、ギター弾けたほうがモテるのは間違いなかったけど・・・。 40年前でもアルペジオもスリーフィンガーもいまだにうっすら指先が記憶しています。 カッコイイ昭和の雑誌の思い出 ありがとうございました。

回答No.3

  「それいゆ」 「ジュニアそれいゆ」 「ひまわり」 でもこの雑誌を知っていらっしゃる方は 相当ご年輩です。(女性雑誌) 復刻版でも出されています。 とても素敵な雑誌です。  あと昔は少女雑誌というのがありました。 少女の友 少女世界 少女 など  これらの雑誌も ご存知の方はご年輩だと思われます。

noname#204018
質問者

お礼

purimuro-zuさんこんにちは 「野草の食べ方、肺病に効くお灸と言った様なものは、この「ソレイユ」の編集方針ではない。私達の周囲は余りに凡てが美しくない。今出来る事、今着られる服だけをのせてゐたら、この「ソレイユ」の存在価値はない。 こんな本はくだらないと言はれるかも知れない。お腹の空いてゐる犬に薔薇の花が何も食欲をそゝらない様に。然し私達は人間である!! 窓辺に一輪の花を飾る様な心で、この「ソレイユ」を見ていたゞきたい。(編集後記 より)」 この中原淳一(これがダンディズムを絵にかいたようないい男http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nakahara_Jun%27ichi.JPGhttp://matome.naver.jp/odai/2139702012152728701 の創刊号の編集後記を読むだけで、平凡パンチ創刊より18年も前に敗戦の国民をオシャレと文化で勇気づけようとした男がいたことがわかります。 伝説の雑誌 それいゆ 創刊号に続く2号の表紙は なんと藤田嗣治。あのエコールドパリの画家レオナール・フジタその人です。 グラビア 山口淑子 エッセイには中野好夫  岩田専太郎 女の画家・マリイ・ロオランサン・・・ってこれが戦後間もない 昭和21年12月に出版されていたことが 奇跡か神の仕業というべきでしょう。 昭和22年の4号の表紙を描いているのは長澤節 表紙 長澤節 写真 土門拳ほか 特写 新人 尾上松緑(文・河竹繁俊) 池部良(文・大黒東洋士) 菅文代(文もしくは談話 杉村春子)北畠八穂(文・林芙美子) 男女共学について 古谷綱武/ソックスとサドルシューズ(アメリカ女学生の服装)亀倉雄策・・・もう国宝級の文化遺産です。 その後も岩田専太郎の美人画、藤島武二の愛弟子の宮本三郎と続きます。 母の実家の蔵の中で金目のものがないか物色してときに中原淳一の表紙絵の雑誌を昔みかけたかすかな記憶があります。 それが「それいゆ」だったのか母が少女時代に購読していたであろう「少女の友」だったのか実家も代がかわって蔵を取り壊した今は確かめる術もありません。母は戦後農地改革で土地をとられるまでは名家のお嬢様でした。(本人弁) 広尾の交差点を散策して何の店かわからずに入った店が中原淳一の絵画のモチーフがたくさん置かれたショップでした。 母の13回忌が近いです。中原淳一の表紙絵をプリントアウトして仏壇に飾りたいです。 中原さんて人は、現代人まで勇気づけるちからを持っていますね。 レトロと言うにはあまりにキュートでローラ・アシュレイみたいなカッコよさの中原美学の世界をご紹介くださりありがとうございました。

回答No.2

ジャンポール向井友介さんこんにちわw 昭和は高校1年まででしたので、自分で雑誌を買って読んだ記憶はほとんどありません。 なのでやはり、父が買ったものを隠れ読みした「週刊プレイボーイ」でしょうか。父は風呂で読んで時々湯船に落とすのか、大体湿っていましたw それで読んだ官能小説の内容を友人に語り興奮させて、面白がっていたのを覚えていますw 「バナナ白書」という読み切り漫画が連載されていて、初体験の話が多かったように思います。記憶してるのは、童貞くんが「今日こそ決めるぞ」と彼女の家に行くと、彼女の家族が居てダメだこりゃと思ったら、両親がすごく協力的で、彼女の母親に「これ使いなさい」とゴムを渡されて、1階で両親が成功を祈る中、2階で初体験を無事終えるという話。「んな親いるかいっ!」って思いますが、読者の実話をもとにした漫画だったと記憶してます。 あとは道に落ちていた湿ったビニ本ですね。あれってどうして通学路に捨ててあるんでしょうか???w

noname#204018
質問者

お礼

mikasaさんこんにちは。 チョコボール向井ベルモンドです。 >昭和は高校1年まででしたので、自分で雑誌を買って読んだ記憶はほとんどありません。 そっかぁ・・・。1989年にはまだ16歳でしたか。昭和の時代で大人にバイアスかけた話題は相当対象が絞り込まれるのですね。 >「週刊プレイボーイ」でしょうか。 1988年平凡パンチを休刊に追い込んだのが、週刊プレイボーイの隆盛ですよね。これはいまでこそ青年向けの面構えをしていますが、平凡パンチの後発として「女クルマファッション」でマンネリ化していくパンチの前者の轍を踏むまいとしっかり大人向けの週刊誌として加納典明とかつかっていいグラビア写真撮ってましたよね。 >父は風呂で読んで時々湯船に落とすのか、大体湿っていましたw がはは。大爆笑。家族の目を盗んで風呂で読んで風呂の焚口に薪や新聞と一緒に積んであるのを夜に私がこっそり持ち出してました。 >それで読んだ官能小説の内容を友人に語り興奮させて、面白がっていたのを覚えていますw 昔の官能小説ってほんと刺激的でしたよね。文章の力でここまで人間の劣情をかきたててしまっていいのかと心配になるくらい。こんなのに慣れてしまったらその先はどうなるのだろうと心配でしたね。官能小説の前は大藪春彦の野獣死すべしとか、黒岩重吾の悪人志願とかの濡れ場を読んで興奮していたくらいだったのが、いっきに毎号からみと挿絵がある官能小説はたまりません。 >「バナナ白書」という読み切り漫画が連載されていて、初体験の話が多かったように思います。 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%8A%E7%99%BD%E6%9B%B8-3-%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-SANZE%E6%91%A9%E5%88%A9/dp/4088570936/ref=bit_bds-p23_serp_cr_jp_title?_encoding=UTF8&tag=bds-p23-serp-jp-cr-22&tagbase=bds-p23&tbrId=v1_abb-channel-23_d6a880455098492d851ee4c6ec3c2655_39_1006_20130624_JP_cr_ds_ ここまでリアルなビジュアルには篠山紀信でも勝てないです。読んでみたくなります。 でもバスルームでしっとりのコースですね。 >あとは道に落ちていた湿ったビニ本ですね。あれってどうして通学路に捨ててあるんでしょうか???w 早速調べてみました。ビニ本研究の第一人者でもある昭和性資料研究会によると、多くは当時高価だったビニ本は「すぐあきる」「捨てるには惜しい」という二つの理由のはざまで悩んだ購入者が路地にこっそり捨てると小学生がまず発見し、「僕らにはまだ早い」という判断で、高校生のお兄ちゃんの目につくところまで引きづり出すのだそうです。 このままいくと、チョコボール向井ベルモンドの得意領域に流れそうなのでこの辺で失礼します。 道端の湿り気にしっとりとした昭和を感じるご回答 ありがとうございました。

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.1

女性なら「主婦の友」「婦人公論」でしょうね。

noname#204018
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 すいません。男目線の質問になっていましたね。お詫びします。 そうですね。戦後の雑誌文化は、女性誌が主流といっても過言ではないでしょうね。昭和30年代、各家庭に必ず主婦の友、婦人画報があって編み物のページや料理の献立記事があって私の母もそれを切り取ってスクラップにしていました。 戦後各家族化が進むなかで、主婦の情報を支えたのが婦人誌でしたね。街の書店の店頭にならんでいるのは、ぶ厚い付録のついた婦人誌だったという記憶があります。それが経済が豊かになり働く女性が増え、いつの間にか女性向けファッション誌に代わって言ったのでしょう。 さて、先日も昭和のTVの話題で、ホームドラマが出てきましたが、これも主役は母親なんですね。ただいま11人とかでも山村聡は主役ではない。戦後の主役は「婦人」という時代が昭和39年くらいまで続いていました。 男が主役というのはその後の東映任侠映画くらいしかなかったですね。 私が平凡パンチに感動したのは、「男の雑誌」ができたという感動だったのかもしれません。もちろん婦人誌には「夫婦の営みガイド」とか書かれた袋とじ記事を、母の箪笥の上の引き出しから取り出してかくれてみていたのを思い出します。 すみません。くだらない御礼で失礼いたしました。