※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:何かを愛するのに条件は必要ない?)
何かを愛するのに条件は必要ない?
このQ&Aのポイント
他人から「○○だから好き、嫌い」というのは条件付きの愛情云々と言われ目から鱗でした。
「自分を受け入れているのなら、「悪い部分があるのは事実だし、それを改善するのも良いこと。でも欠点の有無と自分を好きで尊重できるかどうかは別問題、自分を大切にするのに理由は必要ない」という感じらしい。悪いところを許せず嫌ってるのは受け入れてるとはいえないわな。
だって完璧な人間なんているわけがないから、悪いところがあるなら嫌い、という条件だったら生きている限り絶対に自分も他人も好きになれない。
他人から「○○だから好き、嫌い」というのは条件付きの愛情云々と言われ目から鱗でした。
自分を受け入れてるかそうでないかの話題で私は、
「自分を客観的に捉える質だから悪い面を、ありのままの自分を受け入れすぎて自分嫌いになってしまう、普通に自尊心もあるし暗い性格ではないんだけど、決して好きではない。
例えば努力する頑張りやな人間が好きなのに、自分自身は努力嫌いで怠け者だから自分嫌いとか。自分を好きでいられる人間が羨ましいよ」
とコメントしたところ、他人から、
『それは「自分を受け入れていない」ことになるよ。受け入れているのなら、「悪い部分があるのは事実だし、それを改善するのも良いこと。でも欠点の有無と自分を好きで尊重できるかどうかは別問題、自分を大切にするのに理由は必要ない」という感じらしい。悪いところを許せず嫌ってるのは受け入れてるとはいえないわな。
「いいところがあるから好き、悪いところがあるから嫌い」と言うのは「条件付きの愛情」と言われ、特に子育てなんかでは禁じ手とされてる。
そうして育てられた子は、周囲の毀誉褒貶に振り回され、自分を信頼できない子に育って問題を起こしやすくなるから。
だって完璧な人間なんているわけがないから、悪いところがあるなら嫌い、という条件だったら生きている限り絶対に自分も他人も好きになれない。
ものすごく人間関係が不安定になるし、自分の立ち位置を確認したくて安心したくて他人の悪い噂を集めたがったりもしがちになる。』
と言われ、私は筋が通っているし確かにその通りだと思いました、自分や他人を好きになれないというのは当てはまっていました。
しかし私の場合は幼少期は普通に育てられ、シャイだけど周囲の評価など気にしてない子供でした。なぜ自分が指摘されたように条件付きでしか愛せない人間なのかがわかりません。
親の仕事の都合で12歳頃から3年ごとに各地を転々とした以外は何不自由なく育ったので外的要因は考えられません。
条件がないと何かを愛することができないのは病気でしょうか?それとも元々あった素質?
サイコパスではないと思います、あるテストしたところ全然違っていました、物語の人物にも容易に共感できて涙脆いので情緒豊かな人間だとも思っています。
ただ自分や他人に興味を持つのに理由が必要なので好き嫌いを判断するのに条件が必要なのではないかと思いました。しかしそれは指摘された通り普通ではないということなので、普通の愛はなぜ理由もなしに愛せるのかがわかりません。
例えば親子愛は親だから子だからという理由があるので愛するのはわかります。
しかし、他人や自分を愛するのになぜ理由がいらないのかがわかりません、なぜ無条件で愛せるのかが理解できません。
お礼
回答ありがとうございます。 あなたの言う通りだと思います、馬鹿げた考えを信じていた自分が恥ずかしいです。 自分が正常で安心しました、馬鹿げた思考を矯正して頂きありがとうございます、心から感謝します。