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高度経済成長期における長銀について質問です。
長銀に関する本を読んでいて、長銀の歴史や高度経済成長期における長銀の役割は理解しました。 しかし、証券会社が高度経済成長期に企業向け長期資金の提供サービスを制限されていたという記述があり、気になったのですがその理由については触れていませんでした。自分で調べてみたのですが、参考になる資料は見つからなかったので、わかる方がいたら教えてください。
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当時は、監督官庁である大蔵省が業際の壁、所謂ファイヤーウォール規制を設けていました。 即ち、銀行・証券・生保は、それぞれの固有の業務の棲み分けがなされ、お互いに浸食しないよう大蔵省から監督されていたためです。 しかし、監督官庁が大蔵省から金融監督庁へ、さらには金融庁に変わり、金融の国際化や邦銀の競争力強化が唱えられるようになり、銀行・証券・生保に設けられた業態間のファイアーウォール規制が2009年6月から緩和されました。 役員の兼職規制撤廃や、顧客情報の共有が認められ、各業態を傘下に置くメガバンクの国際競争力強化が期待された訳です。特に銀・証垣根の見直しは、投資銀行業務(証券業務)への進出を狙ってきた邦銀の悲願でもありました。 この規制緩和が金融審議会(首相の諮問機関)で審議されたのは2007年のことです。それに基づき、金融商品取引法が改正されたのは08年6月。その後、リーマン・ショックとなりましたが、金融庁は11月に内閣府令案を公表。着々と準備を進めていました。 三菱UFJフィナンシャル・グループによる米モルガン・スタンレー日本法人との傘下証券統合、三井住友フィナンシャルグループによる日興コーディアル証券買収など、日本だけが周回遅れとなってはいますが、着実に金融コングロマリット化を進めているという経緯にあります。
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- simotani
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証券会社は社債の引受業務を禁止され、一方銀行は債券の一般顧客向け売買を禁止されていました(規制解除された現在でも株式の売買取次は出来ず又証券業務は傘下の証券会社に口座を移すようになっています)。債券を引受したら需要のある法人に嵌め込むのです。 当時の規制では社債は東証に上場を事実上義務化され(つまりどの会社でも自由に発行出来なかった)、買った顧客は証券会社を通じて東証に売り注文を出して換金したのです。 その為に発行出来ない会社は銀行から融資を受けるしか無かった。結局これが未だに尾を引き、国内にジャンク債券市場が成立しない一因になっています。銀行融資を社債に振り替えたらかなり金利が上がります。一方日本の銀行は100%の担保・保証人を条件にプライム(最優遇)で貸すのですが、社債だと担保不要になります。それが年利1割強という利回りになるのです。 銀行とは何か…正直考えさせられる質問でした。