父の死に対する道義的責任を問う手段を教えて下さい。
父(64歳)が近所のじいさんに頼まれた道路脇の側溝内のごみ清掃のために、重い側溝のふたを持ち上げる瞬間に脳の動脈瘤が破裂、手術の甲斐なく、5日後にくも膜下出血で亡くなりました。この父の死については、そのごみ掃除に対するじいさんからの強制や脅迫が認められず、また、そのことで病死することは誰も予期できないとの理由で、法的責任は全く問えないと言われました(2度の弁護士相談にて同じことを言われました)。遺族としては到底納得できることではありませんが、法律上仕方ないと割り切りました。しかし、結果として、じいさんからの頼まれごとを引き受けたことが父の死につながったことは明白で、せめて父が倒れた後に病院へのお見舞いとか、死後、一言でも相手家族からの謝罪、お線香などの道義的責任があってもいいのではないでしょうか?にもかかわらず、父の倒れた翌日には業者にごみ掃除を依頼し、ごみを我が家の敷地に放置したり、近所には世間体を取り繕うための方便(しんしょを投げ打ってでも謝罪するとか、息子夫婦が謝罪したなど)をしたり、母に行き会った際には、
「悪かったね。でももう死んでしまった人はどうにもならないから」などと言ったり、自分の親族には父が勝手にやって勝手に死んだようなことを言ったり。どうしようもないじいさんなら、せめてそこの息子夫婦が対応してくれても良かったのに、道ですれ違っても自分は関係ないとばかりに知らん振り。それに、子供に罪がないとはいえ、父の倒れた場所に花と線香をあげた場所でのサッカー遊びなど、遺族としてただ我慢することしかないのでしょうか?法的責任が問えない以上、せめて一般人としての道義的責任があってもいいのではないでしょうか?何かよいアドバイスがありましたら、宜しくお願いします。私はもちろんですが、父を突然失った上に、相手一家の誠意が全くなく、精神的に辛い思いをしている母が心配でなりません。
お礼
ありがとうございます!