• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:死刑に帳尻は必要か?)

死刑廃止を考える際に重要な要素

このQ&Aのポイント
  • 日本の死刑制度における帳尻の必要性について議論されています。
  • 一人の被告が二人を殺した場合に、帳尻が合わないという意見もありますが、帳尻の考慮は細かすぎるという反論もあります。
  • しかし、死刑は罪に対する罰であり、等価交換の方法は存在しないという意見もあります。皆さんはどう考えますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.4

大昔の哲学ですね。 目には目を、指を落とされたらその相手指を落とす、応報令というハンムラビ法典の考え方です。単純すぎます。それは単に被害者の家族の憎しみの思いを解決するだけです。 今の考え方は、犯罪を社会から撲滅するにはどうすればいいか?単に罰をひどくするだけではだめなのではないか?ということから多くの刑罰が考えられています。犯罪は殺人だけではない、それ以下の軽犯罪から過失致死を含み多様なものがあります。それらにたいして過不足なく量刑が定められねばなりません。中国のように単なる軽犯罪でも死刑が執行される社会は、殺人に対する感覚が一般に鈍くなり、殺伐とした犯罪社会になる可能性が高くなります。それよりも、どんな犯罪者も必ず良心があり更生の可能性がある、更生させねばならないという使命を社会全体が持つことで、前科者(犯罪全体のかなりの部分を負っています)にもまっとうな人間になるチャンスが与えられ、社会は次第に犯罪0 の安全社会になっていくのです。日本はそうなっていっていますよ。 結局、人間を信じることです。

luna_mond
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

その他の回答 (4)

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.5

死刑に限らず「刑罰」に帳尻を求めるのがおかしい。 そもそも「刑罰」は帳尻があっていない。 たとえば、窃盗で1万円盗んでも100万円盗んでも、盗んだものが使ってしまえば捕まって刑罰を受けても現金は戻らない。帳尻を言うなら、刑務所で稼いだ金を被害者に分配するようにする必要があるが、そんなことは誰も言わない。 現金ではなくて、思い出のある品を盗まれたり、放火されたりした場合は、プライスレスの思い出を失うことになるが、その帳尻を合わせる刑罰ももちろん無い。 また「人を殺した」というが、自動車で轢いてしまった場合、飲酒運転でも危険ドラッグでも居眠りでも、何人ひき殺しても、少なくとも「死刑」になることはない。 それなのに、殺人罪における「死刑」だけ帳尻をいうのは、視野が狭いとしかいいようがない。 だから、そもそも死刑そのものに帳尻あわせの意味はない。

luna_mond
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >たとえば、窃盗で1万円盗んでも100万円盗んでも、盗んだものが使ってしまえば捕まって刑罰を受けても現金は戻らない。 なるほど、被害者の補償は民事で行うべきという考えですね。 やはり、日本人に根強い「命を命で償う」という考えが 前近代的というわけですね。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

"2人殺したら、自分1人の命を差し出しても 帳尻が合わなくなると "   ↑ 帳尻というよりも公平ということではないですか。 それはともかく、この考え方はオカシイですね。 帳尻を合わせるというのは、出来るだけ帳尻を 合わせるようにしましょうというだけでしょう。 人を殺しても死刑にしないとなれば、帳尻は さらに合わなくなります。 ”一人だろうが二人だろうが100人だろうが死刑にする以外に  等価交換の方法がありません。他に案があるのだろうか?”     ↑ 歴史的にはありましたよ。 西洋では、苦しませて死刑にする、死刑にしてから死体を 辱める、ただの死刑・・という具合に段階がありました。 日本でも、打ち首と切腹では意味が違うとされました。 名誉の切腹です。 ”そういう意味で帳尻考えていっても無意味だと思いますが、  皆さんは いかがお考えですか?”     ↑ 命の価値は無限だから、一人殺しても二人殺しても 同じだ、という理屈はどうですかね。 もっとも無限にも大小がある、という考え方もありますが。 例えば、点とは、位置だけあって大きさの無いモノと 定義出来ますが、直径10cmの円と直径20cmの円に 含まれる点の数は伴に無限ですが、 直径20cmに含まれる点の方が多い?

luna_mond
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >人を殺しても死刑にしないとなれば、帳尻は さらに合わなくなります。 死刑反対のスタンスで考えれば、そもそも命を命で償う考え自体が間違っているということだと思います。 そうすれば、帳尻を持ち出して 揚げ足も取れなくなります。 >西洋では、苦しませて死刑にする、死刑にしてから死体を 辱める、ただの死刑・・という具合に段階がありました。 でも、自分の体にダイナマイトを巻き付けて、他人を、巻き添えにした場合は どうにもならんでしょう。 >命の価値は無限だから、一人殺しても二人殺しても 同じだ、という理屈はどうですかね。 数学的に考えると、1/0+1/0=1/0 みたいに分母が0になる現象でしょうか? 人の命にこの公式を当てはめても 恐ろしいと思いますけどね。 私は 命さえみんな平等なのか疑問ですよ。 末期癌で人生に絶望し余命3か月の命と これから将来のある子供の命が等価なのかも分かりませんし。人間の命だって 無限じゃないし、消耗品的な要素もあるでしょ。 >例えば、点とは、位置だけあって大きさの無いモノと 定義出来ますが、直径10cmの円と直径20cmの円に 含まれる点の数は伴に無限ですが、 直径20cmに含まれる点の方が多い? 微積分の考えを取り入れると、そういうことになりますね。

回答No.2

仇討ちに代わる処刑を被害者は、期待している訳です。期待外れだと期待分辻褄合わせをはじめます。それが社会ですね。お礼参りは、その典型です。

luna_mond
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >仇討ちに代わる処刑を被害者は、期待している訳です。 仇討ちは甘くないですよ。返り討ちもあるわけですし、この場合、相手に正当防衛が認められ、相手は刑の減免、または免除が認められますが、現代人に それを受け入れる 気概と潔さがあるでしょうかね?

回答No.1

あまり興奮しないほうがよろしいかと。 帳尻を言うなら・・・日本人一人の命が1~2億円として 外国人とそれぞれ換算。外国人に殺人の罪を科すなら人数分 の外国人を殺す。国内に多くの外国人がいるのだから可能。 外国人による殺人を何も個人に限定する必要は無い。 日本人の被害者数対外国人犯罪で罪を科される数として帳尻。 日本人なら1対1。 外国人なら1対数人数十人でよいと思う。 死刑判決が出たら以後の食事は人糞を主にすればと思う。 現代日本人の人糞なら栄養はかなり在る。