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死刑は、犯罪抑止のためにあるわけではありません。
犯罪を償うためにあるわけでもありません。まして、被害者の復讐のためにあるわけでもありません。 罪に応じた"罰"の種類の一つとしてあるだけです。 罪を犯せば、当然罰が下る。報いを受ける。当たり前のことです。 その罪が重ければ重いほど、受ける罰も重くなるのも当然のことです。 死刑は、そんな罰の種類の一つに過ぎないのです。 ちなみに、冤罪問題は捜査や取り調べ、立件等の問題であって、刑罰の問題ではありません。 また、冤罪は死刑に限らず、罰金刑でも懲役刑でも起こり得るわけです。 当然、死刑廃止の理由にはなり得ませんね。 みなさんは どう思いますか?
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- hekiyu
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”死刑は、犯罪抑止のためにあるわけではありません。 犯罪を償うためにあるわけでもありません。まして、 被害者の復讐のためにあるわけでもありません。 罪に応じた"罰"の種類の一つとしてあるだけです。 罪を犯せば、当然罰が下る。報いを受ける。当たり前のことです。 その罪が重ければ重いほど、受ける罰も重くなるのも当然のことです。 死刑は、そんな罰の種類の一つに過ぎないのです。” ↑ これは絶対説といわれるモノで、刑罰を 手段としてはいけない、という考え方です。 例えば、死刑が犯罪抑止の為だとすれば、それは刑罰を 犯罪抑止という手段の為に利用することになるから 刑罰の絶対性に反し許されない、とする考え方です。 この絶対説は、生命についてだけ絶対性を認める 説と、総ての刑罰に認める説があります。 これに対し、そもそも刑罰てのは何の為にあるのだ。 それは社会の秩序を維持する、という現実的な目的の 為に人間が作ったルールに過ぎないのではないか。 だったら、刑罰を犯罪抑止の為に利用するのは当然だろう 何が悪い、という考え方もあります。 英米系の学者は後者のように考える人が多いです。 ワタシも、これに同調する者です。 その理由ですが、そもそも理論て何だよ、というところから出発する 必要があります。 専門的になりますので、詳細は省略しますがつまるところ 緻密な理論を作りあげ、こね回すことよりも、どうしたら 犯罪が減るか、ということの方がはるかに重要だと 思うからです。 ”冤罪問題は捜査や取り調べ、立件等の問題であって、 刑罰の問題ではありません” ↑ これは実体法と手続き法を峻別する理論ですが 上述したように、理論倒れの感があります。 実体法と訴訟法を併せて犯罪が減るようにしなければ ならないと考えるからです。 どんなに立派な刑法を規定しても、拷問を許すような 刑訴法だったらどうなるかを考えればその妥当性 が判るというものです。 ”冤罪は死刑に限らず、罰金刑でも懲役刑でも起こり得るわけです。 当然、死刑廃止の理由にはなり得ませんね。” ↑ その通りだと思いますが、例えば日本だったら 死刑にした後で冤罪だと判明したら、一発で廃止に なるでしょう。
- kuro804
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こんばんは 難しい事は分かりませんが えん罪を皆無にする事が不可能です。 最低限、えん罪であることが判断出来た時点で、最大限回復処理を行うのが正義と考えます。 死刑以外はその回復処置が万全でなくても可能です。 死刑はそれが完全に不可能なのです。 この点により死刑に反対する人々がいます。私もそうです。 さらに言えば本来死刑に値する人の死刑は酷すぎるとは考えません...そんな人の罪の軽い重いは考えたことがありません...しかし皆無に出来ないえん罪での死刑の可能性がある限りは やはり死刑廃止も十分考えるに値するはずです。
お礼
回答ありがとうございます。
- Tomiyama Tenyou(@s071308)
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うむ、その通りやな。
- rx178z
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そうだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。